2011年04月28日

日本のために出来ること

 前回から2回に渡り、東日本大震災について触れさせて頂いております。あれから1カ月半、状況は少しずつ明らかになってきているものの、あまりの規模の大きさに未だ手つかずのところもあると聞きます。つい先日もこんな話題が飛び込んできました。福島第一原発から半径20キロ圏内の地域に初めて防護服を着た警察の捜査隊が入り、行方不明者の捜索が開始されたということでしたが、映像の中では、はけていない海水の水たまりや泥まみれのがれきが散乱。3月11日のまま時間が止まってしまったかのように残されていて、まさに絶句してしまう本当に厳しい現実が待っていました。しかし、それでも受け止めていかなければその先に進むことができません。いよいよそんなジレンマとの戦い、神経戦になってきている気がします。

 そんな矢先、ひとつ大いに考えさせられることがありました。私だけの問題ではなく日本に住む者としてどう思うか?に関わってくるお話です。

 地質や活断層を調べておられる専門家の方に防災のあり方についてお話を伺う機会がありました。その方は今回の被災地にかなり早い段階から出向かれ、数週間現場でボランティア活動をして戻って来られたばかりの状況を写真付きでお話して下さいました。その中で印象的だったのが、「日本はなぜか、パニックが起こらないようにという配慮のためか、確認をしっかり取った上で、被害の範囲を少しずつ拡大しながら伝える傾向にある」ということ。そのわかりやすい例が、原発の避難区域の発表の仕方に表れている。最初は『安心して下さい。問題ありません』と伝えながら少しずつ避難区域を広げていくような方式。逆にアメリカなどは、最初から最悪の被害状況のパターンを想定し、例えば、いきなり80キロ圏内の人はまず避難!と勧告し、状況を確認しながら区域を少しずつ減らしていく方式で国民に伝えている。どちらのやり方がいいか悪いか、正解はわからないけど、情報伝達のやり方が随分と違う」と、おっしゃられていたことです。

 なるほど、考えさせられる話です。日本に住む私たちは、国から出る情報を頼りにしなければなりません。国民性を配慮してむやみに煽らないようにという気遣いなのか、あるいは被害状況を大きく流し過ぎてあとからメディアにバッシングを受けることを懸念しているのか、理由はわかりませんが、どう情報を流すことが事態の収束を早めるのか、そこも今後議論の余地は大いに有ると思いました。

 前回から繰り返すようですが、本当に今日本は、考え方も含めて全てのことを総点検して作り直す機会に接していると思います。私たち一人ひとりが真剣に考えて提案し、発言し、行動しなければならない時がきていると心底思います。日々の自分の生活も守らなければなりませんが、私も含めて被害の少なかった元気な地域の方々は、これから「こんな日本であってほしい。そしてそうなるために自分はこう動ける!」という明確なイメージを描いて実際の行動に移したいものです。私も一緒に考えていきます。