2007年11月01日

大人として必要なこと

今回はいつになくタイムリーな話題に触れたいと思います。ボクシング亀田大毅選手の反則行為に対するここ最近の一連のニュースを見て、私はふと自分の中にある疑問が湧いてきたのです。

「物事の善悪の判断は誰がするのか?親?子供?」

そもそもなぜこんな疑問が湧いてきたかというと、私は今精力的に取り組んでいる活動の一つに学校キャラバンがありますが(この連載でも、何度か触れさせて頂いております。)、その講演の際に話す内容と、今回の一件が関わってくるからなんです。

「子供は人生経験が浅い分当然知らないことが多いから、身近にいて経験者である大人といっぱい話をすることで、困難に出会ったときの対処法を学び、考え、記憶する機会を持とう。」というお話をしています。

私の実体験を具体的に言いますと、特に母親との会話を子供の頃から多く取っていました。母親が時間をかけて上手く話を引き出してくれていたのだと思います。そして、その会話からは多くのことが生まれました。「今日どうだった?」という質問から始まり、その日一日の自分を振り返りながら、今日どんなことで喜びを得、またどんなことが出来なかったかをしっかりと理解して、明日には目的を持ってその課題に向かうというサイクルができました。

母親の与えるヒントを基に、一つずつ考えを積み上げていく作業は、自分一人では乗り越えられなかったであろう壁に堂々と向かっていける原動力となりました。そしてそれで放置するのではなく、子供である私が取った行動の結果がどういう結末を迎えたかまでを最後まで見届けてくれました。「自分は一人じゃない。どんなことがあっても側で守ってくれている人がいる。」と感じられる愛情は、子供にとってこの上ない心強さになります。それを実感することができたので、このお話をさせて頂いています。

しかし言い方を変えれば、いつも親がヒントを与えてくれていたお陰で私は救われましたが、ではヒントを与えてくれるはずの親のヒントが大きく間違っていた場合、子供はどの時点で物事の善悪の判断が一人でできるようになるのでしょうか?善悪の尺度は言うまでもなく人によって違うもの。究極何が正しく何が正しくないか、などとは言い切れることなど一つもないという前提でしか語れませんが、そうした尺度を形成するにあたり、親の影響が大きいということは、間違いないのではないでしょうか?

亀田家に置き換えて考えてみましょう。亀田家の父親は、父親という役割だけでなくボクシングのトレーナーでもあります。アスリートとして必要な体作りから、体力に伴って必要な不屈の精神の養成、また人としての躾、この世の善悪の全てを教えるという大変な作業を一手に引き受けていた訳です。その関係性の中で築き上げられた彼ら一家の絆は、テレビ画面からも十分伝わってきました。ヒール役として大口を叩き、世間に揶揄されようが、きっと父親が防波堤にもなったことでしょう。陰では、母親もどういう形であれ、支えていたのかもしれません。

ある意味、亀田家の子供達は普通以上に親に対して、兄弟に対して、素直で従順だと思います。互いを認め合い一心に信じあう、素晴らしい信頼関係だとも言えるでしょう。しかし、信じあった先に生まれたのが今回の騒動だとするならば、少し悲しい気がします。親の判断、そして子供が個人の何かを判断をするタイミング...非常にセンシティブで難しい問題だなと感じました。

子供にとっては、道標ともなる親の背中。親の生き方に強さを感じられると、子供は尊敬してそれについていくものなのかもしれません。少なくとも私は幸運にも両親の背中を見つめ歩んでこれたと思っています。当たり前のようで、当たり前では決してない。そういう状況に自分がいれたことは、本当に感謝しなければならないことだと感じます。そして両親がその背中に大きな責任しょって導いてくれたことを、私は忘れてはいけないと思います。

人それぞれに違う環境で、違う感性が育っていくので、大人になってから子供にする教育論も千差万別は当たり前ですが、家庭内の教育は時に非常に難しい問題になりうるのかな、と今回の件では感じました。亀田家のケースは私自身、こうしたことを考え直すきっかけとなりました。また言うまでもなく当然様々な事情がありますから、親がいるのは当たり前という発想は決してすべきではないとも思います。しかしどんなケースであれ、子供は大人から学び、自らも大人になるものです。純粋で疑いを知らない子供の心に何を残すか...。間接的ではあっても子供たちを前に講演をするという役目を持たせていただいていることに、改めて身の引き締まる思いを感じています。

私はまだ子供がいませんが、いつかは親になるであろう日のことを思いながら、自分の親が追ってくれた責任の大きさ、自分が将来親になるときに抱えるであろう責任の大きさについて、いろいろ思いを巡らせています。想像は乏しく、むろん子供を持ってみなければわからないことだらけでしょうが、人間、本当に一生勉強なのでしょう。