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2010年09月10日

今現在、自分が実際に取り組んでいる仕事こそが、”人生における最高の仕事”

ビジネスを成功に導くそのヒントは、常に、「今現在、”自分が実際に取り組んでいる仕事”をどう捉えることができるか」という問題の中に内在していると私は考えます。

資本主義経済社会の中で、実に”所狭し”と交錯している多種多様なビジネスの”形態”。……今、心を落ち着けて”静観”すると、そこに「一つの”本質”」を見出すことができます。

その”本質”とは、言うなれば、「この資本主義経済社会で展開される多様なビジネスにおいて、”完全無欠なビジネス”など、どこにも存在しない」ということ。今回は、この「完全無欠なビジネスなど、どこにも存在しない」という捉え方について、仏教における考え方を<思索のヒント>としながら話を進めていきます。

言うまでもなく、物質社会におけるすべての存在物は、生まれ、変化し、消滅する、という一連の流れを繰り返しています。仏教において、このような考え方を「諸行無常」といいますが、これは、仏教・禅宗において「生滅変化する存在物に対する基本認識」として捉えられてきた概念です。

この話をさらに進めると、「禅」は、禅那(ぜんな)・禅定(ぜんじょう)の略。これは即ち、「静慮」の意を成します。古くは、6世紀初頭、インドの菩提達磨(ぼだいだるま)が中国に来て以来、坐禅によって釈迦の菩提樹の下での悟りと同じ悟りを開こうとする新しい宗派がおこり、それが禅宗と呼ばれるようになったものです。

日本では、天台の僧である栄西(1141-1215)が日本に伝えたのが禅宗の始まり。栄西は、比叡山で天台密教を学んだ後、2度ほど宋(中国)に渡り、1191年に臨済禅を伝えた人物。栄西は、決して、天台宗などの”旧仏教”を否定したわけではありませんが、比叡山は禅の重視に反対する立場をとりました。栄西は後に、鎌倉将軍家の援助を受け、寿福寺(京都)や建仁寺(鎌倉)を建て、臨済禅の普及に努めました。栄西の主著 『興禅護国論』 は、天台宗による非難を批判。『興禅護国論』は、当時の日本において、”禅法が必要な理由”を述べたものして知られています。

栄西の弟子・道元(1200-1253)は、栄西と同様、宋に渡り、そこで厳しい禅の修業を経験。後に帰国し、曹洞宗をおこしました。道元は、実に、”強靭な信念”を貫いた人物として知られています。

本稿においては、興味深い逸話として知られている「私利私欲を一切捨て、”慈悲”を重んじる道元の徳風」についてご紹介します。

それは、道元が48歳のとき、当時の執権・北条時頼の招待を受け、関東で人々に仏道を説いた時のこと。道元は、説法の役目を終え越前国(現在の福井県)の永平寺に帰ると、弟子の玄明が、時頼から永平寺に3000石の土地を寄付する「お墨付き」を預かり、それを嬉しそうに道元に差し出したという話。

しかし、どうでしょう。道元はそれを見るや否や、「わしは、べつに財・名声のために真理を説いているわけではない」と玄明を怒鳴りつけ、玄明から僧衣を剥ぎ、即刻、永平寺から追い出したということです。

思うに、今、この”現代社会”に生きる私たちは、この逸話を通して「道元がいかに自力による救済を追及し、”代償を求めない人間愛(人類愛)”を自らの手で実践していたか」ということをうかがい知ることができると思います。

禅宗における無常観をわかりやすく述べるならば、「この世には、完全無欠、あるいは、絶対不変なものはない」ということ。私たちの体を具体例として考えるとわかりやすいことですが、人間の体においては、常に、”極めて短い時間的空間”において、無数の細胞が滅び続け、その一方では、無数の新細胞が生まれ、新陳代謝を繰り返しています。

そして、「人間」という”存在物”も、時が来れば、必ず「死」に至ります。人間が”人間”である以上、誰一人として、「永遠に生き続ける」ということは不可能です。他の動物ももちろんのこと、机、椅子、車、家はもとより、この地球に意気揚々と存する”大自然”でさえ、永遠に存在し続けることは不可能です。

このことを、今回のコラムのテーマと関連させながらさらに話を進めるならば、この資本主義経済社会において”所狭し”と交錯する様々なビジネスにおいても、永遠に存在し続けることのできるビジネスなど、世界中のいかなる国に行こうとも、一つも存在しないのです。

結局のところ、私たち人間はすべて、東洋文明社会、あるいは、西洋文明社会のいずれの国家・文化圏で生活していようとも、人間が、”不完全な存在者としての人間”である以上、「”永遠でない”生命の賦与」を受け、「”限りある”人生を生きる」という宿命を背負って生きているのです。

「人間の生命は決して永遠でない」、……このように捉えるならば、「迎える一瞬一瞬について、”頗る大らかに捉え”、自分にとって良いことも悪いことも存分に楽しんでしまおう!」という如く、日々取り組む会社のビジネスにおいても、常に、「頗る大らかに、勇気を持って、極めて勇敢に、”ポジティブ思考を基盤とするビジネス戦略”を実践していく価値」をそこに見出すことができるに違いありません。

ビジネスに存する「本性」、即ち、<1>「”永遠”なるビジネスはない」、<2>「すべてのビジネスには”限り”がある」という認識・理解を基盤として導き出せる一つの”達観”。その”達観”とは、「だからこそ、今現在、自分が取り組んでいるビジネスそれ自体を、自分なりの知恵・発想法で楽しんでしまおう!」という、まさに、”無常観”を基盤とした達観。

最終的に自らのビジネスを成功に導くためには、「”ビジネスの本性”を悟っているか否か」という問題についての認識・理解が、”ひとつの大きな分かれ道”になるのだと私は考えます。

何の具体的根拠も無く、ただ単に、会社のビジネス、あるいは、人材を批判する社員。そうした社員にとっては、「今現在、自分に与えられている仕事を”真摯な姿勢”で捉え、一つひとつ、心を込めて丁寧に取り組んでいく」ということなど、到底無理な(夢のまた夢の)境地であるに違いありません。

本来、「不平」は、何も生み出しません。何か、価値のあるものを生み出すには、「今」に感謝し、「今現在、自分が実際に取り組んでいるビジネス」を、一つひとつ、心を込めて丁寧に取り組む以外には、世界中のどこを探そうとも、その方法はありません。

ビジネスには”限り”がある、……だからこそ、その「”限り”のあるビジネス」について、常に「人生における”最高のビジネス”」として捉え、真心を込めて、頗る丁寧に取り組んでいきたいものです。

概して、海外・国内を問わず、いかな
るビジネスパーソンにおいても、自分の目の前のビジネスを「人生における”最高のビジネス”」として捉えることができたとき初めて、日々激変する市場における「ビジネスの根付かせ方」について少しずつ知ることができるのだと思います。ビジネスパーソンは、それを知った後、場数を踏みながら、徐々に、「ビジネスに命をかける意義」を感じ始め、「ビジネスにおける”独自のミッション”」を樹立し始めるのです。

生井利幸

生井利幸

生井利幸なまいとしゆき

生井利幸事務所代表

「ビジネス力」は、決して仕事における業務処理能力のみを指すわけではありません。ビジネス力は、”自己表現力”であり、”人間関係力”そのものです。いい結果を出すビジネスパーソンになるためには、「自分自身を…

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