全日本選手権、通算5度の優勝。ロンドンオリンピックでは日本卓球界史上初となる団体戦での銀メダル獲得。 「卓球の鬼」と呼ばれ、日本卓球界を牽引した平野早矢香さんが引退し1年。今や卓球講習会や講演会に引っ張りだこの平野さん。卓球人気が経済の現場でも大きな広がりを見せ、「ピンポノミクス」が湧いている今、卓球界で注目される若手やベテラン選手の活躍と平野さんの今後のチャレンジなど、2017年6月に開催された平野早矢香杯前日に講演依頼.comスタッフ鈴木と江本がお邪魔し、お話をお聞きしてきました!
卓球ブームの到来でますます盛り上がる卓球講習会
平野さんのご出身、栃木県鹿沼市で開催される「平野早矢香杯」が今年で5回目になりますね。
2013年、ロンドンオリンピックの翌年から、鹿沼市長はじめ鹿沼市のみなさんが地元で卓球を盛り上げようと始まったんです。まさか自分の名前がついた大会が出来ると思っていませんし、それも1回で終わると思っていたら、今年で5回目。 卓球のメーカーさんも協力してくれて、入賞商品がすごくいいんです。参加者は関東・福島の選手で、一部招待クラブとして愛知や富山、青森の選手も参加してくださいました。今回は小中学生約700名のエントリーがあり、レベルも高い大会です。
小さい時は、何の大会をきっかけに強くなるか分かりません。卓球は、練習では成長しきれなくて、やはり試合を通じて強くなるので、何かのきっかけになる大会になってくれたらいいなと思っています。地元、鹿沼市を盛り上げられたらという思いもあるし、若い選手たちが参加して、友達を作ってもらえたら嬉しいです。平野早矢香杯の大会前日に行う卓球講習会では、私が質問を受ける時間も入れたりして、皆さんに喜んでもらえるように毎年色々試みています。
先日ドイツで行われた世界卓球の試合を現地で解説されてましたね。
印象に残っていらっしゃる試合はありますか?
まず、衝撃的だったのは張本選手(張本智和選手)の活躍ですね。将来的には強くなる選手だと思っていましたが、まさか今回水谷選手(水谷隼選手)に勝つとは予想していなかったので本当にビックリしました。張本選手の凄いところは、若手の勢いだけでなくてすごく頭のいいところです。卓球は相手のある競技なので、自分の力を出し切ったからといって必ずしも勝てる競技ではありません。相手との読み合いや駆け引きがあります。普通駆け引きの上手さで相手の勢いを崩して勝っていく闘い方はベテラン選手がすることなんですが、試合の勝負ポイントをちゃんと彼自身が分かっていて、絶妙なタイミングでタイムアウトを取ったり、大事なところで勝負をかけたり、というのがあの年齢でできるのがすごいんです。
そして、佳純(石川佳純選手)と吉村選手(吉村真晴選手)との混合ダブルスでの金メダルが印象的でした。結成して6、7年経つのかな。佳純はまだ24歳で若いとはいえ、ベテラン組。世界一になるというのは誰もが願っていてもなかなかできることではないですし、ほとんどの選手が世界一になれずに終わって行く中で、結果を出すというのは本当にすごいことだと思います。また、今回負けてしまいましたけど、水谷選手が終わった後、すばらしいコメントを残して、その後も張本選手の試合を観覧席から立ち上がって応援をしていて。そこに張本選手が観覧席に向かってガッツポーズするというシーンを見た時は、すごく感動的でした。メディアはどうしても若手選手の活躍に注目するけれど、ベテラン選手の負けた後の行動や姿を若手は見ていますからね。水谷選手の先輩としての姿にも出来たら目を向けてもらいたいなと私は思います。普通はできないですよ。水谷選手はあの大会でメダルを期待されていた日本のエースでリオオリンピックの銅メダリストですからね。張本選手に負けてものすごく悔しいはず。負けてみじめにも感じているかもしれない中、そういう思いを抱えながらも、日本チームの一員として一生懸命応援する姿は本当に心を打たれました。
選手の複雑な気持ちを理解できるからこその視点ですね。
