2008年07月01日

『怒られる人』は這い上がれる

最近、こんな人と出会いました。彼は『怒られる人』です。

なぜか世の中には、『怒られる人』と『怒られない人』がいて、実のところ私もこの『怒られる人』の方であり、「不条理だな・・・」と思うことがありました。そんな中、最近出会った彼を見て思い出したことがあり、しかもそれがとても前向きになれる振り返りだったので、今回はそれを書いてみることにします。

独断と偏見で申し訳ないのですが、私なりに感じた彼の印象をお話しますと、まず、誰が見ても優しそうな好青年。 そのソフトな雰囲気に加えて、とても明るく元気な声でハキハキお話をされるので好感度もさらに高く、初対面の方からの憶えも良い。何事も一生懸命に取り組む。しかし、少し不器用なところがあり抱える仕事のキャパシティーを超えると逆に元気さが空回りする傾向も。性格が前向きなので、少々のことを言っても堪えないだろうという感じ。

ある日、些細なミスを連続して起こしてしまった彼。ここぞとばかりに色んな関係者からクレームを受けます。ミスに対してお叱りを受けるのは当然のことではあるのですが、端で見ていた私からすると明らかに必要以上の集中砲火。彼を指導する立場の人からも厳しい一言が飛びました。

後日、彼を指導する立場の方からお話を聞くことができたのです。
「彼は見込みがある。信頼もしている。だからこそ厳しく接している。皆の手前、彼を擁護することの方がより一層嫉妬心を煽り、近くの者との人間関係が悪くなるだろう。誰にも何も言わせないところまで彼は早く能力を身につけて、成長してほしい。」ということでした。

私は自分の選手時代や引退してからの現在に至るまで、きつく怒られた経験を振り返ってみました。怒られることが毎日重なり、正直、もう続けることも困難だと思うことがありました。人間、いくら打たれ強い性格でも、限度ってものがあります。実際、怒っている方の人も、その瞬間は指導の枠を超え、かなりの感情も入っていると思います。しかし、私は子供のときに何気ない母親との会話の中で得た言葉が潜在意識に浸透していたのか、おまじないのように浮かんでくるのです。

「見込みがあるから怒ってもらえるんやで。」

それを信じていた幼い私は、実際は嫌いで怒られているのか、周りには嫉妬できつく当たられているのか、本当に見込みがあるから怒られているのか、当時はよくわかりませんでしたが、とにかく怒られる度に「よし。また怒られた。私は見込みがあるんだ。ここで終わるはずがない。こんな言葉、二度と言わせないところまで這い上がる。」と自分に言い聞かせました。怒った相手にぐぅの根も出ないぐらいの能力を身に着けられるまでには、そう簡単にことは運ぶわけでもなく、ただひたすらこの繰り返しなのですが、それでも時が過ぎ、ポイント毎に振り返ってみれば、「あれ?できなかったことがこんなにクリアできてる・・・!」と、やり続けてきたことに対して心からよかったと思える瞬間がありました。これが最高に嬉しいことでした。

上司や先生、指導する立場として任に当たる人には、時に感情的になることも人間ですからあると思います。ただ、怒られる人にとって唯一逃げないで頑張る支えとなるのは、怒っている人が本気かどうかだと私は解釈しています。本気で「上手くなってほしい」「乗り越えてほしい」「君はここまでの能力ではないはずだ」と思ってそれをぶつけて下さると、例え感情的に聞こえても、受け手は何らかの第六感が働いて、「相手が本気だから本気で返そう」と踏ん張れるような気がします。そして怒った側も言葉を発した手前、言った言葉の強さの分、しっかり威厳を保てる仕事を見せなければいけない。尊敬心がなくなるとこの関係性は崩れていきます。

お互いが自分を高め合いながら進まないとバランスが崩れるという、非常に緊張感のある人間関係だと思いますが、人として深い絆を築けるのは人生において極めて少ない人数の中に限られるので、本気同士の人の絆は何物にも代え難い特別な存在になるでしょう。好きとか嫌いとかそういう感情ではなく、何かドーンっと心に残る存在。幸せなことに、私がこれまで指導をして頂いたり、育てて下さった方皆さんが本気で当たって来て下さいました。心にドーンっと残っています。だからバカみたいに「自分は見込みがあるから怒られている」と信じてこれたのだと思います。

ただのいじめやストレス解消で怒っている姿は、すぐに感じ取れるものですよね。これでは仕事の場合、人が育たず、結局業績も上がりませんし、いいことなしです。上で例に挙げさせて頂いた指導をする立場の方には、私は当事者ではありませんが、怒り方に本気を感じました。この『怒られる人』の彼は這い上がれると私も信じてます。