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コラム 政治・経済

2017年09月08日

工業立国日本の将来 -ノーベル賞と大学研究―

 国土が狭く資源も少ない国である日本は、工業立国を目指すことは必然です。具体的には自動車や機械産業が発展して貿易が振興し、それが現在の日本経済や国民生活を支えています。さて、近年日本のノーベル賞受賞者が増えていますが、その裏で、日本の有力製造業企業が消滅したり、または外国企業に身売りするなどということがしばしば起きています。経済性を無視した技術論は空虚ですが、同様に技術論抜きの財務的数値のみで経済を語ることも極めて空虚なことです。特に工業立国の日本においては、技術と経済の両面から見ることによって真の産業論を語ることができます。今回は、日本の将来のためにやや辛口で、研究や技術開発のあるべき姿について触れてみます。

ノーベル賞は基礎科学を対象としたもの

 毎年10月上旬のノーベル賞の発表時期が近づくと、日本では今年は誰がノーベル賞を受賞するのだろうかと関心が持たれます。ひとたび受賞が決まれば、12月の受賞日まで報道が過熱します。近年は日本の受賞者が多く、2000年以降ではノーベル賞受賞者の数は、日本は米国に次いで第2位です。しかし、ノーベル賞受賞者が多いことが、その国の産業技術の振興や、さらには経済の発展に繋がることになるとは必ずしも言えません。

 かつて米国のアポロ計画により月に人を送りましたが、この人類の偉業の関係者にノーベル賞が与えられたということはありません。現代社会ではコンピュータは至るところで利用されています。インターネットやスマホも基本的にはコンピュータの応用です。しかし、これまで優れたコンピュータを開発したという理由でノーベル賞が授与されたことはありません。自動車は生活や経済活動に極めて重要で、また自動車産業は世界経済の牽引車です。近年はハイブリッドカー、電気自動車なども開発されています。しかし、すばらしい自動車を発明した、開発したという理由でノーベル賞が授与されたことはありません。

 ちょっと矛盾したように感じられるこれらのことはなぜでしょうか。実はノーベル賞は基礎科学を対象にして与えられる賞で、応用科学を対象とした賞ではありません。基礎科学は真理究明を行いますが、その結果が何かに役立つかどうかは二の次の話です。工学に代表される応用科学は社会に役立つことを目的とした学問です。日本が世界に誇る大量高速輸送の新幹線技術、耐震性のある高層建築技術などは、社会への貢献は非常に大きいものです。

 ノーベル賞の中には社会や産業に大いに役立っている発明もあれば、正直なところ、そうでないものもあります。特に近年は後者と感じるものが多いように私は思います。かつて、日本のノーベル賞受賞者を増やそうと国は様々な施策を実施しました。しかし、税金が投入されてノーベル賞受賞者がいくらふえても、その裏で日本の産業が衰退したのでは、全く意味がありません。現在、製造業の有力企業が消滅したり身売りされるなどということが日本で起きています。ノーベル賞受賞者が増え研究者が栄えても、有力企業が衰退し国民が苦しむ現象は、研富民貧とも言えます。そういうことは避けたいものです。

社会に役立ってこそ研究や技術に意味がある

 研究もしくは真理の探求は無制限に行われてよいものではありません。なぜなら現在研究を行うには多大の費用が必要であり、たとえば国立大学や国立研究所の場合は税金があてられ、結局国民が負担しているのです。従って、研究成果の社会への貢献が小さければ、研究に対する社会の認識も変わってきます。研究成果の社会への還元を重要視せず、学者が学問のための研究を繰り返していると、いずれ社会から厳しい判断が下されることになります。そういう事態が一部で既に起こっています。最近、日本のノーベル賞受賞者が多い理由を、他国からは、日本の大学では野放図に基礎研究が行われているからだという辛口の批判があります。これはかなり的を射た批判です。この言葉を謙虚に日本の政治や大学が捉えることができるかどうかが、日本の将来がかかっていると思います。

 

研究や技術開発のあるべき姿

 誰かが研究を行って豚を改善し、とても足の速い豚を作ったとしましょう。これは面白い、誰もやったことがない事だとして、学問的に一つの研究として取り扱われるでしょう。しかし、足の早い動物を作るのでれば、競馬につかえる足の速い馬を作れば社会はその価値を認めてくれるでしょう。豚の改善をするのであれば、おいしい肉の豚を目指すべきです。有名な本でありますが、世界の記録を掲載した本が出版されています。50年ほど前に始めてその本を読んだとき、そこに記載されていた世界記録ひとつ一つに私は大変感動しました。最近、それに記載されている多くの世界記録は、正直なところ私はあまり感動しません。研究も同じです、役に立たない物質を合成して、その物性を測っている状況、足の速い豚を作っている状態は、まさに研究のバブル化と言えます。

 ノーベル賞級の基礎物理には数百億円単位の研究施設が必要な場合があります。少子高齢化の日本では、社会保障に充てる費用の財源確保に四苦八苦しているのが現状です。特に大学や公的研究機関において、真理の探究とか基礎研究とかと標榜して、社会や産業に役立つという視点に欠けた研究を続けていますと、国民が何かおかしいなと感じ始めることでしょう。そうなったら、ノーベル賞神話や、日本の科学技術神話が一挙に崩れ去ることになります。既に一部で日本の大学等への研究批判が聞かれます。世界的な大学ランキングにおいても、日本の大学の順位は高くありません。アジアにおいても他の国の大学に後塵を拝している状況です。

 なぜ日本の大学はこうなってしまったのでしょう。日本の大学には制度的、構造的な欠陥があるようです。日本の大学では、社会に役立つかどうかは関係なく、ただ単に学術的な研究報文を書いていれば、給料を貰えて基本的に身分も安泰です。これではだめで、大学が社会に役立つ研究を行う組織になるように抜本的な改革が必要です。マスコミなどでほとんど報道されていない日本の大学の制度的、構造的な欠陥についても、いずれこのコラムの別の機会に触れてみたいと思います。

進藤勇治

進藤勇治

進藤勇治しんどうゆうじ

産業評論家

経済・産業問題、エネルギー・環境問題、SDGs、コロナ問題をテーマとした講演実績多数! 経済・産業問題やエネルギー・環境・災害問題、SDGs、コロナ問題などについて最新の情報を提供しつつ、社会…

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