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コラム 政治・経済

2011年11月14日

「開国か攘夷か」――幕末の歴史が示すTPP問題への教訓

 野田首相は11月11日、懸案となっていたTPP(環太平洋経済連携協定)について「交渉参加に向けて関係国と協議に入る」と表明した。これで、日本はようやくTPP参加に踏み出したわけが、その一方で、国内の反対派に配慮して「交渉に参加する」とは明確に表明せず、反対派の民主党議員も野田首相の記者会見に”満足”するという奇妙な光景も見られた。今後、反対派との綱引きは続くと見られる。

薩長が幕府に勝利した真の理由
 TPPをめぐるこうした議論は、ちょうど「開国か攘夷か」をめぐって日本中が真っ二つに対立した幕末の政治情勢を思い起こさせる。と同時に、当時の歴史は今日のTPP問題への教訓を示している。
 周知のように、1953年に黒船が来航し、その圧力によって幕府が開国したため、「外国人を排撃すべし」という攘夷論が高まった。中でも攘夷論を強く主張していたのが薩摩藩と長州藩で、やがてこの両藩は連合して幕府を倒すことに成功した。この歴史は誰でも知っている。だから「攘夷論の薩長が勝った」ように見える。
 しかし薩長が勝利した真の理由は別にある。薩長の行動をよく見てみよう。薩摩も長州も攘夷を叫ぶだけでなく、実行にまで及んだ。薩摩藩は事実上の藩主であった島津久光の行列の前を横切ったとしてイギリス人を殺傷(1862年、生麦事件)、長州藩も下関海峡を通過していた外国の商船を陸地から砲撃するという挙に出た(1863年、下関事件)。それほどに強硬派だったといえる。ところが、彼らが明治維新を成し遂げたあと推進したのは文明開化だった。攘夷どころか、欧米の文化を積極的に取り入れ、制度や法律も欧米風に変えたのだ。いつの間にか攘夷は消えていた。


 攘夷を捨てて”成長戦略”に転換した薩長
 実は、薩摩も長州も途中で攘夷を捨てていたのだ。その転機になったのが、前述の生麦事件と下関事件だ。生麦事件で怒ったイギリスは艦隊を鹿児島湾に出撃させ、薩摩藩は甚大な被害を受けた(薩英戦争、1863年)。また長州でも欧米4カ国の艦隊によって報復攻撃を受けた(下関戦争、1863~64年)。欧米の圧倒的な軍事力の前に大敗を喫した両藩は、攘夷が不可能なことを悟り、自らの力をつけるしかないと決断したのだった。そこで、イギリスなどから軍事技術や経済援助を導入し、藩の軍事力や経済力を急速に強化する方針に転換する。今日になぞらえれば、グローバル化への対応と成長戦略の強化策である。これによって薩長は改革を断行し、幕府をしのぐ経済力と軍事力を持つようになり勝利したのだ。
 さらに言えば、薩長は二つの事件(薩英戦争と下関戦争)以前から、口では攘夷を叫んでいながら、水面下ではしっかり海外を研究し海外の優れたところを取り入れようとしていた。長州藩が伊藤博文ら5人の若手藩士をひそかにイギリスに留学させていたのは、その好例だ。伊藤らは海外の実情をこの目で見て、日本とのあまりの実力の差を痛感したという。これがその後の長州藩の路線転換に大きく貢献する。伊藤は下関戦争が起きそうな情勢を知って急きょ帰国し、戦争回避のために奔走した。その努力は実らず戦争に突入してしまったが、和平交渉に尽力し、その後は藩の改革の中心となっていった。

3614-11.gif 今日では、明治政府が欧米文化を取り入れて近代化を図ったことは当たり前のように思われているが、それは薩長が攘夷を捨て路線を転換したからこそ、可能になったことなのである。
 これを幕府の側から見れば、逆に敗北の教訓が浮かび上がってくる。幕府の崩壊は開国したことが原因なのではなく、開国後の戦略がなくブレまくったことだ。開国後の日本をどう発展させていくかという戦略がないまま、圧力に押されての開国だった。そのため開国に当たって各国と結んだ条約は、日本に不利な内容を押し付けられる不平等条約となってしまった。しかも、まだ攘夷を叫んでいた薩長の働きかけによって、朝廷が幕府に対し攘夷の決行を要求し、幕府もそれを受け入れる一幕もあった。まさに、声の大きい主張に左右されて基本政策がブレたのである。リーダーシップも発揮できなかった。井伊直弼の時代はある意味で強いリーダーシップを発揮したが、井伊直弼暗殺後は幕府がリーダーシップを発揮する場面はほとんどなかったと言ってよい。こうしたことが幕府の政治的権威と影響力を弱め、崩壊へとつながったのだ。

グローバル経済の成長を取り込む戦略を
 今日のTPP問題に目を転じれば、野田首相は「交渉参加」と言わずに「交渉参加に向けて関係国と協議に入る」と反対派に配慮する表現を使った。その結果、11日の記者会見ではTPP参加後の戦略や日本経済活性化は何も語られなかった。これでは開国時の幕府とあまり変わらない。必要なのは、TPP参加によってグローバル経済と環太平洋地域の成長をいかに取り込むか、それによって日本経済をいかに活性化させるか、その戦略を打ち出し、それをきちんと説明することだ。場合によっては国民を説得していくリーダーシップも必要だ。
 これこそが、「平成の開国」のあるべき姿である。

岡田晃

岡田晃

岡田晃おかだあきら

大阪経済大学特別招聘教授

1947年、大阪市生まれ。1971年に慶應義塾大学を卒業後、日本経済新聞社へ入社。記者、編集委員を経て、テレビ東京へ異動し、「ワールドビジネスサテライト」のマーケットキャスター、同プロデューサー、テレ…

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