2005年10月05日

<いい子>のままでいませんか?

 最近、講演で「どうしたら自分の枠を飛び出せるのか」、そんな質問を良く受けます。僕にとってその答えは「罪悪感を乗り越える」なんです(もちろん、法にふれるようなことはダメですよ。念のため)。

 僕は一人っ子で、いわゆる「いい子」で育ったものですから、知らぬ間に「親や人がいけないということはやらない」ようになっていたのです。周りに認められるように無意識にプログラミングされていたんですね。でも周りをみると、案外その「いい子」のまま大人になってる人って多いですね。つまり、会社の同僚や上司、ひいては社会から「いい子」と認められるように振舞っている...。

僕がその「いい子」を抜け出したひとつの出来事がありました。20歳のとき、アメリカ大陸をバイクで横断したときのことです。


●どうしよう...。でも出るならいましかない
 当時20歳の僕は、アメリカのワシントン州のピートさん宅を5年ぶりに訪れていました。この家庭は、僕が高校生のときホームステイをさせていただいたお宅です。今回はここから留学が決まった中西部のミズーリまでバイクでツーリングをするためにやってきたのでした。

 バイクは、ピートの知合いから700ドルで譲ってもらいました。免許は国際免許でOK。バックパックもピートのお古をもらい、準備は整いました。しかし、いざ明日旅立とうというとき、問題が発生。なんと旅行者はバイクの保険に入れないことがわかったのです。ちなみにピートの仕事はワシントン州の保安官。なので、彼が言うのだから間違いありません。もちろん、計画を中止して飛行機かバスで移動するように勧められました。

 その晩、僕はじっくり考えました。確かに何かあったとき、保険に入っていなければ大変なことになります。アメリカで保険なしで車を運転するのは無謀であることもわかっていました。でも、僕はこの冒険を心待ちにしてきました。するならいま、このときしかないとも思っていました。その晩、僕は眠れぬ夜を過ごしました。

 次の日。なんとなく気まずい空気の中、朝食を食べおわると、ピートが静かに僕に言いました。
 「トール、いまから私たちはちょっと買い物に出る。いいかい、僕らは君のことが心配だ。保険なしで走るなんて考えられないからね。だからできれば今回のツアーは中止してほしい。...でも、もしトールがどうしても行きたいというのなら、それを僕たちは止めることはできない。そのときは、この道を行くと町を出れるよ。ほら、これが地図だ。そしてなにかあったらここに電話しなさい。これは州の保安官のオフィスだ。It's up to you. じゃあ」
 そういってピートは奥さんと二人で出かけました。

 さて、一人リビングルームに残された僕は、悩みに悩みました。彼らを悲しませたくはない。危険なこともわかってる。でも、きっといましかないんだ、この冒険ができるのは...。ついに僕は意を決して、バイクにまたがりました。「ピート、ごめんなさい」と心の中でつぶやきながら。眼は涙でにじんでいました。そして彼の手書きの地図をみながら町を出たのです。


●ごめんなさい。でも楽しかった
 それから14日後。僕は南下して念願のグランドキャニオンを訪れ、ニューメキシコ、コロラド、カンザス州を通過し、無事にミズーリ州の大学に着きました。それはそれはすばらしい体験でした。着いてから、さっそくピートに電話をかけました。

 「ピート、ごめんなさい。でも無事に着いたよ」
 「トール、おめでとう。無事について本当によかった。僕も嬉しいよ」
 このときも泣きながら電話をしたのを覚えています。

 僕はこのとき思いました。それまで、親や社会、先生や友人らに「これはいけないことだよ」と言われたことをそのまま信じていました。「そうなんだ、これはいけないことなんだ」と。でも同時に、そのことで自分の可能性を閉じ込めていたことにも気づいたのです。確かにこの冒険はリスクがありました。もし、途中で事故でも起こしていたら、大金がかかり、多くの人に迷惑をかけていたでしょう。でも「自分の行動の責任は自分でとる」と決め、不安ながらも旅立ったとき、そこには未知のエキサイティングな時間が待っていました。この冒険は、その後の僕の人生で大きな自信になり、今も色あせることはありません。


●罪悪感がサイン
 何か一歩踏み出すときって、必ず周りの反対にあいます。そして何か、悪いこと、いけないことをしているように感じるものです。でもそれこそ、自分の可能性のドアを叩いている証拠です。僕はその後、会社を辞めるときにも同じ感情を体験しました。

 「これっていけないことなのかな」

 それは、それまで大学まで行かせてくれた親や、それまでお世話になった会社に対してです。多くの人はそこで思いとどまるのでしょう。

 「お世話になったあの人がそういうのだから」
 「いままで育ててくれた親に何て言おう」
 「会社に面倒をみてもらってきたのに」
 もちろん、ここを超えるときには「自分の行動の責任は自分でとる」覚悟が必要です。でも、そこを超えたとき、いままでにはない出会いや出来事、そして新しい自分の発見が待っているのです。


●自分の価値は自分で決める
 いまの若い人たちは、まわりの期待にどうしたら応えられるか、自分は何を求められているのかにとても敏感だと聞きます。そして無意識に相手が喜ぶような答えや振る舞いをしてしまうんですね。でも、それは本当の自分じゃない。「いい子」でいる人は自分の人生を生きていません。親や社会、人の人生を生きてしまうのです。人に自分の価値を決めてもらうのは学校の成績だけでいい。

 自分らしくあるためには、本当の自分で生きていくには「いい子」をやめることです。自分の選んだことには責任をもつこと、そして自分の価値は自分で決めること。長年「いい子」をやってきた僕の、ほんの小さな提案でした。

<今月のレッスン:罪悪感は自分の枠を飛び越えるサインです。>