2007年06月01日

「SHANGRILAⅢ」~心を開く

壮大なスケールで繰り広げられる「ユーミンスペクタクルSHANGRILAⅢ」。現在、私はその中でシンクロスイマーとして出演し、舞台を完成させるためのリハーサルに参加しています。リハーサルは、ロシア語、フランス語、英語、そして日本語の4カ国語が飛び交う中、試行錯誤しながら進んでいます。まさに国境を越えた一大エンターテインメントプロジェクトなのです。

望んでも叶うことの方が少ないような素晴らしい環境にいられることを、心から感謝しなければなりません。国が違うキャストや、スタッフの方々と生活を共にしながら、一つの作品を作り上げる取り組みは、毎日が衝撃的です。それは自分の人生観をも変える出来事になっていると言っても過言ではありません。

今回の武田ビジョンは、スタートを切ったばかりのリハーサル前半戦で、「私の受けた衝撃!」をいくつかご紹介します。またこれを私自身の経験だけに留めず、多くの皆様にとって何かしらの人生のヒントになるのではないか、という願いを込めつつお話を進めたいと思います。

この環境に飛び込んでまず感じたこと。それは、舞台に関わる全ての皆さんが、とにかくクリエイティブなことです。イメージに限りなく近づけるために、何度も打ち合わせと動きを繰り返し、良い提案が出れば、打てば響くように誰かが反応を返す。「えーっと...」などと考えている暇はありません。感性と感性のぶつかり合いで、妥協をせず、お互いにどんなオーダーが来ても瞬時に何かを提示できる引き出しを持っていないと、その場から取り残されそうなスピード感です。しかも提示したものは、出した時点で完成度が高い状態でなければいけません。私は焦りを感じました。

私が選手時代に指導をして頂いていたコーチは、決して妥協のない厳しい方で、指導に対しての反応もスピードが求められました。ここまでは全く同じです。しかし、今回は何がどういう風に違うのでしょうか。自分の焦る心の理由を考えてみました。

私に必要なのは、さらに多くの<自ら生み出す力>、つまりクリエイティブ能力でした。選手の時は、幼い頃から私のことをよく知って下さっているコーチが、持ち味、良さを上手く引き出しながら技術指導をしてくださり、私はその指導の下、よりよいものに修正・変更していくという取り組み方でした。

ときには求められるものが限界以上のものだと感じ、苦しいこともありましたが、「真っ直ぐか真っ直ぐでないか?」や、「同調しているか、していないか?」を採点される競技のため、それを客観的に見て下さるコーチの言葉を全面的に信じ受け入れ、出来なくても挑戦し続け、その経緯を経て、ようやく自分の動きにすることができました。

もちろん受け入れるばかりではなく、想像力や感性が自ら磨かれていなければ、言葉のニュアンスの微妙なところは狙えませんが、人と人の関係は選手、つまり私が受け入れる側にいることが多かったのだと思います。この関係を私は全く否定的に捉えていません。むしろ師を重んじ和を尊ぶ日本文化を背景にしたとき、教育や指導の一つの形とされるのではないかと思います。

しかし今、私は言語も違えば文化も違う人々が集まる中、競技スポーツではなく芸術の領域にいます。作品の世界観を演出家とのコミュニケーションによって共有し、その共有したイメージをふくらませて最も魅力的な動きで表現することが求められます。この舞台で輝きたいのならば、躊躇はしていられません。自分が一番魅力的に見えることをとことん分析し、臆病にならずに、それを体の外側に出していけるようにしなければなりません。体の外に出すときは本気でなければいけません。人は、その人が出す「本気」を感じ、本気だからこそ見える本物の美しさに納得するものだと思います。

こんなことがありました。パンフレットの撮影をしたある日のことです。撮って下さるカメラマンの方がなんとも不思議なのです。シャッターを切りながら、ポーズを決めていって下さるのですが、「こうしてみて」「次はこう」という言葉のかけ方やリズムが独特で、初対面とは到底思えないようなものすごい親近感を感じました。それにもかかわらず、私はまたしても、もったいないことをしてしまったと感じることがあったのです。

こんなに人の心にすっと入ってきて下さるカメラマンの方だったのに、やっぱり自らを発信できませんでした。完全に受け手に回ってしまいました。自分に似合うポーズがわからず、「こんなのはどうですか?」と出せませんでした。自分が撮り終わって、他のキャストのポーズをポラロイドで見せてもらったり、撮影中の姿を見たりしたときに、それに気づいたのです。やはりみんなアーティストです。自分の見せ方を知っています。日本女性の奥ゆかしさや恥じらいは、その場には不要なことでした。同じくアーティストとして参加しているのですから、国や文化は関係なくもっと自分を開放して自分の魅力をよく知った上で撮影に臨むべきだったととても後悔が残りました。

私は「心を開く」という言葉が好きです。そうすることで色んなことを感じ、多くを吸収し、また持っているものを出して形にする喜びが生まれるからです。恥ずかしいことに、これまでの自分は「私はオープンマインドの方だろう」と誰との比較でもなく、勝手に思い込んでいました。しかし全く見当違いでした。では今、私が開いている扉は一体どれぐらいなのでしょうか?

一緒に過ごすキャストやスタッフの皆さんを改めて見つめてみると、普段はそんなに周りの人に向かってビーム光線のように魅力を発信していることはありません。しかし、いったんスイッチが入ると、その威力はすごいことを知りました。リハーサルに入ってからの些細な出来事で感じたことをお話してきましたが、アーティストとしてだけではなく、人生という長いスパンで自分を見たとき、心を本当に開いていないと、人と人との関係が一方通行になり、掴みたいチャンスを逃がしてしまいます。チャンスと気づかず見逃しています。「損をした」などと悔やむことのないよう、自信を持って自分を出せるように、まずは、もう一度自分について知る作業が必要だと実感しました。早速、取り組みたいと思います。