ベテラン選手は、結果を残さないと次に使われない。そのプレッシャーというか心理状態の中で一戦一戦を戦っているんです。勝負の世界というのはある意味残酷ですよね。私達もロンドンオリンピックで、初めて団体戦でメダルを取って高く評価をされましたけど、北京の悔しさがあって、それ以前の大会では団体戦がなかったわけだから、もし団体戦があればメダルを取れた選手もいたかもしれません。色んな先輩方が作ってきた歴史があって、今に繋がっていると思うんです。OBとしてそういう気持ちは忘れずにいてもらいたいなというのはありますね。
私は現役時代、「試合に出られない人がいる」というのが常に心の中にあったんですよ。例えば、北京オリンピックに私は出られましたが、そこに行くまでに一緒に戦ってきた人たちがいます。同じミキハウス所属の先輩でも一緒に切磋琢磨してきた中でオリンピックに出られない方もいたんです。その人達の分まで頑張らなきゃいけない、と常に思っていました。気を遣うという言葉では変かもしれませんけど、オリンピックに出るまでにどれだけ大変な練習を重ねてきて、そこまでしてきて出られなかったらどれだけ悔しいかというのはよく分かります。だから引退後に解説などで試合を見る時、どうしても勝った人だけでなく、負けた人のことも見てしまう自分がいるんです。もしその後の試合にその人が出られなくても、誰もが目標に向かって努力したことがとても価値あるものだったと思えるように、勝った選手はその人の分まで頑張らなきゃいけない。特に世界レベルの大会に出場するには、そこに至るまでに関わる人数が非常に多いですからね。オリンピックに出たいと思っても出られない人の方が圧倒的に多いんです。
ぎりぎりの勝負で勝ってきた現役時代
平野さんと言えば、ロンドンオリンピックでの女子団体銀メダルを獲得した試合が非常に感動的で印象に残っています。チームとして工夫されたことは、何かありますか?
今思い出してもすごくいいチームでしたね。愛ちゃん(福原愛選手)が23歳、佳純が19歳。私が27歳で4歳ずつ離れてるんです。今回を逃したらこの先一生メダルを取ることはできない、という思いでした。三人ともすごく調子が良かった。その前の4年間、みんなロンドンでメダルを取るというのを目標でずっとやってきたので、思いも一つにできたし、自分達の力を出し切れました。
愛ちゃんも佳純も二人とも色々経験していたので、私が特に先輩として声をかけることはあまりありませんでした。でも銀メダルを決めたあの準決勝のシンガポール戦、本当は私と佳純じゃなくて、愛ちゃんと佳純がダブルスを組む予定だったんですよ。それが、前日の夜に変わったんです。突然監督から話があって、正直私もダブルスを練習してきたわけではないから強い自信はありませんでしたが、監督がそう仰るなら頑張ります、ということで。その後、私と佳純で先に選手村に帰ってきて相手チームのビデオを見て攻め方などを研究して。次の日も朝練習にいって、シンガポール側も日本がこのペアでいくとは思っていないから、ばれないように練習しました。佳純が寝てから愛ちゃんが帰ってきて、愛ちゃんと話していたら、「自分がもし落としちゃったらどうしよう。シングルでやる心の準備が出来ていない。。。」というので、「ここまで来たら誰が勝とうが誰が負けようが文句なしだし、みんな力を出し切るだけ。そもそもうちらは第二シードをもらえたけど、相手のシンガポールは前回もメダルを取ってるからこっちが挑戦者。気にせずぶつかっていくしかないよね」って話をして、その日は寝たんです。そんな風に前日に変わるというのはほとんどないことですが、結果的にそれが良かった。個人戦ではできないことでも、チームがまとまってできることがありますよね。喜びを分かち合えるという素晴らしさもありますし。私は世界卓球でも団体戦でしかメダルを取れてないんですが、チーム戦で自分も強くなれたし、いい思いもさせてもらいました。
現役時代、平野さんは「卓球の鬼」と呼ばれていて、メンタルも強いイメージがあるのですが、何か特別にされていたことはありますか?
