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コラム 人権・福祉

2013年12月20日

激戦のシリアに暮らす家族

 東日本大震災が発生した2011年3月。同じ月に中東にあるシリアでは独裁政権を敷くアサド大統領打倒をめざした内戦が勃発しました。あれから約2年と10ヵ月。シリアではいまだ混乱が続き、約12万人もの方々が犠牲となり、全国民の約半分に迫る1000万人近い避難民が国内外での避難生活を余儀なくされています。私はシリア北側に位置するトルコ側からシリア情勢の取材に入りました。

 

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シリアの周辺には東側にイラク、北にトルコ、西にレバノン、南にヨルダンが国境を面しています。そしてそれぞれの国々がシリアから逃れてきた避難民の方々を数十万人単位で受け入れていました。国境を超えて逃れてくる避難民の多くが子供たちと女性、そして老人ばかりでした。国境近くに設営された避難民キャンプ地ではテント暮らしを余儀なくされ、食料や医療、毛布が不足している。どのキャンプ地もシリアに戻りたくても戻れない家族の姿で溢れかえっていました。キャンプ地のゲートには各国の武装ジープが越境してくる兵士や武器の流入に目をひからせていました。

 

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 シリア北部に隣接するトルコからシリア側への取材に飛び込むとき、たくさんの避難民の方々が乗り合いバスやボロボロとなった乗用車で脱出してきていました。そこでは命からがらに子供を抱きながら車から降りてくる母親や、巨大な家財道具を車に詰め込んだ父親が我先にトルコ側に脱出を試みていました。難民キャンプ地で暮らすだけではなく、隣国に暮らす親戚や知人を頼りに手探りでの暮らしを余儀なくされる家族も目にしました。誰しもがこう言います。「アサド大統領による虐殺は認めない。でもシリアは愛している。だからこそ戦争が終わればすぐにでも祖国に戻ります。」

 

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 シリアでの内戦を自分たちでは止めることができない今、世界の声が求められていました。もともとシリアは語学教育が盛んな地域であり、世界遺産も多数存在します。かつては日本からもたくさんの観光客が足を運んでいた魅惑の国シリア。その国がいまは悲しみの惨劇に覆われている。シリアの内戦を止めていくことができるのは、世界各国の支援と協定であると叫ばれていました。戦争の犠牲者はいつも子供たち。シリアの激動は悲しみの連鎖を引き起こしていました。

渡部陽一

渡部陽一

渡部陽一わたなべよういち

戦場カメラマン

1972年9月1日、静岡県富士市生まれ。静岡県立富士高等学校 明治学院大学法学部卒業。戦争の悲劇とそこで生活する民の生きた声を体験し、世界の人々に伝えるジャーナリスト。 世界情勢の流れのその瞬間に現場…

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