ご相談

講演依頼.com 新聞

コラム 人権・福祉

2010年11月19日

子供の仕事とは?/家族のために働く子供たち

 子供たちは働いていた。一日中、家族の為に働き続けていた。
世界中の戦場で共通していたこと、それは子供たちが戦火の犠牲になること、そして生き抜く為に労働をしていることであった。情勢が不安定なアフガニスタンでは子供たちが学校に通えるだけでも幸せであり、放課後に仕事をすることは当然の環境となっていた。子供たちが両親の脇でお手伝いをする姿はどこででも見られ、子供たちの仕事に選択の余地がない事も事実であった。

2010.11-1.jpg 気候の変動が激しいアフガニスタンで最も過酷な仕事の一つに家畜の放牧がある。放牧者たちが標高3000mに及ぶ山々の合間を膨大な数の羊やヤギとともに餌を求めて徒歩で越えていく。野宿を繰り返すことで、羊を率いる少年の顔は太陽で焼けてしまい黒っぽい色に変色していた。皮膚はグローブの革のように固まっていた。両親が羊飼いであるならば、その子供たちも羊飼いになるのがここでの慣習である。

2010.11-2.jpg 都市部の子供たちも家計を支えていた。男の子たちが手作りの荷台に野菜や果物を乗せて幹線道路の分かれ道で客待ちをする。アフガニスタンではぶどうやザクロが特産品であり、山盛りに乗せた果物を地元民はもちろん、外国人客に少しでも高額で売ることが子供たちの大切な仕事であった。収入に直結する交渉術は、子供とはいえ容赦ない激しさがあり何度も衝撃を受けた。

 ハザラ人と呼ばれる人たちが多く住む地域では、日本人とそっくりな顔立ちの方々が多く住んでいた。モンゴルの末裔ともいわれている彼らは、アフガニスタン国内の中でも少数派であり、その地域ではアジアのつながりを強く感じる。彼らの子供たちもまた家族を支えるために仕事に出ていた。
2010.11-3.jpg
2010.11-4.jpg

2010.11-5.jpg 首都カブールの街並を見下ろせる高台には、市民の墓地が延々と続いている。そこに立つ少年も墓地の管理人として両親を手伝っていた。戦時下に生きる子供たちにとって、仕事とは家族を支える為に避けることのできない大切な行いであった。

渡部陽一

渡部陽一

渡部陽一わたなべよういち

戦場カメラマン

1972年9月1日、静岡県富士市生まれ。静岡県立富士高等学校 明治学院大学法学部卒業。戦争の悲劇とそこで生活する民の生きた声を体験し、世界の人々に伝えるジャーナリスト。 世界情勢の流れのその瞬間に現場…

  • facebook

講演・セミナーの
ご相談は無料です。

業界21年、実績3万件の中で蓄積してきた
講演会のノウハウを丁寧にご案内いたします。
趣旨・目的、聴講対象者、希望講師や
講師のイメージなど、
お決まりの範囲で構いませんので、
お気軽にご連絡ください。