2002年06月05日

自分の論理よりその場の論理

 僕は向上心が人一倍強いと自覚しています。なので、自分の成長にはとても貪欲で、そのためなら恥もいとわないことがよくあります。一見これはよいことなのですが、このためにこれまでの人生で幾度も失敗したことがよくあります。

1.自分が成長したいばかりに...
 この前、こんなことがありました。ある研修先で、講習のあと、日頃から受講生の反応を知りたかった私は、自分に対するフィードバックをもらおうと、評価シートを作りました。それは、印象に残ったことや、どんな点を改善していったらよいか(内容、話し方などに)ついて、率直に意見を聞くものです。受講生の皆さんから、様々な意見がかえってきました。

 「自分の未来が明確になりました」
 「もっとてきぱきと話してほしい」
 「質疑応答のやりとりが不明確」

 貴重なフィードバックです。それを主催社側の担当の方にお見せしました。「こんなフィードバックをいただきました」と。

 黙ってそれに目を通していた担当者は、やがて僕に向かって静かにこう言われました。「先生、これでご自身の講義の内容やクオリティを上げようとされているお気持ちはとてもよくわかります。しかし、当社では、受講生に悪い点を指摘されるようでは困るのです。先生は、その点を当然クリアしている人であるというのが大前提です。だからもっと受講生にとってどんな気づきがあったか、彼らの立場にたったシートであるべきです」。

 これを聞いて、私はショックを受けました。確かに自分の視点は、受講生にとってどんな収穫があったかという観点より、あくまでも自分の成長、自分の内容がどう伝わっているのかを知りたいという利己的なものだったこと。そして自分の見方が狭かったことに気づいたのです。そうだ、自分は聞いている人に希望とやる気を与えるべき存在なのだ。あくまでも主人公は彼らなのだと...。確かにおっしゃるとおりです。そのようなことが許される場もありますが、今回はあまりふさわしい場ではなかったのです。

 自分が成長しようと思ってやったこと、自分が正しいと思ってしたことが、相手に不快感を与えたり、迷惑をかけてしまったことはありませんか?そんなときはやりきれない思いにかられるでしょう。「なんてヘマをしてしまったんだ」と。でも、そうしてしまった自分を振り返ると、そこには、自分のことだけを考えていたり、相手を避けていたり、相手の何かを快く思っていなかったり、なんらかの理由があるはずです。その答を見つけてみましょう。これは習慣ですから、同じようなことをよくしているはずです。


2.「場の論理」を見抜けるか
 では、どうしたらこのような失敗を避けることができるでしょうか。それにはまず「自分の一歩外にでる」ことです。何か自分が伸びようと思って行動をするとき、ひとつ大きく呼吸をしてみましょう。そしてこの行動は、相手側(受講生、得意先、会社)にとってどんな影響があるだろうか、それを考えてみるのです。これは「場の論理」と言うものですが、自分のロジックでなく、その場に存在する、上下関係や信頼、信用、暗黙のルールといったものを思い浮かべ、それに反していないかどうか検証するのです。

 自分の論理を通そうとすると、たいていうまくいきません。そこの場において、ふさわしい行動や方法は何かを察知すること、これができる人は、必ず成功への道が開かれていくでしょう。


3.すべての出来事にありがとう
 
自分に起きる出来事や出会いは、偶然ではありません。必ず意味があります。僕の場合、いつも失敗や悪い知らせはたて続けにおきることが多いようです。それも1週間とか、1ヶ月に集中するのです。同じ事を違う何人もの人から言われることもあります。そんなときは「これは自分のおろかさに気づきなさいという神様からの教えだ」と考えるようにしています。そうして日々傷つきながらも前向きに努力していると、神様は思わぬ「ボーナス」を落としてくれるのです。すべての出来事にありがとうをいいましょう。感謝。