2010年10月01日

“替え”がきく仕事(取り組み)はするべからず

 先月3○歳?になりました。着々と歳を重ねております私。これまでまるでアラサーやアラフォーの世代の方が抱える悩みを他人事のように思って聞いてましたけど、この世代にいざ自分が実際になってみると、リアルに「この生き方でいいのだろうか?」とか、「見落としてきたものがあるんじゃないだろうか?」とか、「夢を追っても間に合う歳なんだろうか?」とか、「子供は?」とか、そんなようなことを漠然と考えてしまう自分がいます。世の中の状況を見渡してみても、景気は相変わらず上向きにならないし、円高もおさまらないし、尖閣諸島の問題でも重要な会議でもなんだか世界の中で日本は軽くあしらわれてしまってる感じですし、...ああ、なんだか閉塞感。ただ、私はこれを『後ろ向きな考え方』とは思っていなくて、改めてゆっくり見直すべき時期がきているのならそのようにしよう、と、単純にそう思ってます。

 そんな考える日々の中で一つ出した生き方のスタンス。"替えがきく仕事(取り組み)はするべからず"です。

 大きな社会の中では、例えばある人が突然その部署や役職からいなくなってしまっても、誰かがすぐに補填され、まるで何事もなかったように回っていけてしまう場合もあります。そんな事が予想される場合でも、はじめから「どうせ僕がいなくても世界は回る」という投げやりな発想で、誰がやっても替わりがきくような関わり方で仕事をしたら、やっぱり中身や経験で得られるものも薄っぺらくなって、結果として本当に「君じゃなくても」とさっさと替えられてしまう人材になってしまう気がします。現に、とても優秀な人がいなくなったことによって、衰退の道を歩むようなケースだってあります。組織運営の面では、そのような事が起こらないように、リスクヘッジしていたりするのですが。

 さて、ではなぜ、こんなことを私は考えていたのか?というと、最近、仕事で考えるきっかけとなることがあったのです。「やっぱり武田さんにしてよかった」とか「武田さんとなら何があっても長くお付き合いさせて頂きたいですね」というように、関わって下さる相手の方に思って頂けるような『武田美保』をプロデュースしないといけない必要性を強く感じることがあったからなんです。成功させたいと思っています。いつもそうありたいと思ってはいましたが、人間って怠慢癖があるというか、長いスパンでの物事に対して、思いの強さやテンションが知らないうちに弱まっている、下がっている、みたいなそんな傾向がありますよね。私も、ここ数年の自分を冷静に見てみると「"あの時"と比べると食らい付き方が全然足りないかも」と感じる部分があります。

"あの時"っていうのは、若かりし頃、毎日のようにシンクロのコーチに「何であんたが選ばれてるんや!」「替えはなんぼでもいるで!」「ほんまに替えてもいいみたいやな。あんたからは"替えさせてなるものか"という気迫や必死さが見えんからな!」「"武田美保じゃないとあかん"って周りに言わせようと思わんのか!」とかなりストレートに発破をかけられていました。

私も悔しくて、苦しくて「どうしたら替えのきかない自分になれるのか?」を考えに考え抜いた日々が思い出されます。毎日の行動にどう置き換えればコーチや周りの人が納得して下さるようなアピールになるのか、とにかく上手くなることなのか?性格を変えることなのか?八方塞がりな時期が何年も続きました。人からの評価を得るがためのアピール方法を考えるのは主旨と違いますが、替えがきかない自分作りの取り組みは、紙一重の差で違うだけのような気もします。繰り返し繰り返し「武田美保じゃないとだめよね」と言って頂けるように努力する過程で、あれでもかこれでもかと変化をつけながら取った行動や表現や態度が、人に対してのアピールになり得るんだと思います。

 私がこの経験で得たものは、真剣に、必死に、本気の本気で物事に当たらないと、自分で思うよりも簡単には人からの評価は得られないということ。自分では「こんなに頑張ってるのに」と思っても、その基準がいかに甘いかを思い知らされました。それに気づいた上で、人に伝わっていくまでそれをアピールする努力を続けるうちに、唯一無二の個性や、へこたれない精神力がついてきて、そこでようやく替えのきかない人材になれるんだと思います。

 たくさん言いましたが、ようするに30歳代になった私は、昔より余計な肩の力を抜くことは覚えたものの、取り組み方の力加減も少し抜けてしまっていたんじゃないだろうか、と、ふと立ち返った訳です。これからの活動でこれではいけないと思うきっかけをもらえたので、替えのきかない仕事ぶりってものを突き詰めてやっていこうと思います。