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2018年05月25日

「評価制度」は、仕事の価値を下げてしまう。

価値の高い仕事をする人(バリューワーカー)と、そうでない人(ノン・バリューワーカー)の違いは何か。

バリューワーカーは、外部に視線を向けている。外部とは、顧客であり、パートナーである。顧客やパートナーの心理や真意を把握することに注力し、その満足感を高めるためにどうすべきかを常に最重要課題としている。その結果でもあるが、外部への視線は、歴史や背景にも向けられる。この事業・業務を時系列で理解し、どのような経緯を経て現状に至っているかを知ろうとする。目の前の事象に反応しているのではなく、プロセスを踏まえた対応こそが顧客やパートナーの満足には当然、不可欠であるからだ。

バリューワーカーは、外部環境が変化することを前提としている。だから、市場や顧客、パートナーの変化に対して、習慣的かつ自然な欲求として関心を持ちつづけている。その関心は、お客様やパートナーとの深い対話と関係、社外の多様な人々との付き合い、多様な機会を利用した学習につながっていく。変化を前提にしているから、創造・挑戦・改善・工夫は業務に取り組む際の基本姿勢となる。創造・挑戦・改善・工夫を行うから、PDCAが分かりやすく回転する。

ノン・バリューワーカーは、内部に視点を向けている。内部とは、自分の人事考課に関わる者や、一緒に仕事をしている関係者である。したがって、自らの仕事の進め方が定められた内部のルールに適合しているかどうか、上位者の意向に反したり、関係者の手を煩わせたりしていないかどうかが最重要課題となる。顧客の声は聞こえているし、業務プロセスが効果的でないことも感じているが、それが新しい取り組みや改善・工夫を要するのであれば、失敗するかもしれないし、周囲にも手間をかけてしまう可能性があるという理由で、簡単に“なかったこと”にし、忘れてしまう。

ノン・バリューワーカーは、外部環境の変化に浅い関心を向けている。外部の変化が、いつか内部に及ぶ事態を想像せず、あるいはその事態に対する備え・準備を先送りしながら、内部における適切な言動に最大の関心を持ち続ける。もちろん、外部の変化が少しづつ自分にも及んでいるのを感じてはいるが、想定の範囲内、まだまだ先のこととして無視し、上位者が「変われ」「変えろ」と言うまで待ちの姿勢を維持する。その結果は、前例踏襲が基本姿勢となり、「何もしない」「何も変えない」という結論を導くことを目的とした調整や会議を繰り返す。「何もしない」「何も変えない」という結論を導くためのロジカル・シンキングが得意である。

「評価制度」が、ノン・バリューワーカーを生んでいる

バリューワーカーにとっての成果は、顧客の満足度に比例している。もちろんそれは、顧客に媚びへつらった末の表面的な満足度ではなく、深い信頼関係の結果として表れた収益や有形・無形の資産増を意味する。重要なのは、バリューワーカーにとっての成果が、経営が求める成果と一致しているということだ。経営は当期・中期の収益とともに、収益力とガバナンスのバランスのとれた継続的な儲かる仕組みを追求する。それは、常に外部環境の変化や先行きを意識しながら、ヒト・モノ・カネ等の経営資源の最適化を図るとともに、市場や顧客からの多様な要請に応えていく活動だ。これは、サイズの大小や分野の広さが異なるだけでバリューワーカーと同じである。

一方、ノン・バリューワーカーにとっての成果は、人事考課の結果と、周囲との良好な関係である。自分の言動や残した結果が、上司のお眼鏡にどれくらいかなったか、職場を混乱させることも関係者の手を煩わせることもなかったか、が成果である。彼らが考える成果が、それなりの点数やランクで表現された人事考課と、変わらぬ周囲との関係だとすれば、それは経営が追求している成果とはまったく異なる。

もちろん、ノン・バリューワーカーが、最初から顧客の満足や収益を軽んじているわけではない。もともとは、市場や顧客に受け入れられること、その変化に対応した結果として収益を上げ続けること、変化し続ける社会に適合した言動を常に心掛けること、といった外部に軸足を置いた思考をしていたはずだ。ところが、「評価制度」という内部を強烈に意識せざるを得ない仕組みが登場してくると、これが一変してしまう。多くの人が、評価制度によって内向きにされてしまうのである。

