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コラム 人権・福祉

2010年04月20日

兵隊さん、こんにちは/戦火に生きる子供たちの休日

2010.4-1.jpgユーゴスラビア・コソボ紛争下に生きる子供たちに出会った。当時、コソボ自治州内にはNATO軍と呼ばれる北大西洋条約機構の多国籍軍が展開していた。コソボ自治州プリズレンという激戦の街にはドイツ軍が駐留し、市街地には最新兵器を身にまとったドイツ軍兵士の姿が目立った。このドイツ軍兵士とコソボの子供たちの交流が目をひいた。

コソボの子供たちの休日は、朝からこのドイツ軍兵士たちへの挨拶にはじまる。挨拶といっても検問所に立つ兵士たちに用もなく話しかけ、そこにある最新型戦車に乗らせてもらうことが本当の目的である。実際、ドイツ軍には子供好きの兵士が多く、手が空いているときには戦車の上に子供たちを乗せてあげたり、一緒に記念撮影をしたりしていた。戦時下といえ子供たちは見たことも無い外国人兵士たちとお話しすることが一番の遊びとなっていた。

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2010.4-4.jpgさらに子供たちが  兵隊さんに近づく  理由がもう一つあった。それは彼らにタバコやキャンディーを売り歩くこと。国内が混乱しているユーゴスラビアでは国内紙幣の価値が暴落、できるだけ外国のお金、ドイツ兵が持つ当時のドイツマルク(現在はユーロ)を手に入れることが子供たちの大切な仕事であった。仕事がないコソボではこうした子供たちの外貨収入が家計を支える大きな役割を果たしていた。
生き抜くための知恵を子供たちは遊びながら身につけていた。

2010.4-5.jpg 2010.4-6.jpgたくましく生きていくコソボの子供たち。忘れてならないのは彼らには戦場の悲劇が必ずつきまとっていること。自国のために戦い命を落とした父親、兄弟たちを弔うため、休日には決まって家族で埋葬式に参列していた。コソボでは10代後半で兵士として最前線にたち、そのまま帰らぬ人となる若者が続発しており、殉教した若き兵士たちの葬儀が頻繁に行われていた。そこには兄を亡くした小さな女の子の姿があった。
兄が亡くなったことも理解していないようで、
両親に手をひかれたまま呆然と葬儀に参列していた。

渡部陽一

渡部陽一

渡部陽一わたなべよういち

戦場カメラマン

1972年9月1日、静岡県富士市生まれ。静岡県立富士高等学校 明治学院大学法学部卒業。戦争の悲劇とそこで生活する民の生きた声を体験し、世界の人々に伝えるジャーナリスト。 世界情勢の流れのその瞬間に現場…

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