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2011年06月24日

夢の実現のために、大人がすべきこと ~自分と向き合う勇気を~

「憂鬱な入梅」
例年よりも2週間以上も早い入梅に気持ちがふさぎがちな今日このごろです。
 ぼくは雨が人一倍苦手なのです。スイマーなのに…?と思われる方もいるかもしれませんが、水着で濡れるのはまったく気になりませんが、洋服を着ていると勝手が違います。特に外出時は右手には白杖をもち、左手に雨傘をささなければなりません。雨粒が路面をたたき、傘にぶつかる音によって、いつも歩いている場所が別世界のように感じられます。足音や杖が地面を打つ音も変化していますし、水溜りにはまってしまうこともあります。また、濡れた路面を走る車の音はいつもとは違うものです。1人暮らしをしていたころ、買い物をした時などはよく傘の柄のところに荷物を引っ掛けながら歩いたものでした。このようなことからなかなか好きにはなれず、憂鬱な日々を過ごしがちです。

「梅雨時のプールが教えてくれたもの」
ぼくにとって、6月とは屋外プールでの大会が始まる時期であり、シーズンインという思いです。この時期の練習は本当に冷たく辛いものでした。雨が続き太陽が出てくれないことからプールの水温が上がらず、よく体を震わせ唇を真っ青にしながら泳いだものでした。練習後のお風呂や熱いお茶によって何度も生き返らせてもらいました。そして、「お疲れ」と声をかけあった友、「がんばったね」という顧問の先生や両親の声援に励まされていました。20年以上も前の遠い記憶ではありますが、今でも昨日のように浮かんでくる思い出の1つです。
 だからこそ、自分が教師となってから、この時期の練習に力をいれるようになったのだと思います。この時期の鍛錬によって、レース直前の緊張感を和らげることに繋がると考えていましたし、何よりも苦しいこと、大変なことは自分だけではないということに気付いたり、仲間で励ましあったり、親子の信頼関係づくりにも効果があると考えていたからです。

「相手の立場に立って考える」
 4月のコラムで河合家の子育ての秘訣その1である「中途半端はダメ!」について触れました。今回は続編である河合家の子育ての秘訣その2をお届けします。
その教えは「相手の立場に立って考える」ということでした。
 このことを母親に言われ始めたのは幼いころ(幼稚園児ごろ)でした。そして、その言葉が母親の口から発せられるシチュエーションはいつも決まっていたといってよいと思います。
 それは2歳下の弟との些細な争いの後でした。ぼくが遊んでいたおもちゃを弟が使い出したり、ぼくが食べようとしていたお菓子を弟に食べられたり…こういったことをされるとぼくはついついかっとなり弟を泣かせてしまっていました。小さい方が泣いていれば母親は弟側でぼくに説教をし始めるのでした。そのときの代表的な言葉が「相手の立場に立って考えてみなさい」というものでした。このころのぼくにとっての「相手」とは「弟」と同義語だったのかもしれません。
 「弟の方が小さいんだから…」「いつもあなたのお古で我慢しているんだから…」などいろいろな説明をしていたように思います。もちろん、いつもそのように優しく説諭的であったわけではなく、平手打ち!!なんてこともありました。
 最初は弟ではないんだから弟の立場なんてわかるわけないと決めつけている自分がいました。でも、何度も何度も聞かされている内に自分にお兄ちゃんがいて同じようなことをされたらどう思うだろうかなどと考えをめぐらせるようになっていきました。
 結局、その当時に弟の立場というものをわかったわけではないと思います。しかし、自分以外のことを意識する大きなきっかけとなったと感じています。
 わからないからといって、何も考えなければ永遠にわかることなどありません。しかし、わかろうとすることを続けている限り、わかり合える可能性があるということを教えてくれたのだと思います。

「認めてくれる大人の存在が自分と向き合う勇気に」
 さて、思春期のぼくがなぜ素直に「中途半端はダメ!」「相手の立場に立って考える」という2つの教えを守っていたのでしょうか。ぼくがよい子だったからでしょうか。そうではありません。厳しい躾の中にも励ましてくれる優しさがあったからです。そして、ありのままの自分を理解してくれているという安心感があったからではないでしょうか。
人間誰もが弱虫な自分、欠点や短所というものは認めたくないものです。ぼくにとってのその1つが目が見えないということだったのかもしれません。
 人間は誰もが完璧ではないし、完全ではない。このことに早く気付けるとよいのだと思います。そうすることで寛容さを手にすることができると思うのです。自分の未熟さや至らなさを知ること、それを受け入れることは大変厳しいことです。しかし、それも含めて自分なのです。自分がわからずして、未来の自分のあるべき姿、夢をかなえたイメージが沸くはずなどないのです。
 なぜなら、夢をかなえるのは自分であり、その自分は現時点では未熟さや至らなさのある自分だからです。夢を実現するためにその未熟さや至らなさを克服することも必要なことかもしれません。しかし、自分ではどうすることもできない場合、どうすればよいのでしょうか。自分を補ってくれたり、高めてくれたりする仲間がいてくれればよいことになります。だから、夢を叶えるためには良き友の存在が欠かせないのです。
自分と向き合う場所、時間は必要です。ぼくにとってはプールで泳いでいる時です。
泳いでいる時、多くは泳ぎのフォームを考えていますが、時々無心になることがあります。そして、そのような時、悩みの答えや名案が浮かんだりするのです。自分が水をかいたり、蹴ったりする音以外、聞こえない世界です。時には自分がなぜ生きているのだろうかと考えたこともありました。一見、孤独なスポーツである水泳も、仲間、家族、先生との信頼関係という安心感があることによって、自分自身を客観的に見つめなおす場であり、時間となるのです。

 今、ぼくたち大人が子どもたちとの間に信頼関係が築けているのか…問い続けなければならないのです。子どもたちが自分自身と向き合うための環境作り…河合家の子育てやぼくの教師としての経験が参考になれば幸いです。
 きっと、環境を整備してあげさえすれば子どもたちは夢に向かってのレースのスタートラインに立てるはずです。まずは、ここから始めましょう!

河合純一

河合純一

河合純一かわいじゅんいち

パラリンピック競泳 金メダリスト

生まれつき左目の視力が無く、少しだけ見えていた右目も15歳で完全に光を失いました。それまで見えていたものが全く見えなくなることは中学生の私には大きな衝撃でした。しかし、私には幼い頃からの二つの夢があり…

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