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2004年12月01日

世界への挑戦のスタート

よくされる質問の一つに「練習は何時間されていたのですか?」というものがあります。シンクロは練習量の多さで有名な競技だからでしょうか。これに対して私は「多い時で10時間以上です。」と本当のことながら、予想通りの答え方をするのですが、実は以前は、正確に言うとアトランタオリンピックまでは、これほど長時間の練習ではありませんでした。

“オリンピックに出場して、メダルを獲りに行く”ということの大きさを私に教えてくれたのは、試合までの練習量とそれに伴う練習時間でした。

私は94年の世界水泳ローマ大会からナショナルAチームとして日本代表入りをしました。当時、高校3年で、体力的には最も”有る”とされる年齢であったにもかかわらず、毎朝起きるのがとても辛く感じられたことを思い出します。

それまでジュニアナショナルとしての海外遠征や合宿経験はありましたが、やはりシニアで日本代表のウェアを着ることは、それ相当の練習を積まなければならないことを意味しました。

翌95年、アトランタで開催されたFINAワールドカップ兼アトランタオリンピック予選に出場しました。この年、昨年まで日本の指定席であったチームでの銅メダルがこのワールドカップ大会で初めて手中からこぼれ落ちたのです。翌日に改めてオリンピック予選を行うというルールだったことが唯一の救いで、おしりに火のついた私達日本チームはまさに死に物狂いの演技でかろうじて巻き返し、オリンピック予選3位通過での帰国となりました。

危機的状況の中、アトランタオリンピックでメダルを死守するための強化が始まりました。日本チームに足りないとされるありとあらゆる物に一から取り組みました。強いチームの条件として、個人の能力が高いことが前提としてあります。オリンピック代表選手選考会は、それを主旨とした最も効率のいい強化方法だと言えるでしょう。

その意味通り、本番の選考会を迎える前にも意識付けとして何度もプレ選考会を行い、一人一人が採点を受け、自分自身の至らなさを嫌というほど思い知らされました。一緒に強化合宿に取り組んだ仲間の中でふるいに掛けられることは、切磋琢磨できると同時に、精神的な重圧を感じます。「去年までナショナルチームに入れていたから大丈夫」なんていうことは、きっと誰一人として考えていなかったでしょう。

選考会を終えた時のそれぞれの心境は一言で表せない複雑なものでした。

まもなく選考会の結果上位10名が代表選手として最終的に編成され、オリンピックチームとしてのトレーニングが本格的にスタートしました。当初覚悟していた厳しさは、その予想をはるかに越えたものとなりました。

「アトランタオリンピック強化合宿」
選考会前から取り組んでいた基礎技術の徹底的な見直しと強化はそのまま引き継がれ、さらにプログラムの作成と、そのハードさに耐えられる体づくりが行われました。このオリンピックで選考された10名は全てオリンピック未経験者であり、平均年齢も若く、かくゆう私もまだ何も確立できていない、ただただ受け身の選手でした。

そんな未熟な選手をチームの中に何人も抱えてメダル死守ができるでしょうか。「メダルが獲れないかもしれない…」「自分が上手くなれている実感がない…」どうしていいかわからず、こなすだけの練習の日々が過ぎていきました。この時、既に3回のオリンピックを戦ってこられた井村先生が考えに考えて打ち出されたのが「練習量に裏付けされた自信」を私達に持たせること。一日10時間以上の練習はこのアトランタオリンピック強化合宿が最初です。

アトランタ直後、シンクロ人生の中で初めて水からしばらく離れたいと思いました。先生の真意がいまひとつ理解できず、長時間の練習に目的を持って取り組めていなかったことが、結果的に肉体のみならず精神の疲労をも感じさせたのだと思います。

やらされていると感じる練習ほど実のないことはありません。やがて時間が経過し生活に落ち着きを取り戻した頃、ぽつぽつそれまでのことを振り返るようになりました。その時ようやくその練習量の裏に隠された本当の意味がわかってきたのです。

本番前、確かに自信を持てていました。「こんなにやったのだからちゃんと泳げない訳がない」と。「これを乗り越えられたのだから恐いものはない」と、次につながる自信さえももたらしてくれていました。井村先生の真意がわかるのは、いつもあとになってからです。その時にわかっていたらもう少し楽なのにな…(笑)。

そしてシドニーでは、その経験を共有した選手が私を含めて4人。その全員が「実のない練習は二度としたくない」と心に決めて臨みました。練習量もさることながら、質も求められる技術も毎年レベルアップします。オリンピックの年に限っては、それらの全てが飛躍的に高まります。シドニーにおける成功は、経験をもとに目的意識を持ったトレーニングを積めたことと、初出場の選手の中にも同じモチベーションに持っていけた者がいたことが要因でしょう。

アテネ大会では、シドニー以降、選手の入れ替えがあり、平均年齢も経験値もアトランタの頃のように若返りました。97年からデュエットを組ませてもらった立花美哉さんと私が、その中でずば抜けて平均年齢を引き上げていました!?が、若返ったチームにどう貢献できるかが鍵でした。アトランタの経緯をまるで同じように辿ろうとするチームメンバーに、なんとかそこから抜け出して欲しいと願いました。

練習時間は過去最高になり、多分チームメンバーは、8年前に私達が抱いた同じ感情を持ったでしょう。アテネオリンピックでは、それぞれ力を出し切った演技をすることができたとコメントし、みんなの表情を見ても、その言葉に嘘はないと感じました。あとから取り組みの意味に気づいたときに、メンバーがどう変わっていくかのかが楽しみです。

武田美保

武田美保

武田美保たけだみほ

アテネ五輪 シンクロナイズドスイミング 銀メダリスト

アテネ五輪で、立花美哉さんとのデュエットで銀メダルを獲得。また、2001年の世界選手権では金メダルを獲得し、世界の頂点に。オリンピック三大会連続出場し、5つのメダルを獲得。夏季五輪において日本女子歴代…

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