2006年07月01日

マッスルミュージカル~<千秋楽>の感動

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(C)MUSCLE MUSICAL

「千秋楽」という言葉の響きに子供の頃から淡い憧れがありました。

テレビの特集などで観る、いわゆる舞台の千秋楽の風景は、観客のスタンディングオベーション... それに応える汗と笑顔あるいは涙の舞台の上のパフォーマー...そのパフォーマーはスポットライトを浴びてまるで体が発光しているかのように見えて...いかにもという感じのイメージ。子供心に純粋に「舞台って素敵なお仕事だなぁ。格好いいなぁ。」と思っていました。

競技者として大会の舞台に立たせて頂いていましたが、私が長くそれに関わっていたのは形式は違いながらもきっとそのイメージに近いものを感じていたからなのでしょう。憧れは消えることなくずっと継続していて、それを叶える場所をシンクロという競技に見出したのだと今になって思います。それがめぐりめぐって、本当に舞台上で千秋楽を迎える日が来るとは!

公演の日程はどんどん進んでいきました。その間、毎日色んな出来事が起こりました。早着替えの途中で、あまりに焦りすぎて衣装に指を突っ込んで穴を開けてしまったり、楽屋にあるはずの靴が定位置に無く、タップシューズみたいに音が鳴るようにカスタネットを靴の裏につけたものがあったのでそれを急遽外して舞台袖に走っていったら、自分の靴がそこにちょこんと揃えて置いてあったり。(ただ単に持って帰り忘れていただけのお話だったんですけどね。) シンクロのシーンでもハプニングがありました。 一番のハプニングはこんなこと。プールを池に見立て、その池の中にあらかじめ黄金色のリング(直径40センチ程)を沈めておきます。それについては私が自分の手でシンクロシーンのカーテンが開く前にプールの底に置きに行っていました。

物語の流れは、黄金のリングだと渡されたものの中身が実は灰色の偽りのリングで、落胆した主人公の「ゴン」という犬が池にとぼとぼやって来て、うっかりそのリングを池に落としてしまう。 それをきっかけに、私を含めるシンクロスイマー3人の演技に入り、最後に本物の黄金のリングを主人公に渡すという設定。

それがある日の私は何をどう見間違えたのか、灰色の偽りのリングの方を掴んでしまい、危うくもう一度主人公を騙してしまうところだったのです。水面に上昇する途中で色が違うことに気づき、慌てて潜りなおしてリングを取り替えたという、なんとも冷や汗をかくような出来事でした。

こんな風に舞台裏でドタバタしながらも、日を追う毎に少しずつパフォーマンスもいい意味で安定していき、メンバーとの関わりもより深く、より連帯感を感じられるようになっていきました。そして「あと2週間で終わってしまうよ。」とか「残り10公演しかない。」という言葉を楽屋内で交わすことが多くなります。そのやりとりをするうちに私の中で、今までにない思いがこみ上げてくることに気づきます。

「この公演が終わってほしくない。」

このような思いを抱くことは、きっと皆さんの中でも想像の範囲内だと思います。このシチュエーションではよく耳にする言葉ですから。でも、私にとっては新しい感覚だったのです。

それは、今までたった1日のために。1回のために。一瞬のために。何百時間、何千時間をかけてその時を迎えるためのトレーニングをしてきました。想定に想定を重ねて、とにかくリアリティのあるリハーサルを繰り返し、そしてそれが本当に一日だけで全て終わるのです。爆発的な力を出し切って。

だから気力も体力も限界。その演目についてもっと続けたいと思う方が、試合が不完全燃焼で終わってしまったということとイコールになるのです。もちろん選手同士は強い信頼関係で結ばれています。ぶつかり合いも何もかも超えてお互いが腹を割っています。だからこそ、その後は一度リセットしないと競技そのものをやり続ける気力が持てない。そんな感じでした。

今の環境は公演が始まると毎日が本番です。燃え尽きてしまうと次の日に舞台に立てません。その違いに慣れるまで、違和感がありました。正直、「燃え尽きないように維持することって、これは自分が頑張っていないことになるのかな?」と不安になることもありました。

しかし次第に「舞台に立てる喜び」を感じられるようになり、わかりやすい程の生きている実感を味わえるという、最も幸せな環境に自分は身を置いているのだと思えるようになりました。来て下さるお客様に対して、最初と最後でクオリティーが変わってしまっていてはいけませんが、それでも毎日舞台に立つことで、どんどん経験値が上がり誰も私達の進化を止められません。進化を共有できるメンバーと共に過ごすと、「私達は皆でどこまで歩いていけるんだろう?」と先が知りたくなる。そう思えた頃に千秋楽は当日を迎える訳です。

千秋楽は涙の予感でした。「ここまで漕ぎ着けたね。」と、皆で分かち合う瞬間を思い浮かべるだけで涙腺がじわっとくるような。プロにそんなセンチメンタリズムはいらないかもしれません。しかし、この自分の中に自然に湧き起こった感情を大切にしたいと思いました。憧れは今も変わらずあります。

結局のところ、涙は堪え笑顔の千秋楽となりました。「感慨深い」という言葉はこの日のためにあるかのようでした。