いやあ弱いですよ(笑)。でも、私はギリギリの勝負で勝っている事が多いから、勝負強い、みたいなイメージがついたのかもしれませんね。写真とか見ると本当怖い顔でやってますし(笑)。本来、性格的にも気持ちが弱くて、小学校の時には「早矢香はもうちょっと気持ちを強く、そんな優しい感じじゃだめだよ」みたいに言われることもありました。負けず嫌いとか、諦めない、とか粘り強い、というのは昔からありましたけど、元から緊張しないとか、競った場面でも強気のプレーをするというタイプではなかったですね。勿論経験していく中で変わった部分はあると思うんですけど、むしろびびりで。引退の最後の最後まで、練習試合ですら、試合の前にトイレ行きたくなっちゃうタイプでした(笑)。
ギリギリの勝負で勝った時はどんな心持ちでいらしたのですか?
1回逃げてしまうと、この先ずっと逃げ続けなければならなくなるから、逃げるのだけはやめようということですかね。勝っても負けてもしっかり向き合って自分の力を出し切ろうと。「逃げない」っていうフレーズが頭に浮かんできたのは、ミキハウスに入社して、初めての全日本選手権の時でした。入社当時、全日本選手権での優勝と世界ランク50位以内という目標を立てて1年間練習してきたんですが、試合の直前に調子が悪くなってきたんです。だから大会の入りは良くなかったんですけど、徐々に落ち着いてきて、準決勝も決勝もどちらも逆転勝ちをすることが出来ました。その時に、1年間かけてきたから、その大会にかける思いが強くて。決勝戦、本当ぎりぎりでマッチポイント取られていたんです。でもここで逃げたら、この先ずっと逃げ続けなければならなくなるから、逃げずにやろう、逃げるのだけはやめようってパッと試合中に頭の中で浮かんできたんです。試合中は普通、戦術のことを考えているんですが、その時だけはふとそんなことが頭に浮かんできたのをよく覚えています。
それと、中学生ぐらいから、自分の考えを整理するためのノートを書き始めました。メンタル的なもの、技術的なこと、気になった本の言葉だとか自由にたくさん書いていて、書かなければいけない、というルールはあえて作っていません。でも基本的には反省点を書いていることが多いですね。これをこうやったら良かったとか、もっとこうしなければならない、とか良くなる方法はどうかとか。体の使い方やコーチの言葉とか。一時期はプラス思考になるために、寝る前に自分の良かったことを3つ書く、ということをやった時もありました(笑)。本当だったら読み返す方が良いと思うんですけど、それはほとんどやりません。でも自分の考えが整理できるのは良かったと思います。ノートが全部で何冊になったのかはちゃんと数えていませんが、この前見たら20冊ぐらいは溜まっていました。
現役時代を振り返って思うことはありますか?
その時その時に自分が一番いいと思ったことややりたいことを自分の限界まで挑戦したと思っているので、振り返れば自分の実力よりももっといい結果が出せたかな、と思っています。本当自分のように、全く才能やセンスがない子を沢山の人がしぶとくここまで指導をしてくださって、ありがたいです。
現役引退を考え始めた時期、実はすごく辛かったんです。極端な言い方をすると、自分が1回死ぬ感覚でした。ずっと卓球しか考えてこなかったし、卓球が全ての中心にある生活をしてきたので、自分の人生が一度終わるような感覚がありました。引退を考えるのは苦痛で、本当に気持ち良くやめられる日があるのかな、と思うほどで。正直やめるというのが逃げているみたいな気がしたというのもあるんですよね。本当はできるのに目を背けているだけじゃないかとか、自分で線を引いているだけじゃないかと思ってしまったり。でもそんな時、為末大さんの『諦める力』という本にたまたま出会って、その本のおかげで「見極めの大切さ」に気づいて、自分が思っているところに挑戦できないからここが線を引くところなんだ、と。納得してやめることができたので、今は本当後悔もありません。ロンドンオリンピックでメダルを獲得して、一番いい時期に引退をした方が良かったのではと話をされる方もいましたが、リオまでやらなかったら、自分が色んなことを経験できなかったし、出られなかった人の感情も感じられなかったので今思えばすごく良かったんです。2014年の世界卓球は自分ですごい納得のいく試合が日本でできたので、ロンドンでやめていたら、やはりその試合は経験できなかったわけです。そういう意味ではいい時期に引退できました。
全力を尽くして向き合うことで新たな道が開ける
やりたいことリストを手帳に書いていらっしゃるとお聞きしたのですが、今後どんなチャレンジをしていきたいですか?
