2019年05月27日

採用学批判

「採用を科学する」という話がある。担当者の勘や経験に頼るのではなく、採用の各プロセスを数値化し、分析して、理論化・体系化を図り、より効果的な募集・選考・定着を実現していこうという考え方だ。昨今、データを分析すれば必ず結果を左右している重要事項が見いだせ、上手くいく方法を発見できると考える傾向が強まっているように思うが、それの「新卒採用版」と言ってよい。

「採用を科学する」とか「採用学」と聞いて、直観的にその行く末が見通せるのは、「明らかにされたり、改善したりできる部分」と、「結局は、担当者のセンスや、各々の職人技や真似のできない個人技によって採用の成否が決まっているのだ、という身もふたもない結論が出てしまう部分」に分かれるだろうということだ。しかも、前者について言えば、それは、多くの人が何となくそう思っていたことを実証したに過ぎない内容に終わっているはずだ。つまり、「明らかにされたり、改善したりできる部分」があったとしても、恐らくそれらは実務家からすれば、「そりゃそうでしょうね」「出来るならとっくにやっているよ」という話でしかないだろう。たとえば、「経営が採用にコミットすればするほど、うまくいく」「人事部だけでなく、全社で採用に関わっていくほうが、うまくいく」といったことが分かっても、実務家の心に響くことはない。

このような行く末を予想する理由は、「営業」の分野でもそのような結果になっているからだ。マーケティング、プロモーション、顧客心理、コミュニケーションなど、営業に関係する理論や知識は実にたくさんある。経営学・心理学・社会学などの研究者が、それぞれの立場からアカデミックなアプローチを行ってきた結果である。様々な実務家がその経験から編み出した知識・知恵にも、広く流通しているものが多くある。では果たして、これらの知見をより多く学べば学ぶほど、営業の成果が上がっているという事実はあるのだろうか。また、それらの知見は、営業という仕事で成果を出すための重要事項をしっかり探り当てたと言えるだろうか。容易に分かるのは、それらの知見は確かにある程度は役に立つのだが、現実の成果はそれ以外の多くの要素に左右されているということである。実際に、そのような知見にはいっさい見向きもしていないのに、大いに成果を出している組織・個人は多い。そんな実態を見て、アカデミックなアプローチの限界を知り、得も言われぬセンスのようなものの力の凄さを見直さざるを得ないというのが、今の多くの経営者や営業関係者の実感だろう。

営業だけではない。ビジネス全般に関して、最近、アカデミックなアプローチでビジネスを解明できる(ビジネスを上手くやっていける)わけではなく、結局のところアートに属するようなこと、いわゆるセンスに左右されるところが大きい、と考える人も少しずつだが出てきているようである。「世界のエリートはなぜ美意識を鍛えるのか」(山口周)や「経営の失敗学」(菅野寛)が売れているようだし、戦略論で知られる神戸大学の三品和広教授や一橋大学の楠木健教授も、経営者のセンス、属人的な個性や人間性がビジネスの結果に大きな影響を与えると強調している。そんな中、あえて学問的アプローチをもって採用を科学しようというのは意欲的ではあるし、新しいから(日本にはあまりなかったから)目立つのだが、上に述べたように行く末が見えてしまっており、実務家が興味を示したところで大して有用とは言えないだろう。

採用は、その成果が担当者のセンスに大きく左右される、極めて属人的な仕事である。たとえば、昔から面接に関して「自社で活躍している人材の要件に照らして、採用すべき人材の評価の観点や基準を明確にする」「思考や行動の特性が分かるような質問を用意する」「質問を構造化する」といった要諦がある。これらを学んで実施してきた会社も多いはずだ。ところが、そんなことで結果が良くなったりはしない。依然として、人の見極めは難しいし、欲しいと思った人材が他社に流れていく。これと思った人材が、期待したように定着し成長し活躍する確率が高まったわけでもない。

そもそも、あの河合隼雄先生でさえ「人の心などわかるわけがない」と述べておられるのに、私たち普通の人間が他者を理解できるはずはないのだが、さらに、新卒採用は学生時代の活動から仕事の能力を類推する(それも短時間で)という難事に取り組むわけで、多少、質問が上手になったからといって、人間という複雑体の前では焼け石に水である。(だから、面接で人を見抜けるなどというのは冗談にしか聞こえないし、河合先生がもし目の前におられたら恥ずかしいことだ。)

また、質問が上手いからといって、学生から重要な内容を聴き出せるわけでもない。なぜなら、学生は、信頼できる相手、親しみある面接官だと感じない限り、本当のことを十分な量でしゃべってはくれないからだ。いくらいい質問をしたとしても、その表情や身振り手振り、選ぶ言葉、醸し出す空気などが学生の気持ちを十分に和ませることができなければ、回答する情報は割愛された抽象的な内容に終わるだろう。もちろん、面接の質問が上手になっても、自社に入社を決めてくれるわけではない。入社の決め手は、面接官の質問力などではなく、たいていの場合、面接官が学生に与える印象の良し悪し、その場に流れる空気から感じる相性の良さ、提供する情報の個別性と表現力といったものになる。

要するに、面接において最も大切なのは、学生それぞれが心地よいと感じる関係や距離を測り、それぞれが知りたい情報を分かりやすく、適切な言葉を選んで伝え、そこを楽しく有意義な場にし、そのプロセスの中から相手を知り心をつかむ力である。そして、それはデータで分析して分かるものではなく、理論やフレームで学べるものでもなく、担当者のセンス、個人技としか言いようがないものなのである。

面接だけではない。採用担当者には、多様な側面を持つ自社をどう伝えるかというコンセプトメーカーとしてのセンスがいる。説明会や選考の場面では、参加者目線で居心地のよい空間を作り上げ、細やかな目配り気配りができるイベンターとしてのセンスも求められる。説明会では、参加者の人数や属性などの違いに瞬時に対応し、話す内容や話し方、自らの姿勢や見え方、参加者との関わり方も変えていく、優れたプレゼンターとしてのセンスが必要である、クロージングでは、互いの一致点と相違点を理解し、時期を定めながら上手な価値交換を通して決断を促すネゴシエーターとしてのセンスが問われる。採用は、営業のように顧客の悩みが明確にある訳ではなく、具体的な商品もなければ、お金のやりとりもない。相手と丸腰で向き合う、実に人間的な部分で勝負するしかない仕事であり、センスとしか言いようがない部分で成否が決まっているのである。そのセンスでさえ、アカデミックなアプローチで明らかにしようとするのが「採用学」だということかもしれないが、ここまで述べてきたようにそれは無理筋というものだ。せいぜい、人材サービス企業の営業ツールの中にエビデンスとして利用されるくらいだろう。

(本稿は、日本における新卒採用に限定して書いています。)