2017年03月01日

女性の選択『産まなくても、産めなくても』

 選択肢が増えることは、果たしていいことなのだろうか。

 小説の取材中、そんな疑問が次第に大きくなっていった。

 妊娠、出産をテーマとした短編集第二弾を書くにあたり、何人もの医師に話を伺った。主に産婦人科医の先生方だけれど、男性の不妊治療については泌尿器科を訪ねた。先生たちはそれぞれ理念をもち、それを全うされている。先生によって意見が違うことはもちろんある。

 例えば卵子凍結。一応説明しておくと、将来の妊娠のために卵子を凍結して保存していくものだ。ここ一、二年で急速にこの言葉が世の中に広まったから、ご存知の方も多いと思う。

 癌などの病気を治療する前に卵子を採取することは以前からあった。これに対して、最近増えている「社会的卵子凍結」は、今は仕事を優先したい、まだ結婚の予定がないなどの理由で凍結を行うこと。同じ産婦人科の先生でも、卵子凍結は健康上の止むを得ない理由だけにするべきだという人もいる一方、少子化対策のためにも女性の社会進出のためにも「社会的卵子凍結」をもっと広めるべきだという人もいる。

 この場合の卵子は若い方がいい。いい、というのは、いざ妊娠の段階になったら確率が高いということだ。「社会的卵子凍結」推進派でも、三十五歳を目処にすべきか、いくつになっても本人が希望すれば受け入れるべきかで別れる。可能性がゼロでない限り年齢で切るのは差別だというのだ。卵子の採取は手術の一種だ。低い可能性であっても、リスクを伴うわけである。

 情けないことに、それぞれの先生の話を聞いている時は、その通りだと納得するのだけれど、違う意見を耳にすれば、今度はそちらが正しいように思えてしまうこともあった。選択肢が増えれば、それだけ悩みも増える。それを実感した。

 それでも、選択肢がある方がいいのは当たり前だ。大切なのは自分自身が選ぶこと。親でもなく友達でもなく上司でもなく世間でもない、自分及び自分たちが、選択肢の全てを正確に把握して、考えた上で結論を出すことである。

 私ごとで恐縮だけれど、先日、約三年前に刊行した『産む、産まない、産めない』が文庫になり、ほぼ同時に新刊『産まなくても、産めなくても』が発売された。妊娠、出産をテーマにしたシリーズだ。この二冊の本を書いて、改めてそう思った。