2013年03月01日

どんなに心が強くてもたった一人では頑張れない

 コラム数回に渡り「教育」についての考えをお話させて頂いておりますが、今回も、というより今だからこそという思いで、再び教育の、中でも体罰に関わるお話をしたいと思います。

 「私がこの問題の解決に対してどのような形で協力ができるのか?」最近、このようなことをずっと考えていました。教育の専門家のように、現行の制度上の不具合や改正点などを熟知して意見を述べるというような具体的な提案は、現在勉強中ではありますが、私自身まだそこまでの知識を豊富に蓄えられていませんし、既に多くの有識者がいらっしゃる中、おそらくそのようなことを私に求められていないだろうとも感じています。

ただ唯一出来ることがあるとすれば、諸問題に該当する選手や生徒の皆さんと同じく、若い時期からスポーツに取り組み、その中での葛藤や思い悩んだことの経験は深く濃く心に刻み込まれているので、そのありのままを言葉にして伝えることなのかもしれないと、おこがましくも思い至りました。

少しでも可能性のある若者が自らの命を断つという選択肢を選ぶことのないよう、選手時代に指導者との関係で感じていたことや、救ってくれた言葉、救ってくれた人の存在など記憶に残っていることを文字にしておきたいと思います。これまで過去のコラムにも登場したことのあるエピソードもあるかもしれませんが、改めてのまとめということで進めてまいります。

私の恩師は、言わずと知れた名コーチであることは皆様もご存じかと思いますが、その指導法の厳しさも同じくらい有名であると言っても過言ではないと思います。断っておきますが、殴る、蹴るなどの暴行を加えることによる恐怖支配での指導ではなく、妥協がないという意味での厳しさであり、それに比例する練習量(例えば水中練習だけで10時間以上。それ以外にもウェイトトレーニング、ダンスレッスンなど)でもありました。

加えて大変情熱的な方でした。また、一方で理論的でもあり、物事への冷静な見極めと人心掌握術に長け、話のされ方も声も一言一言に説得力がある分、時にはそれが心にズシンとのしかかったり、鋭い矢となって突き刺さります。求められていることに応えたい気持ちはあるのですが、自分だけの力では消化しきれない感情になることもありました。

精神的に脆くなると連動するように体も疲れがピークに達し、思い切った動きが出来なくなり、さらに思考回路もネガティブになっていくという負のスパイラルに入り込むことが幾度となくありました。ありきたりに聞こえるかもしれませんが、原因となるその精神面を支えてくれたのは、親であり、友の存在でした。

特に私は、どの段階でそのように判断されたのかはわかりませんが、およそ中学3年生の頃から"打たれ強い性格"であると目され、10ある指摘のうち2か3しか言われない選手がいる中、私には10ある全てを指摘し、なにくそ!と奮起させて能力を伸ばさせる手法を取られていたように思います。コーチから"打たれ強い"と目されていることに、理不尽さを感じることもありました。

「私だって褒められたい。なぜ同じことをしていても私だけがこんなに怒られるのか?」あるいは他の人に対する怒りのとばっちりを自分が受けているように感じるときもありました。「根本的にコーチから人として好かれていないので何をどう頑張っても無理だ」と諦める気持ちにもなったこともあります。この辺りの心情は、もしかしたら事件になった桜ノ宮高校のバスケ部主将の生徒さんと共通する部分かもしれません。

親にはそんな自分の思いを聞いてもらっていました。その時々に心が救われたアドバイスがあるのですが、例えば「あなたはコーチからチームの中で最も"心が強い"と思われているから特に厳しいねん。その強さで必ず課題を乗り越えてくるという信頼の裏返しや。しかも美保のその強さは皆まで一緒に引き上げていけるぐらいの影響力があると思っていらっしゃる。今は損な役回りと思うかもしれないけど、選手を引退した後の人生を生きていく上で、きっとあなたが一番使える経験をしていると思うよ。知らないうちに人として磨かれているのはあなたやねん」と言葉をもらいました。

さらに「受け止められないと思うような言葉を今回もらったと感じたなら、二度と同じ言葉を言わせなければいいだけ。変わった自分をコーチに見せ付けてやりなさい。さぁ、何から見せ付けようか今から考えよう。」と一緒に戦ってくれました。仲間から言われた言葉にも気づかされる部分がありました。「私は美保ちゃんが羨ましい。確かに怒られるのは嫌だと思うけど、私には美保ちゃんがコーチからめちゃくちゃ期待されているようにしか見えへん。私、もっと怒られたいもん」と聞いて驚いたこともありました。

または、「今日は思いっきり愚痴合戦!」と称していつの間にか何時間も喫茶店に居座り話し続け、すっきりしたこともありました。結論として、私は「自分は一人じゃない。共に戦ってくれる絶対的な味方がいる」ということが一番の支えだったと思います。その支えがあった上で、実際に悔しい想いが強かったときこそバネにも威力が増して、出来なかった技術を獲得していけたことは言うまでもありません。

そしてコーチは、そこがさすがという感じですが、私が変わりたいと必死でぶつかっていけばそれをすぐに汲み取って下さいました。「それを待っとったんや!」とニヤリとして次のステージへの課題を提示して下さった。そして私は思うのです。「コーチはここまでのシナリオ全て織り込み済みだったんだ...」とため息が出るほど先が見えている方です。私が競技を長く続けた理由の一つはコーチのこの顔を見たかったというのがあります。

私は、自分の夢を叶えたい、目標を達成したいと思うのであれば、当たり前のように乗り越えなければならない過程の一つだと、自然と理解していけたように思います。何をどこまでが"体罰"と線を引くのか議論がされつつあると思いますが、最終的に私が到達した考えは、全てが人の信頼の上に成り立っているということです。

信頼が崩れる瞬間があっても、それを軌道修正してくれる第三者の目、私にとっては親であり仲間でしたが、それを持つことが重要であると思います。若い皆さんにこのメッセージがどのように届くかわかりませんが、自らの命を断つという悲しい結末だけはしないでほしいと願います。