2006年12月01日

家族の大切さ

いじめによる子供の自殺のニュースを連日のように見聞きし、その度、空虚感が心を占領します。「ああ...子供がまたこの選択をしてしまった。」見ても聞いてもどうすることもできず、ただこの思いの繰り返し。今回は、家族の大切さに関して、書きたいと思います。

「学校が」そして「先生が」と、世間は言います。確かに、いじめが行われているのは学校です。その現場で子供を守ってやれなければ世論からのバッシングは必至でしょう。しかし、それだけでしょうか?私はその前にいじめる側、いじめられている側の両方の子供の家庭では、どのようなコミュニケーションがとられてきたのか。家にいるときの子供の顔だけでなく、学校という社会に出たときに子供はどんな顔を持っているのかを各家庭がどこまで把握しているのか?私は是非ともこれについて問いかけてみたいと強く思うようになりました。

この世に人が誕生し、それは赤ちゃんと呼ばれ、可愛がられます。歩くようになり、言葉を覚え、その成長と共に一番近いところにいつもいる「親」が物事の善悪や正義、躾を教える大人だと私は考えています。人の人格は、学校に上がる前、いえ、それ以前に幼稚園や保育園に通う頃には、一人の人としてのベースはもう出来上がっています。

そのベースが「学校」という子供の社会生活が始まったと同時に、どのように適応しているのか、あるいは適応していないのか、親は子供とのコミュニケーションでそれを読み取り、子供と一緒にその問題に向き合い、能力を伸ばしてあげたいことにも共に取り組んでいくことが必要なのだと思います。コミュニケーションは何も言葉からだけではありません。子供の表情、しぐさ、目の動き、行動など子供が発するシグナルはいくつもあると思います。

そして学校の先生。先生は子供が出会う、第2の大人です。まだベースしかできていない子供の人格に、大きな感動や素晴らしい影響を与える授業なり教育をするという強い責任感を持って接しなければ「これが大人か。社会はこんなものなのか。」と子供の感性はそれに敏感に反応し、傷つかないために逆に反応を鈍らせることになります。

子供が反応をしなくなるということは、大人数を抱える先生にとって子供の心の変化を感じ取る機会が減らされることになり、例えば、いじめを見落とす原因になります。またいじめに気づいていたとしても、子供の反応が薄い分、本当の心の傷つき度合いが測れていないということにもなります。「深刻ないじめではなかったと判断した。」とのコメントがよく聞こえますが、それはここから発生するものだと思います。

子供と近いところで接する親と先生。また地域社会。いわゆる社会的「大人」でも、その人間的な成熟度を問うように子供は鋭い目線で見ています。大人の示さなければならない役割は大きいです。

ここまで私の考えを書いてきましたが、これは私自身の経験から得た学びです。私は周りの大人に恵まれました。両親は本当によく子供を見つめてくれました。私は2人の兄がいますが、3人3様に接してくれました。隠しごとなどできないぐらい、よく嘘を見抜かれました。例えその時はうまく嘘でごまかせていても、なぜか時を長くせずにばれました。みつめてくれていた証拠だと思います。

多くの時間を費やしてコミュニケーションをとったことも大きいと思います。今、子供がどんな精神状態なのか?または、どんな成長をしているのか?抱えている問題は何か?いつも把握していてくれました。「一緒に考えてくれる人がいるんだ。自分は一人じゃないんだ。」と心の支えができるというのは、
子供にとってはこの上ない自信につながります。

そして、感情を出せる場所があることもよかった。言葉で吐き出すとそれだけで楽になれることがあります。また、人に伝えようとする行動が、自分の行動を客観的に捉えることの助けにもなります。私は競技スポーツをしてきましたが、技術の向上は精神の向上なくして有り得ないというのが持論であり、家で話す悩み事は、いつも精神的なことや人間関係のことばかりでした。

いじめに近いことも経験しました。話してもすぐに解決しないこともありますが、しかし解決するには何らかの「アクション」を起こさないと動かないこともその中で知りました。また、最終的に動くのは自分自身なのだということも。怖気づきそうな私を、その後ろで後押ししてくれた親という大人。私は、将来自分に子供ができたとして、その時「ここまでその子にしてやれるだろうか?」と思うほど、今までしてきてくれたことや教えに対して尊敬心を持っています。

ここまで、自分の親のことを褒めると、聞く人によっては「きれいごと」のように捉えられるかもしれませんが、そう思う方がいらっしゃるなら、それでも構いません。しかし実際に、頑張ることや超えなければいけない壁は、私一人では到底無理でした。支えてくれ、私がどう問題を解決したかまで、きちんと把握してくれたのです。そういうこともあり、自分は「大人」にたいしての自分の理想像を、両親に限りなく近いところに置いています。精神的な強さや成熟度を子供ながらの目線で私も親を見つめ続けましたから。

そして、先生の存在。言うまでもなく、本当に信念や意志の強い先生とのめぐり会いにより、私の人生は大きく変わりました。私の出会った第2の大人である先生も、親と同様に子供の変化に敏感でした。血縁者でないのにも関わらず、子供に対する命掛けの教育方針は心を揺さぶられました。そう行動で示して下さるからこそ、信頼関係が結べるのです。「この大人に学びたい」と子供はそう思えるのだと思います。

教育再生法案の緊急提言で、盛り込まれていた言葉の一つに「社会総ぐるみで」とありましたが、私はこの言葉に共感します。子供は、一人では知らないことが多すぎる。そして、命を絶つという選択をしてしまう。「私がいなければ...」なんて、絶対に思い違い。いじめている側もそう。良心の呵責という感情や、善と悪、正義、恐怖などを親と子、先生と生徒で徹底的に話して下さい。

私にはたまたま近くに支えて教えてくれる大人がいましたが、人によっては少し探さなければいけない人だっているかもしれません。でも、絶対います。必ず誰かがいます。それは信じられます。その前に、まず一番近くにいる大人の人と話し、そして大人はことの顛末まで話を受けたからには見届けてあげてほしい。これは絶対最後まで大人が見放してはほしくない。そう思います。家族は話したり、考えたりその 時間が最も長く取れる場所なんです。それをもう一度、考え直し、まずはとても身近なことでも良いから、とにかく「話す時間」を子供も大人も持てれば、随分と変わるのではないでしょうか。