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コラム 人権・福祉

2003年12月05日

卒業!?僕は嫌です。卒業しません。

季節は8月になりました。訓練も進みいつしか夏休みになっていました。病室の窓から外を眺めると暑い日差しが降り注いでいます。

例年ならこの暑さの中、汗びっしょりにグランドを走り周っている私ですが今年は違います。(あ~ぁ 外で走り周りたいなぁ)運動の好きな私は外を眺めては溜め息をついていました。(何故自分だけがこんな目に遭わなければいけないんだろう?)毎日の様に思っていました。

首の骨を折ると以前のような汗は出なくなります。尿や便が出るときに尿意の代わりに汗がでる以外はほとんど出ません。汗というのは体温調節に大切なものです。汗が出て、風にあたり気化熱で体温を安定させてくれるわけです。

私のように首の骨を折ったものは、それが出来ず体温が下がらず、サウナに入っているようです。夏の炎天下では5分と持ちません。「暑いなぁ」私は呟きました。病室の空調も夏の暑さに疲れているようです。

ある日、高校の担任がお見舞いに来てくれました。私はベッドの背もたれを上げられ、起立性低血圧の目まいと戦っていました。担任はベッドの横に椅子を持ってきて座ると同時に言いました。

「なぁ濱宮。おまえ、学校どうする?」担任が言いづらそうに切り出しました。複雑な思いが私の頭の中で交錯します。当時は、復学すら難しい時代でした。

担任は話を続けます。「濱宮。職員会議でこんな話が出ているぞ」慎重に言葉を選びながら続けます。「濱宮は学校の名誉の為に戦って怪我をしたから卒業させてあげよう!・・先生方がそう言っているんだ。おまえどうする?」担任は私の意思を問いました。

私はとっさに答えました。「嫌です!卒業しません!」私は一瞬ムカッと来たのです。私は尋ねました。「何故卒業出きるのですか?おかしいじゃないですか?出席日数が足りるはずが無いのに卒業できるなんて・・おかしいですよ!」私は続けました。

「私は身体はダメになりました。これから頭を使って生きていかなければなりません。頭だけで生きていくには、車椅子で通いキチンと勉強をして卒業をしたいのです。私は留年します。留年して車椅子で通い卒業します。ダメですか?」

それを聞き、担任は困惑の色を隠せません。担任はこう答えました「分かった!おまえの気持ちを職員会議で伝えるよ。」そういい残すと、担任は帰り支度を始めました。

「濱宮!リハビリ頑張れよ!」そういい残すと病室から出て行きました。後に、職員会議にかけられ復学が決定しました。その瞬間、私は車椅子での社会復帰のスタートラインに立ったのでした。

訓練は続きました。OT(作業療法)、体育、プ―ル訓練。起立性低血圧にも中々慣れずに、しかし、容赦無く車椅子に乗せられます。さすが、リハビリ専門病院です。毎回が吐き気と気絶との戦いです。

今思えば、起立性低血圧との戦いがが一番つらかったなぁ。そして、プール訓練。プール訓練って分かります?

シュノーケルを付けて、プールに入るのです。これが「怖い」んですよぉ。体が動かないでしょ。シュノーケルをしていても口元に水が溜まるんです。ご存知の方もいらっしゃると思いますが、水が溜まります。口元で「ゴボゴボ」。

しかし、それよりも怖いのは心理的な面ですね。「もし、苦しんでいても訓練士が気付かなかったら・・・」なんてね。そういえば、体育大の実習生が付いてくれたとき、「苦しいの合図(首を振る)」したのです。

慌てて後ろから抱き上げてくれましたが、なっなんと、(口元が上がっていない。いっ息が出来ない!)そんな経験をもしました。プール訓練も厳しい訓練のひとつでした。

つづく

濱宮郷詞

濱宮郷詞

濱宮郷詞はまみやさとし

コラムニスト

「何故、自分だけが、寝たきりに・・・」 毎日、死ぬ事ばかり考えていた。 そんな時、あなたと出逢い、あなたがそばに来てくれた時、生きる事に決めたんだ。 あなたが与えてくれた命。目の前には「無限の可能…

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