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2011年12月19日

私が考える障害、そして社会のあり方(2)

 秋が深まり、紅葉が美しい季節となりました。それにしても冬への渡り廊下が年々短くなっていると感じているのはぼくだけでしょうか。
 今回は障害について考える第2回です。特に共生について考えてみたいと思います。

「真の共生とは?」
 共生という言葉をきいたことはあるでしょうか。障害者など社会的な少数派と共に生きることを指しているようです。
 英語ではインクルージョンとか、ノーマライゼーションなどと表現されることが多いと思います。
 辞書、辞典で調べてみればいろいろな答えがあるかもしれませんが、ぼくが考える共生について書かせていただきたいと思います。
  現在も社会には障害者や外国人など少数派の方々も存在しているのですから共生社会は成立しているように思われるかもしれません。しかし、ただ社会に存在しているだけで本当に共生といえるのでしょうか?
 障害のある方々に対して、なかなか理解が深まらない現状が見られます。その理由を考えてみました。それは障害というものを自分自身が経験していないことにより、障害という自らとの相違点に注目してしまうからではないでしょうか。障害のある方とは、ここが違うとか…実は、相違点ばかりに目が行くのですが、共通点の方が数倍多く存在しているのです。
 ぼくは視覚障害者です。それと同時に日本人ですし、今を生きています。男性ですし、妻も子どももいます。いかがでしょうか。ぼくとの共通点はたくさんあることでしょう。
  そういうことであれば、ほんの一部の相違点を個性であるとか特徴なのだととらえ、それぞれの良さを生かしあえる社会を構築していくことが大切なのです。だからこそ、ぼくの考える共生とはお互いのよさを共に生かしあえる社会でなければならないと考えています。

「共生社会の実現に向けて」
 そのような共生社会を実現するためにどうすればよいのでしょうか。先ずは「知ること」ではないでしょうか。
 ぼくたちは命があり、生きています。だから、いつの日にか必ず死が訪れます。それと同様に生きているからこそ、けがや病気にかかる可能性は誰もがあります。もちろん、禁煙をしたり、適度な飲酒、スポーツ活動の実施などにより、リスクは軽減されますが、可能性を0にすることはできません。その1つとして、身体障害者の大半が65歳以上の高齢者の方々であることからも明らかです。
 さらに、障害者にも身体障害、知的障害、精神障害などの区分があります。これらを含めての総称が障害者ということがいえます。現在ではLDやADHDなどの発達障害も含めれば本当に多くの方が何らかの障害があると行っても過言ではありません。その数はおよそ1000万人ともいわれています。

 障害者というと、この本人事態に障害があり、不自由なのだという考えがこれまで大勢を占めていたと思います。しかし、現在では障害というものが個人の中にあるものではなく、社会の中に存在しているという考えが広がってきています。
 たとえば、車いすを使用している方が買い物に出かけたとき、店の入り口に段差があって買い物ができなかったとします。この場合、車いすを使用している方の下半身に何らかの障害があるという考えが前者の考えです。それに対して、買い物ができないのはお店に段差という障害があるからだという考えが後者になります。
 これまで述べてきたように誰もが障害者となる可能性を秘めている以上、自分や自分の周囲の方々が障害者となって気づくような社会はとても悲しいことです。

「環境によって障害は変わる」
 バリアフリーやユニバーサルデザイン(略してUD)という言葉を耳にされたことはありますか。現在では教科書にも用いられるようになった言葉でもあり、認知度も上がってきています。先に述べたように社会の側にある障害(バリア)をなくしていこうという考えがバリアフリーであり、誰もが使いやすいデザインという考えがUDです。この場合の「誰もが」には障害者はもちろんのこと、子どもや高齢者、外国人の方々も含むのが特徴です。
 このような考えはまだまだ新しい考え方かもしれませんが、これらの考えが当たり前となることが強く望まれます。
 なぜなら、バリアが存在しているから「バリアフリー」を声高に叫ばねばならず、誰もが使いやすいデザインでないものがまだまだ多いからUDを広めていかなければならないのです。
 そう考えたとき、これらの言葉が使用されなくてもよくなるほどにバリアがなくなり、誰もが使用しやすいものばかりになれば、自然とバリアフリーやUDという言葉がなくなっていくのではないかと思っています。これもぼくにとっての大きな夢の1つです。
 もしも夜中に停電がおきたとしたら…皆さんはどうしますか?懐中電灯やろうそくなど光を探すのではないでしょうか。それに大して、ぼくはどうでしょうか…昼間でも光が必要としていませんから、夜に停電で光がなくなったからといって、困ることはないのです。むしろ、1人暮らしをしていたころは帰宅しても電気をつけない生活をしていました。今、節電が言われていますが15年以上前からぼくは実践していたことになります。
 こう考えてみると見えていて不便さを感じていなかった方がとても不自由さを感じているのに対して、ぼくは不自由さをまったく感じない環境があるのです。立場が逆転してしまうこともあるのです。このように障害というものは環境によっても大きく変化するということも気づかれるのではないでしょうか。
 このように障害について知っていただき、障害について考えるということは、日本だけでなく世界が超高齢社会を乗り越えていくヒントを与えてくれると信じています。

河合純一

河合純一

河合純一かわいじゅんいち

パラリンピック競泳 金メダリスト

生まれつき左目の視力が無く、少しだけ見えていた右目も15歳で完全に光を失いました。それまで見えていたものが全く見えなくなることは中学生の私には大きな衝撃でした。しかし、私には幼い頃からの二つの夢があり…

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