現役時代とは違う世界をもっともっと広げていきたいし、プライベートでできなかったことをたくさんしていきたいです。最近、太らないためにヨガを始めましたよ(笑)。それと、仕事の状況もあるのでタイミングを見ながらですが、大学院は必ず行きたいですね。私は大学も行っていないので、大学院へのチャレンジはハードルが高いのですが、いつかは行って勉強をしたいと思っています。スポーツは必ずしも強くなることが全てではなくて、スポーツを通して学べるものはもっとたくさんあると自分の経験から感じたので、スポーツがどう人を成長させるか、人間形成にどう関わるかというのを大学院に通う時にはメインのテーマにしたいんです。トップ選手にも、スポーツを楽しんでいる人にも役に立つものにできたらいいですよね。あとは将来的に自分がどの道に進むかまだ決めていないので、それこそいつか結婚して子どもを産んだら子どもがかわいすぎて仕事をやめるかもしれませんし、その時々で変わっていくこともあると思います。本当引退してこの1年間で自分の考え方もすごく変わりました。だから、この10年ぐらいの間で最終的な方向性を決めて行こうと今は考えています。今はやりたいことがたくさんあって、それこそ第二の人生のことを考えたら、もっと1年ぐらい早くやめても良かったかな、と思ったり(笑)。
チャレンジしたいことがたくさんあるから、平野さんは今本当にいきいきしているんですね!
現役を引退して、自分が発信していくことで人に何かを感じてもらうことがあると気づいたのは大きかったです。例えば卓球の講習会にしても、そこのチームの先生が私と全く同じようなことを言っているのに、世界の舞台でたくさんの経験をしている私の言葉だからこそ、選手の中に入っていきやすいということもあるんですよね。本当は誰が言っても正しいことは正しいし、いいことはいいこと。でも自分が発言することで、誰かの心に届くことがあるんだと感じて、自分の経験を伝えていくことに意味があると思うようになりました。
私は卓球を通して、その時、その時に全力を尽くして向き合うことで、新たな道が開ける経験をたくさんしたので、皆さんにも、今ある仕事やチャレンジに全力で向かうことが決して無駄ではなく、後々必ず良いことに繋がるんだということを、自分の経験から講演などでもたくさん伝えていきたいです。
現役の選手たちは日本の中での競争率も激しくて、そういう意味では大変だと思うのですが、自分も引退して、「今卓球、すごいよね!」と言われるのはとても嬉しくて。卓球界がもっともっと盛り上がる環境にしていくために、自分も何かが出来たらと思っています。
――企画・編集:江本千夏/鈴木ちづる
平野早矢香/ロンドンオリンピック卓球女子団体銀メダリスト
1985年3月24日生。栃木県出身。幼稚園の時に両親の影響で卓球を始め、仙台育英学園秀光中学校・仙台育英学園高等学校に進学。高校卒業後にミキハウスに入社し、その才能が一気に開花する。入社1年目で全日本選手権を初制覇。さらに2007年度から全日本選手権3連覇を達成し、通算5度の優勝を誇る。また2008年北京オリンピックに出場し、団体戦では惜しくも銅メダル獲得を逃す。しかし、2012年ロンドンオリンピックでは、団体戦にて日本卓球史上初の銀メダルを獲得する。世界選手権は14大会に出場。なかでも2014年東京大会では団体戦にて銀メダルを獲得。世界を舞台に活躍を続けるが、2016年4月9日に行われた日本リーグ・ビッグトーナメント佐賀大会にて現役引退。引退後はミキハウススポーツクラブアドバイザーとして後輩の指導にあたると同時に、講習会や解説など卓球の普及活動にも取り組んでいる。
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引退から1年、「卓球の鬼」と呼ばれて、平野早矢香自身はどう感じていたのか?選手時代の心情と、現役を引退した今だから言える本音……。アスリートが感じた悩み、喜び、迷い、達成感、すべてが詰め込まれた一冊!「 生きていくための勇気 」「 強くなるためのヒント 」が詰め込まれています。
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