2017年12月25日

師匠が教えてくれる三つのこと

師匠と呼べる存在は重要だ。仕事でも趣味でも人生の何事においても、自分独自のやり方が最初からあるわけではないし、自分のやり方を身に付けても時代や状況によって修正を余儀なくされる。そんなときには、真似たり比較したり参考にしたりするための師匠の存在が欠かせない。師匠を持たない人は、最初からオリジナルなので基本や型が身に付きにくいし、修正も自分本位になりがちである。

だから、師匠と呼べる人と数多く出会うのは大切なのだが、師匠を単に学ぶあるいは真似る対象としているだけではもったいない。師匠とするからにはその人をよく観察し、これまでのストーリーを引き出し、ここに至るまでを深く洞察したい。そうすると、様々なものが見えてくる。

まず、師匠の中に「なりたい自分」を発見できる。今の自分にない技術や知識を持ち、自分には無理なことをやってのける能力を持つゆえに、自分はその人を師匠としているのであるから、師匠の中には「自分はこうなりたい」が埋まっている。だから「どうなりたいか」を漠然と考えるよりも、師匠の中に見出そうとする方が早いし具体的だ。

同時に、師匠の中に「自分の限界」も発見できる。師匠を深く知ればしるほど、「自分には出来ない」と感じさせられることが出てくる。まったく同じ人間ではないのだから、当たり前と言えばそうだ。人は自分ができること、得意なことを知るのと同じくらい、できないこと、不得意なことを自覚するのが重要だ。もちろん安易な諦めは良くないが、無意味な努力をするよりも、得意なことや適性のあることに集中するほうが成果は出やすいし、精神的にも良いからである。そして、師匠を深く理解・観察し、自分と比べてみれば自らの限界や適性がよく分る。

また、師匠の中には「なりたくない自分」もいる。師匠とはいえ全能者ではないし、全人格的に優れているはずもないし、欠点や短所は普通の人と同じようにある。よく洞察してみれば、まったく尊敬できない部分を見出すことができる。自分で師匠と位置付けているほどの存在だから、余計にその欠点がクローズアップされて見える。そして、師匠を深く知れば知るほど、その反面教師的部分がどのように形成されてきたのか、なぜそのような短所を持っているのかが分るだろう。深く知れば知るほど、「自分は、あのようにはなりたくない」という面が見えてくる。もちろん、それで師匠失格ということにはならないはずだ。むしろ、その多層的で複雑な人間味に惹かれることの方が多いだろう。

師匠を、外から自分に知識や技術を授けてくれるだけの存在と考えるのは勿体ない。師匠としたからには、その人となりや言葉や行動や歴史や人脈などを関心を持って深く洞察することである。(逆に言えば、深く洞察できないような遠い距離にいる人を師匠としても、大きな期待はできない。)そうすると、師匠の中に自分がありありと見えてくるようになる。だから、若くして良い師匠に巡り合った人は、いい歳をして自分探しをするようなことはない。若者たちも自分探しをしている暇があったら、身近にいる人の美点を見つめて師匠とし、もっともっと触れ合うようにすればよい。