2013年01月07日

2013年、責任ある大人に!

 2013年、新しい年を迎えました。政治も再び政権交代を果たし、その期待感からか、少し上向き傾向の経済動向...ではありますが、本当のところどうなっていくのかはこれからの政権運営次第といったところでしょうか。私個人的には、「教育」についてどのような政策に打ってでるのかに注目をしています。第二次安倍内閣でも、一次に引き続き教育再生会議が持たれるとのこと。国を建て直すとき教育から見直す国は多いと聞きますが、それについては大いに納得感があります。未来を担う子供達が良い質の教育を受けることによって、どんどん世界に挑戦し、また新しい産業を生み出し、世の中が前向きなマインドになる。教育は国を明るく豊かにする条件の一つだと思います。ただ、私が言いたい教育とは、知識だけの教育ではなく、人として生き抜く力、また日本という文化に関わる個人としてどうあるべきかというテーマを持った教育であってほしいということです。

 年明け初のコラムでなぜこのテーマなのか?発端は、年末にとある教育フォーラムに参加し、その控室で聞いた話にあります。ひ弱過ぎる今の子供の現状に問題意識を持ちました。

 大学入試のときに実際にあったクレームだったそうですが、科目と科目の間の休憩中に一人の受験者が親に泣いて電話をよこしたそうで、その内容が「前の人の文字を書く音が気になって集中できない」というものでした。それを聞いた親が即学校に、席を替えさせるか、前の席の子を退場させるかと迫る電話をしてきたというのです。前の人の筆圧が高く、机がカッカッカッカっと鳴る音が気になるからそれを親にどうにかしてもらう。おそらく、今まで親がその子の周りの煩わしいことからその子を守ってきたのだと思います。

私も昨年ようやく子を持つ親になったので、この気持ちは分からなくもないのです。集中させてあげたいと思うし、この音でイライラするのもよく理解できます。しかしこのケースの場合、想定できたことではなかったでしょうか。おそらく何度も模試や学校の中間・期末テストを受けているでしょうし、多少の雑音は必ずあるはずです。筆圧だけでなく、ある日は誰かが風邪を引いていてゴホゴホと咳き込むこともあったと思うのですが...。

仮にどうしても雑音が気になったとしたら、なぜ自分で言えないのか?対処法を考えないのか?子供が大人になるためにしなければならなかった経験までも、もしかしたらその機会を親が奪ってきてしまったのかもしれません。この責任は子供にないのですが、その子は嫌なことに直面したときの対処が、親に話すことで全ての事が足りると認識しているので、単純に人間の寿命からして親がいなくなった先にどうやって困難を切り抜けていくのかと、考えさせられます。今や社会人になっても会社を休む連絡を親に入れてもらうという時代。生き抜く力は間違いなく低下しているように感じます。

 よく言われる指摘に、日本の教育は決まった答えの中から選ぶ問いかけが多く、教育先進国の北欧では答えを独自の発想力で導きだすような問いかけ方が多いとありますが、私はこの指摘に対して早く行動を起こすべきだと思います。

少子高齢化に歯止めがかからない日本の未来。子供達が夢を見られないような厳しい現状が来るのを手をこまねいて待つのか、想像力、発想力、生き抜く力を子供に身につけさせてあげられる教育の場を提供するのか、これは今の大人達の心構えの問題だと思います。

そして、大人一人一人がそこに責任を持つことだと思います。これは親が、これは学校が、これは習い事が、などと躾や教育を分けて誰かに押し付け合わず、それぞれが子供達の未来を思って、教える、伝える、考える力を身につけさせるという、この行動が責任ということだと思います。

 とはいえ、口でいうのは容易く実際はなかなか難しいところもありますが、私も親として、一スポーツのコーチとして、それを自覚し、また今年も子供達と一緒に成長し頑張っていきたいと心新たに思うのでした。今年もみなさん、一緒に頑張っていきましょう!