評価制度は、次のようなロジックになっている。
まず、評価は「結果の公平性」が最も重要であると考える。業績や頑張りや経験年数やそのほかの諸事情を総合的に鑑みて、誰も損をさせないように、誰も可哀想な状態にならないようにするのが大切だと考える。部門や職種や経験年数などを加味して不公平ではない、上司によって評価結果が甘い・辛いがない状態を重視する。だから、全員に目配りし、比較し、公平が保たれるように、評価結果を調整することが前提となっている。

次に、評価結果を比較・調整するには、あらゆる業績・行動・能力を、点数やS~Dなどのランクで表現することが必要となってくる。「A君が7点で、B君が6点はおかしいだろう」「CさんがAランクなら、DさんもAランクにしなければ」といった会話ができなければ、横並びで調整していくのは難しいからだ。

そして、点数やランクで表現するには、「基準」を決めなければならない。何の基準もないのに、点数やランクはつけられない。だから、目標達成率が〇%なら〇点、このような行動ができて、このような能力を持っていれば〇ランクという具合に、等級別・職種別に主としてマトリクスの形で「基準」が定められる。そしてこの基準が、全員に適用される。

このような仕組みを、護送船団方式という。絶対に潰れないという安心を得る一方で、何をするにも大蔵省や日銀にお伺いをたてるようにしていた金融機関と同じだ。「結果の公平性」が重視される制度の中で落伍者にならなくて済む一方で、上位者がいい顔をしない(かもしれない)新たな取り組みや自由な行動は自ら制限するようになる。評価者や上位者に忖度しておれば、それだけでそれなりの評価をもらえるのだから、顧客や外部を向いて懸命に変化に対応する必要を感じなくなるのは当然だ。もともとは優秀な金融マンが内向きで凡庸で単調な作業しかしなるのと同様に、従業員も内向きで前例踏襲の楽な仕事しかしなくなる。

言い方を換えれば、まるで義務教育のシステムのようである。義務教育では、いわゆる「学年制」が採られており、その学年において必要な知識や行動が「基準」として定められ、それらをクリアすることで進級が認められる。各々の評価は担任の教員が行い、基本的に誰一人として留年者を出さないようにサポートが行われる。教員には通知表や内申書の作成という権限があるから、(稀なモンスターを除けば)生徒も親もたてつけない。また、突出した才能を引き延ばすよりも、落ちこぼれが出ないことに重きが置かれる。各々が持つ多様な個性が発揮されることではなく、全員が同じように勉強し、同じようなことができるように指導が行われる。企業の「評価制度」も、さらに「人材育成制度」も義務教育と同じ発想である。

評価制度は、従業員の“金太郎飴化”と“幼稚化”を進める

このように、評価制度は従業員の視点を内向きにし、上位者・評価者の意向を忖度するようにさせ、新しい取り組みや挑戦への姿勢を弱め、さらに、優れた才能や各々の個性を伸ばすことなく、没個性の組織を作り上げてしまう。評価制度が、外部と向き合い、その満足や収益を得るための活動を自分の頭で考え、実行に移していこうとする自立したビジネスパーソンを育てることはない。評価制度は、従業員を幼稚にする仕組みなのである。

ところが残念ながら、多くの経営幹部や人事部は、評価制度をより緻密な仕組みにしようと努力している。評価結果の比較・調整がうまくいかない、評価者によってバラツキが大きい、評価結果に対する従業員の納得性が低い、立てた目標がなかなか達成されない、それでも平気な社員が多い、優秀な人材が育ってこない、人材の多様性がない、といった実感があるからだ。これらの問題を、評価制度の充実によって解消しようとしている。しかしこれには無理がある。

原理的に、評価制度は従業員の“金太郎飴化”と“幼稚化”を進めるものである。したがって、評価制度を充実させればさせるほど、従業員の多様性が失われ、子供のようになっていく。経営は、多様で自立した社員が創造・挑戦・改善・工夫を積み重ね、大きな収益を生んでくれることを望んでいるはずだ。であれば、評価制度は逆効果でしかなく、その充実には決して取り組んではならない。企業の持続的成長には、評価制度を手放して、新しい仕組みを手に入れる必要があるのだ。

川口雅裕

川口雅裕

川口雅裕かわぐちまさひろ

NPO法人「老いの工学研究所」理事長(高齢期の暮らしの研究者)

皆様が貴重な時間を使って来られたことに感謝し、関西人らしい“芸人魂”を持ってお話しをしています。その結果、少しでも「楽しさ」や「気づき」をお持ち帰りいただけていることは、講師冥利につきると思います。ま…

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