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コラム 人権・福祉

2012年12月20日

カンボジアの宝石

2012.12-1.jpg 世界では学校で自由に学べることは決して当たり前ではありませんでした。校舎がない、先生がいない、教科書やノートがない、通学路が危険すぎて通学できない、、、、、。そんな教育環境が世界にはたくさん存在していました。
経済と教育、観光業で日本とのつながりが強いカンボジア。東南アジアの中でも最も貧困に苦しむ国の一つであり、かつてのカンボジア紛争の負の遺産としていまも大量に残されている地雷で犠牲となる子供たち。ここには貧困と戦争の傷跡がいまも色濃く残っていました。

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 そのカンボジアでは今、生活環境激変の波が押し寄せています。外国から溢れんばかりの資本が流れ込み、世界遺産アンコールワット周辺には次々と巨大ホテルやショッピング通りが建設されていく。世界中から観光客が足を運び、商店では外貨が飛び交う光景が日常となっていました。もともとアンコールワットが発見されるまでは穏やかな農村地域であったこの一帯は、いまやカンボジアトップの観光地としてその名を轟かせている現状であります。

2012.12-3.jpg ただカンボジアの魅力の象徴であるアンコールワットが周辺にあっても、観光業からの恩恵をうける人たちは限られていました。農家として家族を養っていくことが地域での暮らしであり、その農業も豪雨による水害でダメージを被ってしまった。両親はともに働き、子どもたちも農作業を手伝うことはここでは普通の光景でありました。子供たちへの施しを家族の中でどれほどできるのか、ここでは裸足の子供たちが多く、制服は古着を親族で着まわしながら、学校で学んでいく。子供たちが両親の仕事を引き継ぐだけではなく自分たちで仕事を選べるように学んでほしいと先生は語っていました。こうした先生は、同じ村で学び育った、子供たちにとっての大先輩にあたる女性が担当していました。誰しもが顔見知りで、教室には先生の小さな男の子が授業中も生徒に混じってお母さんである先生の近くに座っていました。地域のつながりと家族のつながりが固い絆で結ばれている、プライベートでも学校でも皆いつも一緒にいること、これがカンボジアの学校の魅力でありました。教室で目にする子供たちの笑顔は大きな希望と優しさに満ちあふれていました。子供たちの笑顔こそカンボジアの最大の財産でありました。

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渡部陽一

渡部陽一

渡部陽一わたなべよういち

戦場カメラマン

1972年9月1日、静岡県富士市生まれ。静岡県立富士高等学校 明治学院大学法学部卒業。戦争の悲劇とそこで生活する民の生きた声を体験し、世界の人々に伝えるジャーナリスト。 世界情勢の流れのその瞬間に現場…

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