2016年06月01日

『産む、産まない、産めない』という女性の選択

 私にとって十二冊目の小説『産む、産まない、産めない』を刊行したのは二○十四年の夏。出産をテーマにした短編集である。

 小説誌でこれを連載していたのは、さらにさかのぼること五年前。原稿を書いていた当時は、出産にまつわるあれこれを通じて、新しい家族のかたちを描けたらいいなあと思っていた。連載中、弟夫婦にダウン症の娘が生まれ、私はみっともないほど動揺した。
 出産の経験がなく(その上、結婚の経験もない)、このことであたふたするような自分が、出産にまつわる小説など刊行していいのだろうかと悩んだ。

 連載が終わり、出版社から本にするためのゲラが手元に届いても、なかなか読む気力がわかなかった。ずっと目をそらしているうちにどんどん時間が過ぎていった。他の原稿で忙しくしているうちに、数年が過ぎた。ある時、編集者から連絡があった。
「今、これを出さないと、僕としてはもう会議にかけられません。このまま葬ってしまっていいんですか?」
 数日間考えて、答えを出した。既存の七本に加え、姪のことであれこれ悩んだ自分や自分たち家族をモデルしたものを書き下したい。編集者に承諾をもらい、新しい原稿を書いて、一冊となった。
 刊行してみると、思った以上に取材依頼がたくさんあった。産む、産まない、産めない、は社会問題となっていたのだ。新刊の著者インタビューだけではなく、関連の記事への寄稿依頼コメントや対談などなど。書き始めた頃には、想像もしなかった事態である。

 この本を出した私がいうのも何だけれど。世の中の女性たちは出産に関してこんなに悩んでいるのかと、改めて驚いた。同時に、勝手に使命感を抱いた。あらゆる選択肢、あらゆる状況、あらゆる願いや可能性、それをできるだけ知って、少しでも世の中に伝えようと決めた。一度も、産みたいと望んだことがない自分だからできるのではないかと思う。私なら、現実を知って後悔することやうらやんだりすることは一切ない。

 医学は驚くべき速度で進んでいる。『産む、産まない、産めない』と書いた当時とは、選択肢も可能性も格段に増えている。つまりは、それだけ悩みも増えているわけだ。変わらないのは、女性の「産む」生き物としての年齢の限界である。

 今、出産をテーマに、第二弾の短編集を書いている。卵子凍結、男性の不妊治療、養子縁組、そして、積極的な産まない選択。第一弾の時は、タイトルで手にとったのに最後のひとつが欠けていると、ずいぶんとお叱りを受けた。

 産むも産まないも産めないも、とにかく自分で納得すること、後悔しないことが何より大切だ。ささやかながら、そのお手伝いができたらいいと思っている。