2002年10月05日

自分のものさしを持つ

 よく物事を判断するとき「テレビや新聞でそういっているから」「信頼できる人がそういうから」「親や家族がそういうから」「会社の同僚がそういうから」などと言う人が多い。

 今回は自分の中の「良い、悪い」を決める判断基準はどこにあるかについて考えてみたい。


1.マスコミ・報道は必ずしも正しくない
 
テレビや新聞を判断の基準にしている人は、まずこれらは必ずしも正しくないことを知るべきだ。極論を言うようだが、新聞やテレビ局、広告代理店にはスポンサーがついており、スポンサーに不利になるような報道はなるべく流さない。またアメリカの9/11直後の報道を見てもわかるように、マスコミの報道が世論を報復攻撃へと扇動してしまうこともある。日本でもサリン事件の際、無実の一般市民に疑いの目が向けられた。また拉致事件でも外務省が入手した情報を公開しなかったりする。

 何年か前に、人体に害を及ぼす水道水内の微生物が問題になったとき、国内の新聞にはほとんど出ていないニュースが、英字新聞には取り上げられていたことがあって愕然とした。なるほど、確かに国民がパニックに陥るような話題は国内の新聞ネタにしないほうが得策なのかも知れない。(?)


2.あやしいものは、本当にあやしいのか?
 
次に、一般に「あやしい」と思われているものを三つ挙げてみた。それぞれについての僕の見解だ。

(1)街に立っている宣教師
僕のアメリカのホストファミリーは、日本の街角で多くみかけるこの宗派の家庭だったが、敬虔な信者で、信仰とは何か、家族とは何か、本当に多くのことを学んだ。すばらしい人達だった。
(2)自己啓発セミナー
一時期マスコミでも話題になり、かなり叩かれたが、自分で受けてみた結果、アメリカからやってきた交流分析などをもとにしたとても科学的なものだということがわかった。宗教まがいのものもあるが、中には優れたプログラムがある。
(3)ネットワークビジネス
世間では「マルチ」「ネズミ講」といってタブーになっているが、このシステムそのものは素晴らしい。「金持ち父さん貧乏父さん」の著者、ロバート・キヨサキ氏も同じ意見だ。よく問題になる会社は、理念や製品、そのしくみに問題があるだけだ。残念ながらその違いを見破れない人は多い。

 自分で調べてみたこれらの経験から、僕は次第に「自分で確かめなくては、本当のことはわからない」と思うようになった。人でも同じだ。みんなが嫌っている人に接して、「なんだ、本当はいい人なんだ」と思うこともあるものだ。


3.自分のものさし
 
こういうときに大切なのが『自分のものさし』を持つことだ。人やマスコミの意見ではなく、自分はどう判断するのか。周りの意見に流されず、自分はこうだと自信を持っていえるか。親や身内や、信頼する先輩や友人が言うことも、それは「その人にとっての真実」であって、「あなたにとっての真実」ではないはずだ。

 私が高2のときに留学するとき、担任の先生は反対した。理由は「前に行った生徒が帰国後、順応できずにやめてしまった」からだ。帰国後、僕は留年したが、一つ年下の連中と仲良くなり、人の2倍高校生活をエンジョイできた。先生のアドバイスは間違っていた。

 残念ながら日本人は、この『自分のものさし』を持ち合わせていない人が多い気がする。『お上の言うことは正しい』的な封建的なDNAが残っているのだろうか。または学校教育で自分の価値観で物事を判断することの大切さを教えていないからか。


4.自分で確かめる
 
自分のものさしは一朝一夕には手に入らない。それには、日頃からできるだけ自分で確かめる癖をつけておくことだ。自分が調べたり、実際に見たり聞いたり、体験して、はじめて自分にとっての真実がわかる。

 この前ニュースを見ていたら「ろんこうこうしょう」という言葉がでてきた。なんとなくはわかっていたが、一応辞書で調べてみると「論功行賞:功績を論じ、その程度に応じて賞を与えること」(小学館国語辞書)とあった。これで自分でもこの「論功行賞」という言葉を使えるようになる。これは言葉の例だが、要はこういう「自分で確認をするプロセス」を踏んでいるかどうかということだ。人はついつい忙しくなると、これをしなくなる。実はこの行動が自分のものさしの原点であり、それが自信につながっていくのだ。


5.自分で確かめる
 
この「自分のものさし」を持っている人は、本物を見抜く力がある。自分で長年培ってきた判断力により、ビジネスや人を見る目が養われ、世間や周りに振り回されなくなる。

 いまや世の中には「まがいもの」、「ニセモノ」が蔓延している。なにもブランド品だけの話ではない。商品、サービス、そして人も然り。これらにまどわされず、常に本物を選びたいものだ。

 あなたは『自分のものさし』をもっているか。