2003年08月05日

倒れた父がはじめて見せた笑顔

 「トオル...キテクレナイカ...カラダガ...ウゴカナインダ...」

 今年3月初めの昼過ぎ、家の電話が鳴った。取った瞬間、父の異変に僕は気づいた。言葉もはっきりと聞き取れない。

 「...お母さん一階にいるでしょ。救急車呼んでもらって!」

 電話を切ったあと、私はすぐに母に電話をかけ、父の様子を伝えた。私は両親と離れて住んでおり、実家では父は一人で二階に寝ている。母は一階にいるので、父の異変に気づかなかったのだ。

 二度目の脳梗塞。即入院。その日の午後、病院に駆けつけた僕はベッドに寝ている父を見て唖然とした。

 「まさかこんなことになるとは...」

 その後、父は山梨のリハビリ病院に3ヶ月入院し、6月30日に退院してきたが、右半身に麻痺が残った。右手は物をつかむこともできず、右足もいうことを聞かない状態だ。杖をつき、足には装具をつけ、手すりをつたってようやく数メートル動ける状態だ。

 仕事一本で頑張ってきた父。まだ68歳と若い。好きなゴルフや趣味の蕎麦打ちも、もう出来ないかもしれない。せっかく頑張ってきたのに、なんて不運なんだろう...。

 どんなに言葉ではきれいごとをいっても、「ついてない。かわいそうに」と思う人はいるはずだ。正直、自分も最初はそう思った。

 しかし、父がこうなってよかったことが実はたくさんあるのだ。
 まず、家族の会話がはじめて生まれたこと。お恥ずかしい話だが、両親はとても仲が悪く、10年以上もまともに口を利かない、家庭内離婚状態だった。私はいつもお互いのことをけなしあっている両親の狭間で生きてきた。家族3人で笑った記憶はひとつもない。家族が3人揃うといつけんかが始まるかとびくびく怯えていた。

 だが、今回父がこうなり、父にはっきりこう言った。

 「なんでそんなにお母さんを憎むの。面倒見てくれる人いないんだから、もっと大事にしなきゃだめだよ」

 この言葉が少しは身にしみたのだろう。入院したての頃はまだ横柄で傲慢さがあり「面倒みてくれて当然」という姿勢があったのが、いまはだいぶ角がとれて丸くなってきた。

 私はサラリーマンで社長にまでなった父を仕事人としては尊敬してきたが、一人の人としては尊敬できなかった。たとえ社長になり、外ズラがよくても、母との関係はめちゃくちゃだったからだ。

 でも、自分の身が不自由になって、はじめて人間としての父親が見れた。笑う父、子供に向かって「ありがとう」を言う父、母となにげない会話をかわす父。家族3人でファミレスにいって「おいしかったね」と父がいうのを聞き、私は熱いものがこみ上げてきた。こんなたわいのない会話をかわしたことが一度もなかったからだ。

 両親が病気で倒れたり、突如災難がふりかかったり...。自分ではどうしようもできない出来事が人生では起こる。でも、人生に事実などない。あるのは解釈だけだ。今回の父の脳梗塞でつらいことはもちろんたくさんあるが、良かったことだってたくさんある。障害者手帳が交付され、自動車取得時の税金等が免除になること(大きいですよ、これは)、父の人脈の人達との新たな出会い、父の人間らしい姿をはじめてみれたこと、そしてなによりも家族の会話が生まれたことだ。

 もちろん体が以前のように自由にならないのは不自由だろう。でも今回の脳梗塞で父は、いままで見過ごしてきた人としての生きる喜びや家族のつながりを感じることができたのではないだろうか。もし父があのまま健康体でいたら、死ぬまで母と会話をすることもなく、私も父を父として認められずに死に別れただろう。きっと神様が父にそのチャンスを与えてくれたのだ。人生はうまくできている。

 いまは週に一度実家に帰るたび、入浴の手伝いをしたり、外に車で連れ出したりしている。願わくば右手、右足が元通りになるようにと祈りながら...。

 「お父さん、これからも頑張って生きてくれよ」

<今月のレッスン:起きてしまったことを嘆くより、それで手に入った喜びを探そう。>