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AI時代に求められる仕事の心得

門岡良昌

門岡良昌

WildBird 代表

AIの仕組みやChatGPTをはじめとした生成AI、Web3などの最先端の技術や事例をわかりやすく紹介する講演で人気の講師、門岡良昌さん。
所属する企業の中で、強い意志を持ってキャリアを築いてきた経験から、自分らしく生きるためのヒントについても講演を行っている。

AIはこれからどのような意味を持つのか。AIとはどのように付き合っていくべきなのか。AIにはどんな可能性があるのか。また、組織の中で、いかにしてチャンスを手にしたのか。組織人として充実した人生を送るには何が必要になるのか。

私たちがこれから仕事に対して心得ておくべきことを、門岡さん本人の経験談とともにインタビューで伺ってきた。

門岡良昌

門岡良昌

≪講師プロフィール≫
門岡良昌(かどおかよしまさ)

WildBird 代表/博士(理学)

富士通において複数の新規サービスプロジェクトに取り組んだ後、東京大学と共同でスーパーコンピュータ「京」を活用した心臓シミュレータの研究開発を推進。 各地で最先端の技術をわかりやすく講演することで文部科学大臣表彰科学技術賞(理解増進部門)を受賞。その後、富士通研究所においてAIの分野で研究を始め、東大病院との心電図解析やアイオワ大学との脳波解析を行ってきた。退職後は、WildBirdを設立し代表に就任。AIコーディネータとして、複数の企業を支援している。

人間がもっと勉強しないといけないAIの時代

――進化が速いAIですが、活用する私たちにとって必要な考え方を教えてください。

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初めてAIという言葉が世に出たのは、1956年のダートマス会議でした。それから2度にわたってAIブームが流行っては廃りを繰り返しました。
しかし2022年11月に出たOpenAIのChatGPTは、世の中を大きく変えました。今は第4次AIブームの様相ですが、ブームがしぼむどころか、ますます盛り上がっています。本当にすごいAIだからです。
これまでコンピュータに何かをやらせるには、そのための画面が必要でした。出張精算するには、みんな専用の画面を使いました。ところが、今では「昨日、福岡に飛行機で出張したので精算して」とChatGPTにお願いすれば、専用画面などなくても出張精算が出てきてしまう。
「こんなプログラムを開発して」と言えばやってくれるし、「こんな感じのウェブサイトを作って」と言えば作ってくれる。しかも、個別のシステムなしに、です。
ChatGPTは人間みたいなもの、といってもいいのかもしれません。アシスタントや秘書がいるかのごとく、なんでもやってくれるし処理をしてくれる。これが、ChatGPTの本質です。今までのAIとは違う、圧倒的なインパクトを持っているんです。

AIがこれだけ優秀になると人間はダメになっていくのでは、とも言われますが、それは違います。実際、ChatGPTにしても嘘をつくことがある。人間の言葉を理解して回答しているのではなく、確率的にインターネット上等から収集した情報を学習して答えているからです。
世の中にある情報が全て正しいとは限りません。それでも、ChatGPTはもっともらしく答えます。だから、疑ってかかることが必要になる。実は、AIを使う側こそしっかり勉強し、世の中の情報を吸収し、自分なりに考えて、ChatGPTとディスカッションできるくらいの力をつけないといけない。AIの時代とは、人間がもっともっと勉強しないといけない時代でもあるんです。
もちろん、AIに任せられることも増えます。しかし、任せることによって空いた時間に、人間は勉強しないといけない。自分なりのポリシーを持たないといけない。そうすることで、AIは自分たちを助けてくれる存在になるんです。

――AIとの付き合いは、何から始めればいいのか、わからないという人もいます。

まずはChatGPTで遊んでみることです。話し相手になってもらう。AIは使ってみないとわかりません。プログラムを効率化させるなど、目的を持っている人は別ですが、まずは話しかけてみる。遊んでみる。
GoogleでChatGPTを検索すると、OpenAIのウェブサイトが出てきます。ChatGPT3.5なら無料で使うことができます。アカウントを作って、使ってみることです。会話をしてみる。そうすると、ChatGPTが検索エンジンではないことに気づくことができます。
会話のエンジンなんです。だから自分の考えを整理したり、新しいアイデアのヒントをもらったりすることができるんです。

