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コラム 教育

2011年10月20日

本物という名の薄さ

 どこからか香たつ金木犀のなんとも言えぬ良い香りに、思わずその存在の場所を探してしまう今日この頃です。暑い夏が過ぎ、実りの秋を迎えました。どこまでも続く青い空、黄金色に波打つ稲穂。改めて大自然の大きさを感じます。

 人もこの自然のように懐が大きければよいのにと思うことがあります。
最近、「私は幼児教育のスペシャリストだから」「私は、○○については本物ですから」と自ら自分を本物だとへいきで薄っぺらな言葉をのたまう人をよく見かけます。
 そんな人を見ると思わず『井の中の蛙、大海を知らず』ということわざを思い出します。ほんの小さな集団や組織の中だけで人は生きているわけではありません。外を見れば多くの素晴らしい能力を持った人たちがいます。そしてまだ見ぬ大きな世界があります。そのことを知らずに平気で、自分はスペシャリストだとか、本物だとか言われる人を見て、とても遺憾に思うと共に、可哀想な人だと思ってしまいます。それが、教育者であればなおさらです。みなさんの周りには、このような人はいませんか?

 本当に実力のある人間は、むしろ自分からスペシャリストだの本物だとは、決して言わないものです。
 権力や地位に固執し、それを持って自分の居場所を確保しようとする薄っぺらな人が多くなったような気がします。社会が希薄になったと言われて久しいが、その社会をつくっているのが、こういった考え違いの一部の大人によるものです。
 子どもの教育うんぬんと言う前に、今一度、大人自身が恥ずかしくない人間としてしっかり立つことが大切ではないでしょうか。形だけの見てくれの良さよりも、その人自身が醸し出す深い味わいのある人、そして人としての常識のある大人が、どれだけ多く子どもの傍に寄り添うかがとても重要な気がします。

 収穫の秋に入り、たくさんの実をつけた木々たちは、”私はスペシャリストです”と偉そうにしてはいません。ただ、毎年、同じ季節に精一杯の力で生きて、美味しい味を届けてくれます。人間もそうありたいものです。口先だけの人間ではなく、本当に味わいのある人間でありたいものです。

 香しい金木犀の香りに誘われて、その木が植えられている場所を探してしまうように、本物だと人が認めれば、自分から発せずとも、人がその人を探しあててくれるでしょう。本物とは、そういうものではないでしょうか。
 『実るほど頭を垂れる稲穂かな』
     この心、いつの世も忘れてはならないことのように思います。

春日美奈子

春日美奈子

春日美奈子かすがみなこ

フリージャーナリスト

國學院大學大学院法律研究科法律学専攻修士課程修了。報道畑25年の経験を生かし、少年院や教護院(現・児童自立支援施設)での実習を通し、常に現場の”今”や”生の声”を大切にして、少年問題に取り組んでいる。

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