現代のグローバル社会においては、企業体・個人にかかわらず、年々ますます「無国境界化」、即ち、「ボーダレス化」(borderless)が進み、「企業」と「企業」、そして、「個人」と「個人」の間に国境がなくなり、この地球上において、人種、民族、国家、文化、思想等を超えたヒューマン・コミュニケーションが日常茶飯事となりました。今回のコラムでは、人類史におけるこのような時代と社会の急速な推移を視野に入れ、今再び、真の意味での「国際化」について問い直してみたいと思います。
そもそも「国際化」(internationalization)とは一体どのような概念なのでしょうか。英語のinterは「間、中間、相互」等を意味しますが、internationalizationは文字通り、「国と国との相互関係を築く」ということです。「国と国の相互関係を築く」という行為、それは、「一つひとつの国々が他の国々との相互関係を築く」ということに他ならないことですが、これは所謂、決して政府だけの問題ではなく、「市民レヴェルにおいても、それぞれの企業体や個人が、国境を越えて他国における必要な組織・個人と相互関係を築く」ということでもあります。
これを逆説的に述べるならば、より堅実な方法で異なる国同士の信頼関係を構築するという目的を実現するには、たとえ国の政府のみが他の国の政府とのより良い相互関係をどのように構築しようとも、それで十分というわけではありません。現実には、お互いの国同士における市民社会において相互に活発な交流が図られることなしには、より良い相互関係を構築することは不可能であると言わざるを得ません。つまり、真の意味での国際化の実現を図るには、”極めて草の根的に”、人々における相互コミュニケーション自体、「市民レヴェルの立ち位置」から日常的に行われることが必要不可欠であるわけです。
異なる国同士において、人々が相互に交流を図るには、まず第一に、「自分の国についての十分な知識」が必要となります。これを日本人の場合で述べるならば、日本の文化、歴史、習慣、伝統、価値観、思想、宗教等、日本についての様々な知識。通常の日本人であれば、ふと、人から、「あなたは自分の国についてどれだけ知っていますか」という質問をされれば、大抵の人は、「私は日本で生まれ日本で育った”生粋の日本人”だから、日本のことは何でも知っています」と答えるでしょう。しかし、実際、そのように明言する人でも、いざ、<外国人から日本の文化や歴史について尋ねられる>という状況に遭遇すると、人は、1)「日本について詳しく説明するほどの”知識”・”心の準備”がなかったこと」、そしてさらに、2)「外国人に説明する以前の問題として、日本人である自分自身、実は、日本のことをあまり知らない」ということに初めて自覚します。
ここまで話が進むと、「国際人とは、一体どのような”人間像”を指すのか」について次第に見えてきます。国際人とは、その概念の「根本の”根本”」を述べるならば、「”地球に存する一人の人間”として、自分の国の文化・歴史等について十分に学び、それを前提として、他の国々の文化・歴史等を学び、日々、自分なりにそれらを理解するために努力を続けている人」であると明言することができます。つまり、真の意味での国際人とは、自分の国、そして、他の国々について理解するための「教養」(culture)を備えている人、即ち、「教養人」(cultured person)を指すのです。
本来、本質的に述べるならば、「国際」という言葉の概念の中は何らの”実体的な存在物”はなく、国と国の間は、実は「空っぽな状態」というべきです。例えば、私たち日本人は、成田から飛行機でロスアンゼルスに飛ぶその”時間的空間”において、実体験として、この「空っぽな状態」「無の状態」を実感することができます。
即ち、飛行機に乗る前まで、即ち、成田を発つ直前まで日本人として日本の生活を謳歌していたとしても、一旦飛行機に乗り、そして空を飛べば、空の上では「空っぽな状態」そのもの。その後、無事にロスアンゼルスに到着し、実際に、自分の足で”アメリカ本土の土”を踏まない限り、「アメリカで必要な相手と必要なコミュニケーションを図る」という行為が実現されることはありません。
訪れる国で現地の人々とより良いコミュニケーションを図るには、まずは自分の国について十分に理解しているという前提の下、自分自身が、1)「その国の文化・歴史等について十分に学んでいる」、2)「これまでは学んでいなくても、”極めて建設的に”これから学ぼうとする意思がある」ということが、相互により良いコミュニケーションを図る上での必要不可欠な条件となります。
結局のところ、internationalization(国際化)とは、”cultivation”(教養化)を意味するものです。そして、これは同時に、「国際人」(internationalization)とは、実は、「教養人」(cultured person)を指すことも意味します。
企業体、あるいは、個人においても、年々、ますますボーダレス化が進んでいる現代社会において、「何としてでも国際人にならなければ、この時代を勝ち抜くことはできない」と考える人は多いでしょう。そう考え、英語を学んだり、また、国際ビジネスのノウハウを学ぶ人は相当数いると思いますが、本当に大切な学習とは、実は、「自分を知り、自分の国を知る」ということなのです。
鍍金は、言うなれば”上辺だけ”のもの。鍍金は、すぐに剥がれます。鍍金よりも、まず第一に、「中身」(教養)をしっかりと確立する人が、このボーダレス国際社会を勝ち抜くことができるのです。
生井利幸なまいとしゆき
生井利幸事務所代表
「ビジネス力」は、決して仕事における業務処理能力のみを指すわけではありません。ビジネス力は、”自己表現力”であり、”人間関係力”そのものです。いい結果を出すビジネスパーソンになるためには、「自分自身を…
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