2007年02月01日

想いを言葉にする

この秋、冬は「学校」に講演に行かせて頂く機会が多かったように思います。学校と言っても様々。小学校、中学校、高校とそれぞれの年齢層があり、地域性もあります。講演の内容を同じ着地点に設定した場合、お話のどの部分に反応を示してくれるか。環境によるこの違いを読み解くのはとても興味深いものです。

講演を聴いての感想文を頂いたりするのですが、小学生の低学年が反応を示してくれるのは、なぜか数値的なもの。例えば、練習時間の長さ。息を止める長さ。ご飯を食べる量の多さなどに感心するようです。高学年になるにつれて、感想文の中に「頑張る」というワードが出てきます。が、しかし、具体的にどの部分に共感して頑張りたいと思ったのかはあまり表現されていません。

中学生になると、部活をする人や3年生になると受験を控えますので具体的に将来についての考えを持つようになり、思春期という年頃であるせいか、かなり頑張ることに対して純粋で熱い反応が返ってきます。講演の内容と自分の抱える不安が重なる部分が増えるということなのでしょう。

高校でははっきり分かれます。クールに物事を見ている人と、中学生の頃以上に悩みを抱え奮闘している人と。文章の言葉遣いはボキャブラリーも多く大人のそれと言ってもよいでしょう。

さて、その反応の違いは別にして、私が学生や子供達に一番伝えたいと考えるのは、人は「夢」や「目標」に向かって進む際にどんな感情が湧き起こり、その葛藤を乗り越えていくのか?ということです。あるいは今、夢が見つかっていなくとも、日常の些細な物事の何かから好きになれるものがあり、それが夢に繋がる可能性があるということも。私の講演はシンクロというスポーツを通しての経験談をベースにお話ししますが、この経験の一例が何か一つでも生きるヒントにしてもらえたらといつもそう思っています。そしてこう付け加えています。必ず、「考えや想いは言葉にして出しましょう。」と。

この連載でも、何度かコミュニケーションについての考えをお話させて頂きましたが、実際に私が精神的、身体的に辛かった時期を救ってくれたのは言葉によるコミュニケーションでした。自分の内から出てくる言葉を自分の耳で聞いたとき、その瞬間から客観性を持ち始めます。相手に伝えようとすることで、いつの間にか考えがまとまっていくこともあります。吐き出せば、楽になることもあります。同じ想いでいてくれる人がいることを知ると強くなれます。

逆に反対意見であっても、それがきっかけで「自分をみつめてくれている人なのかもしれない」という気づきになったり、「もっと深く物事を見つめよう。」と冷静になれたり、せまる危険を回避することもありました。私は会話をしながら、自分の想いが頭の中でどんどんリアルに映像化されていくことに気づきました。話して、聴いて、見る。この段階を踏むことで、記憶に鮮明に残ります。データとして集約されます。それがいざというときに使えるのです。使えたときには達成感と喜びがあります。そのようにして、目標の実現に向けて歩いてきました。

そして今、第2の人生を歩き始めましたが、再び学生や子供達と同じように次の夢や目標を探しているところです。でも、この言葉で伝える方法を知っているから、弱気なときでも踏ん張りが効きます。「私、強さを知っているから大丈夫。」と。

人が想像できるものは、実現できると言います。まだまだ多くの方々に会って、この言葉の持つ力を紹介したいと思います。