2008年04月01日

優しい言葉をかける

3月に父が他界した。
戦前生まれの父は、ほんとに頑固で不器用で、融通がきかなかった。
そんな父が、わたしは、大の苦手で、できれば、近づきたくなく、いつも避けていた。

医者だった父の頭の中には、患者さんのことしかなく、
患者さんの病状が芳しくないと、家族に当り散らしていた。

学年で、常に一番、二番の成績だったらしい父は、
わたしが中学生になると、「勉強ができない」と、怒った。
申し訳ないけれど、怒られたからといって、
成績が上がるものでもない。
「なんで、そんなものくらい分からないんだ」と、言われても、
分からないから間違うわけで、怒る父がうっとうしいだけだった。
とにかく、成績が返ってくるたびに、怒らている間、じっと我慢するのが、
わたしの日課のようなものだった。

高校生にもなると、こちらも反抗的になる。
文化祭の準備や友達と遊びに行って夜遅く帰ってくるたびに怒られた。
それだけじゃなく、口ごたえするようになったわたしには、
容赦なく手や足が跳んできた。こうなったら、親子関係なんて最悪。
父親に対しては、完全に憎しみ。
「一日も早く、こんな家出て行ってやる!」が、
当時のわたしのモチベーションだった。

ところが、受験に失敗したわたしは、結局、
下宿もできずに自宅から大学に通うはめに。
完全に反抗的になっていたわたしは、ほとんど毎日夜遊び。
父親が家にいる時間は、できるだけ家に帰らなかった。
夜遊びといっても、友達の下宿で朝まで話していたり、
京都の鴨川を友達とぶらぶらしたり、バイト仲間とドライブしたり...と、
他愛もないものだったけれど、ひどい娘だった。
この頃、父は、母にわたしのことを「手に負えない」と、こぼしていたらしい。(笑)

22歳で吉本興業に就職してからは、笑わない父が、
仲間を連れて何度も「なんば花月」に来てくれた。
わたしが、プロデュースするお笑い番組を自宅では、笑わずに見ていたらしい。
ひたすら働いて、3人の子供の学費を払い、
毎日、目の前の患者さんが良くなることだけを考えていた。
結婚して、子供を育てて、少しだけ親の気持ちが分かるようになった。
あんなに子供たちには厳しかった父が、孫には甘かった。

父が他界して、ふと、わたしは、父に「何を望んでいたんだろう?」と考えた。
それは、「優しい言葉」だった。「よく頑張ったね」とか「学校で何があったの?」とか、
何気ない優しい言葉が、きっと父から欲しかった。
そんなことを考えているうちに、ハッとした。

「優しい言葉」が欲しいのは、親子だけじゃない。上司・部下、家族を含めて、
誰だって「優しい言葉」を心の中で求めているんじゃないだろうか?
偉そうに、「コーチング」とか、「褒める」なんて研修で言っているけれど、
スキルだけじゃない。
普段の生活で、「誰にどんな優しい言葉をかけているか...」
そんなことを考えてみるって、人として、とっても大切なこと。
「優しい言葉」、ぜひ、身近な人にかけてみて!