気持ちをぶつけてみるのも面白いです。「今日は気持ちが沈んでいるんだけど」とChatGPTに話しかけると、「どうしたの?」と返してくるはずです。「実はこんなことがあって」と返すと、「そうなんだ」とChatGPTは心配して返事をくれたりします。
会話をしているうちに、気持ちが明るくなってきたりします。普段の日常的なことでいい。ChatGPTに話しかけて、友達になってみること。それが、まずは入り口です。

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――企業で使うには、どうすればいいでしょう。AIについて、抵抗感が強い人も多いようです。

やっぱり、まずはクラウド上のサービスを使ってみることです。そこから始める。会社によっては禁止されているところもあるようですね。本当にもったいないです。セキュリティもどんどんしっかりしてきていますので。
企業に勤める人、とりわけ経営層の人たちに知っておいてほしいことは、この先AIを使う時代になるのか、使わない時代になるのか、答えは明白だということです。ここまで進展してきたAIに、もはや後戻りはない。
となれば、考えるべきは「どう使いこなすか」でしょう。それを見つけることこそ大事。それは使ってみるしかないんです。

私はAIについてのアドバイザーも務めていますが、まず伝えるのは、経営者がリーダーシップを持って使ってみてほしい、ということです。そうしないと部下が使うことはなかなか難しい。
逆に、経営者が自ら旗振りをすると、従業員はイキイキ使ってくれるものです。10年後、もしかしたらAIによって自分の属する業界が大きな影響を受けるかもしれない。それを従業員はわかっている可能性がある。その変化に乗り遅れないようにするためにも、早くからAIを使いこなせるようにしておく。
会社に変化も出ますよ。中国地方のある会社では、AIを使った取り組みをしたことで採用に効果が出た。応募が増えたのです。
従業員に試してもらい、その事例を発表する会などを開くのもいいと思います。
それこそ、経営者が積極的に使おうとする会社と、まったく何もしない会社と、どちらに未来がありそうですか。どれくらい費用がかかるかわからない。何ができるのかもわからない。だから、使わないのではなく、まずは試しに使ってみたらいいんです。

人が敷いた線路の上を走っているだけでいいのか

――富士通では、新規ビジネスに従事されたり、東京大学と共同でスーパーコンピュータ「京」を活用したアプリケーション開発をされたり、様々な分野でキャリアを築いてこられたようですが、もともとは高校の先生になるはずだったそうですね。

学生時代は数学をやっていましてね。熊本大学を卒業して、九州大学で修士を終えて、熊本で高校の先生になろうと思っていたんです。当時、教員採用試験は狭き門でした。
ところが、ちょっと待てよ、と思い始めるんです。ここでそのまま先生になったら、学校しか知らない教師になってしまう。それでいいのか、と。一度は社会に出て、できれば海外で仕事をしてその経験も積めば、子どもたちにいろんなことを教えられると思ったんです。
実は九州から大企業に入るなんてできないと勝手に思い込んでいたんですが、研究室の飲み友達から東芝の研究所に入ると聞き、そこで初めて大学に大企業からたくさん求人が来ていたと知ったんです。

富士通に興味を持ったのは、週刊誌に出た記事がきっかけでした。巨像IBMに立ち向かうアリのような富士通。日本のコンピュータの父と言われていた池田敏雄さんが率いたプロジェクトが紹介されていて、こんなチャレンジングな会社に就職してみたいと思ったんですね。実はこの記事を見ていた同世代は多かったのです。

ただ、私が大学時代にやっていたのは紙と鉛筆でやれる純粋数学。入社試験で研究内容について聞かれて、数学がいかに美しい世界かについて延々と話したところ、コンピュータをやっていたわけではなかったのか、と呆れられたのを覚えています。実際、私以外は「LSIをやりたい」「OSをやりたい」とコンピュータ専攻の優秀な学生ばかりでした。
これはまずいと思った私から出たのは「富士通のためならなんでもやります」でした。その言葉を聞いた面接官だった事業部長から「君みたいな人間がこれからの富士通には必要なんだ!」と言われたんです。

それで1982年に無事に入社。配属は、その事業部長が率いていた交換機事業本部でした。海外に行きたいと思っていた私でしたが、偶然にも事業部の紹介でカリブ海に浮かぶドミニカに通信システムを納めたプロジェクトがあると知って、希望して中南米担当のエンジニアになったのです。
2年は国内で下働きをして、3年目につかんだのが、コロンビアへの提案。初めての長期出張はヒヤヒヤものでしたが、なんとか15億円の商談を成功させました。

