2012年07月10日

dehumanizationからhumanizationへ…「”思索存在”の原始生活」の勧め

イギリスには、古くから、"An Englishman's house is his castle."(イギリス人の家は各人の城である)という諺があります。この諺は、プライバシーの尊重の重要性を謳った諺として、長年、広く英米社会で親しまれている諺。そして今、現代社会に生きる私自身も、「自分の家は、自分自身の唯一の城である」という精神基盤を下にしてプライベート・ライフを満喫しています。

私は、毎日、"実にシンプルなライフ・スタイル"を送っています。例えば、仕事が終わり一旦家に戻ると、そこは、2012年の現代とは思えないほど「静寂、且つ、簡素な生活空間」。その空間は、"普通の家とは全く異なるコンセプト"が具現された空間となっています。

私の家はマンションですが、マンションといっても、そこはまるで「森の中」。リビング・ルームには、四方八方、天井まで届く観葉植物を含め、大小の様々な植物が置かれています。加えて、リビング・ルームから行ける(屋根無し)バルコニーにも、多くの背の高い木々を設置。バルコニーにおけるコンセプトは、「緑に囲まれた"空中リビング・ルーム"」です。

そのような空間で生活をする私は、天気の良い日にはバルコニーで食事をし、そこで仕事もします。バルコニーでは家庭菜園を行い、新鮮な野菜を自分の手で育て、毎日、自分で育てた野菜を食べています。家ではインターネットもメールも使いませんし、テレビを観ることもありません。住まいは都心ですが、その生活の実態は、まさに"primitive life"(原始生活)と言えるもの。生活自体は極めて"primitive"(原始的)ですが、実は、この原始生活にこそ、「超・近代的な思索」、そして、「時代を先取りする思索」をするための秘訣が隠されているのです。

私にとってのプライベート・ライフを満喫するための重要ポイントとは、常に、「深い思索をするための空間」を確保するということ。この現代社会は、実に様々なネオン・雑音が交錯する雑多な情報社会です。無論、情報は必要ですが、情報には、二つの種類の情報があることに留意すべきです。一つは、(1)「自分にとって必要な情報」。そして、もう一つは、言うまでもなく、(2)「自分にとって不必要な情報」です。

現代社会は、無作為、且つ、非理性的に、(1)「必要な情報」と(2)「不必要な情報」が混在する「"度を越した"(行き過ぎた)情報社会」。多くの人々は、過度に氾濫した情報に依存するあまり、時には、"独立した一個の存在者"としての自分を見失い、(責任不在の)情報に惑わされ、知らず知らずのうちに安易な方向性へと誘導・扇動されてしまっています。

今ここで、読者の皆さんがこの現象を客観視したとき、そこに何が見えてくるでしょうか。恐らく、「今、現代人に求められる"あるべき生き方"とは、毎日、安易な情報に溺れた日々を送ることではなく、"自分の力で思索し、自分の力で自分の道を切り開く"」という"人間本来の生き方"ではないでしょうか。

どのような人においても、「原点」に戻るには、それなりの「勇気」と「覚悟」が必要となります。読者の皆さん、勇気を持って、そして勇敢に、自分の力で思索してみてください。自分の力で思索すると、必ず、「自分の本当の姿」、そして、「本当の意味での自分の立ち位置」について認識することができます。

仕事柄、私にとって、「思索」は何よりも大切なことです。私にとっての思索とは、(1)「"生きる"ということそのもの」、そして、(2)「自分の人生におけるミッションを遂行する上で必要不可欠な活動」です。

「深い思索をする日々を送るためには、一体どのような生活環境を構築する必要があるのか」、・・・この問題は、私が常に考えているテーマの一つです。今回は、このコラムを読む読者の皆さんも、是非、私と一緒に「深い思索をするための方法」について考えていただきたいと切望しています。私のオフィスは東京・銀座3丁目にありますが、この問題(思索の重要性)について一緒に考えたいという方は、是非、私のオフィスに訪問していただきたいと願っています(オフィスも、「森の中」というコンセプトを具現しています)。

この問題を、いわゆる一般社会全体の問題として考えると、この「社会における"無思索状態"の風潮」は、「個々の人間の心の中における"dehumanization"(人間性喪失)」をどんどんと助長してしまっていることがわかります。"dehumanization"から脱却するには、「思索する世の中」("思索存在"社会)を徐々に回復させることが必要不可欠となります。

社会を構成する私たち人間一人ひとりが、"草の根的に"、少しずつ、そして、丁寧に、「思索する世の中」へと進んでいく努力をしていけば、徐々に、「"humanization"(人間性回復)への道のり」を歩むことができると私は考えます。私自身、常に、一人ひとりが協力し合い、少しずつ、心を込めて丁寧に、(1)「理性ある世の中」、(2)「人間性のある世の中」、そして、(3)「心豊かな世の中」を創造していくための新しい風潮が生まれることを切望しています。