2009年06月10日

教育を考える<教師との信頼関係>

 最近、新聞を読んでいて胸を撫で下ろすどころか「当然だ」と思わず叫びたくなるような記事を目にした。

 事のあらましは、平成14年熊本県天草市の小学校で男性の臨時講師が休み時間に、小学2年生の男児が女子児童を蹴った事を注意したところ、その教師の尻も蹴って逃げたというのだ。そこで教師はその男児の胸元を掴んで壁に押し付けて叱った。当然の話だと思う。

 しかし驚いた事に男児の親が「体罰に当る」として訴訟を起した。1、2審は体罰に当たるとしたが、最高裁は「体罰に当たらない」という判断だった。

 この問題について私なりに考えてみた。
そもそもこの男児は教師に叱られたその日に自宅に帰り、親に何と説明したのだろう。そして、この親は自分の子供に対して先生がどうして胸元を掴んで壁に押し付けてまで叱ったのだろうかと考えてはみなかったのか。
この親はもう少し謙虚な姿勢でこの件を考えるべきではなかったのか。

 子供の言い分と教師の叱り方を照らし合わせてみて、どうしても納得がいかないのであれば、教師の説明を聞いてみる事が先だったのではないか。落ち着いてそう言う作業をしてみることによって、教師の叱り方が行き過ぎているのか。それとも自分の子供が少し嘘をつくところがあるとか、話しを大袈裟にするところがあるとか、今まで見えていなかった事が新たに発見できたかも知れないと思うのだが、どうだろう。

 一昔前だったら、学校に帰ってからもう一回カミナリを落とされた事だろう。また、そう言う親が殆どだったと記憶している。私は小学校の頃は、ほぼ毎日先生に1度は叱られていた。その時、何が一番不安だったかと言うと、先生が我が家に言いつけに来はしまいかと言う事だった。遊びから帰って来て、夜寝るまでの間に父親にも叱られるのではないかとドキドキしていた。

当時はどこの親もそうだったと思うが、ようするに教師を信頼していたのだ。教師は敵ではなく、出来の悪い我が子を良い方向に導いてくれる尊敬すべき人だったからだ。
 
 はっきり言ってこんな事で訴訟を起されたら、教育現場で汗をかいて奮闘している教師達は堪ったものではない。それこそ今以上に萎縮してしまい子供を「腫物」にでも触るように接しなければなるまい。
親が子供の前で教師の悪口を言い、それを聞いた子供は我が意を得たり、と更に増長する悪い連鎖をこの機会に断ってしまわなければならない。教師のみなさん。これを機に胸を張り、誇りを持って登校下さい!

 私はその記事を読んで、自分の子供がこれまでいかに先生方にご迷惑をかけてきたかと思うと、先生方に対して感謝の気持ちと申し訳なさで心が萎縮する思いだった。

私は講演で学校に伺う事も多いのだが、自分の言葉や経験が何かの形でメッセージとして伝わってくれるとありがたい。