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――ところがその後は、まったく違う仕事で、1990年代の「電子本」や「モバイル端末向け地図情報サービス」など、先端的な取り組みをされたそうですね。

コロンビアに通算で1年ほど滞在し、楽しい毎日でしたが、ちょっと待て、と思ったんです。結局、自分がやっているのは、人が敷いた線路の上で、人が作った機関車を走らせているだけではないか、と。
オレはこんなことをやるために生まれてきたのか?自分で新しい道を切り開かないといけないんじゃないか。そんなふうに考えるようになったんです。
折しもそれは大企業病が問題とされていた時代でした。社内で事業アイデアを募集する取り組みが行われ、自分達のアイデアを自分達の手で商品化するワーキンググループ「ゆめの玉手箱」に100人ほどが手を挙げるんですが、気づいたらそのリーダになり、自らも新規事業を推進する立場になっていた。その一つが、電車の中でも片手で本が読める端末「電子本」だったんです。

企画書を作り提案した結果、専務から直々に「ぜひやれ」と言われたのですが、取り組むのは本業の終業後。時間がない。しかも予算はゼロ。これでは前に進まないので「組織を創り予算をくれ」という嘆願書を専務に出したのです。直属の上司には知らせず、ダイレクトに専務に出したので大目玉をくらいました。
それでも4人の社内ベンチャーのチームができ、端末の開発から出版社との協力体制を構築し、流通の仕組みも考案して、「電子本」のプロジェクトは1991年にプロトタイプを完成させました。SF作家の大御所、小松左京さんからは「僕が夢にまで見たものが、もうできているじゃないか!」と言ってもらい、日経新聞の元旦号(1993年)やメジャーな情報誌に大きく取り上げられたりもしました。
しかし、当時はまだ端末価格が高かった。採算が取れないという判断でプロジェクトは終わりを告げられてしまいました。

そこでくじけずに、だったら本だけではなく、いろんな情報が見られるようにしたらどうか、と考えるわけですね。自分たちも同じようなことを考えていた、とシャープの方から話があり協業することになりました。こうして、モバイルユーザー向けの情報サービスを世界初で立ち上げようというプロジェクトが始まったんです。
しかし、システムが出来ても中身がないと誰も使ってくれない。モバイルユーザーにとって必要なコンテンツって何だろう、と考えて浮かんだのが地図でした。住宅地図で有名なゼンリンに話をしに行くと「面白い」となりました。さらに、地図の上で見たい情報は何か、と考えて、レストラン情報が浮かびました。それで、電子本でお世話になった角川書店にお願いして「東京ウォーカー」に情報を提供してもらうことになりました。
このサービスを鳥になったように利用して欲しいという想いから「WildBird」と名付けしました。そしてネットワーク配信のプロトコルとして選んだのが、当時、出始めたばかりのインターネット。さらに、コンテンツを見るための端末として開発されたのが、シャープの「カラーザウルス」だったんです。そして1996年、地図情報のサービスを立ち上げました。今のGoogle Mapのようなサービスです。

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実は私は、この事業で独立してベンチャーを作ろうと思っていました。ところが、そうはいかなくなるんです。私が電子本プロジェクトを立ち上げたときの嘆願書を快諾して下さった専務は後に副社長になられ、さらに関係会社の富士通ビジネスシステムの社長になっていました。
その方から、新しいことをやりたいから手伝ってほしい、と言われました。恩人の言葉ですから、これは聞くしかなかった。それで、「WildBird」を離れて関係会社に出向することになりました。

チャンスというのは、ある日、突然やってくる

――本の端末も、地図情報やレストラン情報のモバイル提供も、1990年代に富士通がやろうとしていたとは驚きです。でも、ここからまた転機があったのですね。

「WildBird」はイケイケどんどんで事業になると確信していました。しかし、後進に委ねたところ、うまくいかなかった。「カラーザウルス」という端末もあったわけですが、後に世界を席巻する「iPhone」のようにはならなかったんです。
これは「電子本」もそうでしたが、時代として早かったというだけではなくて、技術は作れたけれどもカルチャーを変えられなかった、ということだと思っています。AppleやGoogleは、巨額な投資をしてカルチャーを作った。これが、単に技術を作っただけの富士通との違いだったんじゃないかと感じています。

富士通ビジネスシステムには1997年から2002年まで在籍しました。イスラエルのベンチャー企業と連携してIP電話を世界に先駆けて事業化したり、最先端技術を持つデザイン会社と連携したWebサービスを立ち上げたり、いろんな取り組みをしました。今も、当時のイスラエルの仲間とはつながりがあります。
それにしても、なんでも一生懸命やっていると見ている人がいるんだな、と思いました。チャンスというのは、ある日突然やってくるんです。だから、それをしっかりつかまえられるかが問われる。日頃からとにかく一生懸命やっておく、それが大事なんです。

2001年、金沢大学でグリートコンピューティングという新しい研究を立ち上げるために、大学院で一緒に研究を進めてくれる社会人の募集があり、会社の知人から人選の相談がありました。当時の部下は35人。誰を行かせようかと考えていたら、人事部長にこう言われたんです。「君が行けば」と。
恩人に請われて富士通ビジネスシステムに来た私でしたが、人事部長も同じように富士通から来た人でした。その方がそんなふうに言ってくれたんです。
当時43歳。家族に相談して了解を得て、2週間に1度、金沢に行き、家でも朝4時から英語の文献と格闘して必死で勉強する日々が始まりました。
このとき2年半で博士号を取ったことがまた人生を変えたんです。

――なるほど、この大学院が「京」を活用した心臓シミュレータの研究開発につながるのですね。

そうなんです。博士号を取ったことで、研究所でグリートコンピューティングを手がけることになり、社内実践やフランステレコムとの共同研究を成功させて社長賞ももらいました。
それで2005年、隣のチームで開発していたのが、世界一速いコンピュータでした。しかし、どんなに速くてもアプリケーションがなければただの箱です。そのチームのリーダにそう言ったところ、「アプリケーションの開発なんてできる人材は富士通にはいない」と言われてカチンと来まして(笑)。
当時は愛社精神に溢れていましたから、だったらオレがやってやる、と。

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世界一速いコンピュータにふさわしいアプリケーションは何か。思い立ったのが、人間の体の分析でした。病気を治すことに役立ちたい、と。
それでいろいろ調べていたら、オックスフォード大学に世界的な権威がいた。会いに行くと、「こんにちは、お元気ですか」とカタコトの日本語で声をかけられました。皇后陛下の雅子様のオックスフォード留学中の指導教官だったんです。
1年間、共同研究をしていたんですが、実は足下の日本にも同じような研究をしている人がいたんですね。それが東京大学のチームでした。ただ、どう声をかけていいかわからなかった。それで、オックスフォード大学の世界的権威を日本に呼んだんです。そうしたら、彼らも会いたい、ということになってご縁ができた。
東大のチームも、ぜひ世界一速いコンピュータを使いたいということになって、2006年に合意。本格的な共同研究が始まるんです。以来10年、ずっと心臓シミュレータの研究を続けました。

――型破りなキャリアですが、大企業にいながらにして、こういうキャリアも作れるのですね。

人が敷いた線路ではなく、自分で道を切り拓こうと思い立ったことが大きかった。
それからは富士通を利用してやろうと思いました。巨大企業は利用したらいいんです。
人は必ず、なんらかのミッションを持って生を受けていると思います。誰かがやっていることをやってもしょうがない。自分のミッションとは何か、常に考えてきました。だから専務に嘆願書を出すようなこともできた。

あとは、当たり前のことを素直にちゃんとやることです。目の前にあることを、とにかく一生懸命やる。このままでは不安だと悩んでも一文にもなりません。目の前のことを一生懸命やることが、いい人生、充実した人生を歩ませてくれる一番のキモだと思っています。

順風満帆に進んだキャリアですね、と言われることがありますが、決してそうではありません。講演の際、人生の出来事を横軸に、縦軸にモチベーションバイオリズムを記した1枚のシートをお見せすることがありますが、どん底だった時代もあります。
だから決して順風満帆ではなかったし、特別な人間だったわけでもない。普通の人間です。だけど、生き方次第でいろんなことができるし、楽しく充実した人生を送れる。自分次第、自分の心持ち次第で、いくらでも人生は変えられる。そのことを多くの方に知っていただきたいのです。

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企画:細野潤一/取材・文:上阪徹/編集:講演依頼.com新聞編集部
(2024年3月 株式会社ペルソン 無断転載禁止)

門岡良昌

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門岡良昌かどおかよしまさ

WildBird 代表

富士通において複数の新規サービスプロジェクトの事業化に取り組んだ後、東京大学と共同でスーパーコンピュータ「京」を活用した心臓シミュレータの研究開発を推進。また各地で最先端の技術をわかりやすく講演するこ…

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