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2011年02月25日

日本の飲食店 上海奮闘記~シェ・シバタ

●究極のスイーツマーケット日本
 日本のスイーツの進化は目覚しい。デパートの地下にある食品売り場に行くと、ガラスケースの中に綺麗に並べられた何百種類ものお菓子を目にする。中には芸術作品とみまがうような手の込んだ装飾のケーキもあり、買い物中に思わずうっとり眺めてしまうことがよくある。新製品投入のスピードも凄まじく、デパ地下を訪れるたびに、新しいスイーツを発見することができる。人気店では常に行列ができているので、たいていの場合、購入するのをあきらめることになるが、その行列が落ち着いたころには、また違うお店に行列ができている。日本のスイーツは質も種類も洋菓子の本場フランスを超えていると言われており、日本人は世界最高のスイーツを日ごろから食べていることになる。

 世界でも屈指のスイーツマーケットを持つ日本だが、そこには目もくれず、単独でアジアに飛び出した日本人がいる。
 柴田武氏。「シェ・シバタ」のオーナーパティシエだ。
 柴田氏は71年生まれの39歳。岐阜県多治見市に「シェ・シバタ」をオープンさせたのは、いまから16年前の24歳の時だ。子供の頃に食べた、母親のつくるパウンドケーキの美味しさに、「こんなに美味しいものを自分でもつくってみたい」と思ったという。

 専門学校を卒業し、5年間レストランで修行をした後、自分のお店を出すことを決めたが、実績のない柴田氏に銀行はお金を貸してくれなかった。父親の支援のもと、実家と祖父の家を担保になんとか開業資金を銀行から借りることが出来た。それまで優しかった親戚も態度を一変させ、本当に大丈夫かと執拗にせまってきたという。そんな心配をよそに、「美味しいものをつくりたい」という並々ならぬ信念を持っていた柴田氏のケーキは地元で評判になり、多治見の店は軌道に乗っていった。さらに柴田氏は腕を磨くためにパリ修行を決意し、洋菓子の本場でケーキ作りを学んだ。そうした努力が実を結び、シェ・シバタは多治見店のほか、名古屋にスイーツとレストラン2店舗を出すまでに発展した。

 当時、東京では大規模な再開発が起こっていた。丸の内や汐留、品川駅周辺、東京ミッドタウン、赤坂サカスなど複合商業施設がつぎつぎと誕生していた。大手デベロッパーは集客力のある優良テナントを求めて全国各地を歩き回っていた。シェ・シバタのところにもやってきて「是非、東京進出を」と頭を下げられたという。普通ならそこで嬉しくなり二つ返事で承諾してしまうところだが、柴田氏は考えた。「東京や大阪ではスイーツは飽和状態、そこで勝負することは果たして得策だろうか」。
出店依頼をすべて断った。

 そんなときに、親しいレストランのシェフが上海に店を出すので手伝って欲しいと声を掛けてきた。柴田氏にとって外国といえばパリ、ニューヨーク。なんで上海なんかにいくのかと理解ができなかったが、無下にも出来ず上海に出かけてみることにした。
しかしそこに人生の転機があった。
「行ってみて本当に驚きました。自分がイメージしていた中国とはまったく違う風景がそこにありました」
浦東の超高層ビル街を見て自分の認識不足に気がついたという。
 知人の手伝いを引き受け、レストランのスイーツをプロデュースするために上海に通っているうちに、上海にはまともな洋菓子がないことに気がついた。
「ここにライバルはいない」
 そんなことを考えているうちに「一緒に上海でケーキ屋をやろう」と数人の中国人が声を掛けてきた。「自分でやったほうが儲かる」。そう決心した柴田氏は一番馬が合う中国人をパートナーに決め、上海で店を出すことに決めた。

 ●日本のクオリティを目指すが、同じである必要はない
 上海は世界で最も日本人が多く住む外国の都市だ。領事館に登録しているだけでも5万人、未登録や短期滞在者を含めるとおよそ10万人の日本人が上海にいる。まずはそこをターゲットにして経営を軌道に乗せることを目標にしたが、それは大正解だった。
「まず日本人駐在員の奥さんがお得意様になりました。その後、日本人が食べているなら安心だということで、口コミで中国人の富裕層に客層が広がりました」
 ただ単に美味しいケーキがなかったというだけでなく、それが日本のブランドであるということで、さらに価値を持ったのだ。

 しかし、柴田氏は日本人だけでなく多くの中国人に知ってもらわなければ、上海でやる意味はないと考えていたので、中国を代表する新聞社「新華社」にいた女性をヘッドハンティングし、メディア対策をすべて任せて、マーケティングの責任者にした。彼女の人脈を生かした結果、上海の法人需要を取り込むことができ、イベントやパーティなど大口の注文も入ってくるようになった。いまではパーティや披露宴の引き菓子の紙袋が「シェ・シバタ」であれば、そのパーティが高級だったという証になっているという。
「材料費を安く抑えようとしている中国のケーキ店が多い中、うちは美味しいケーキに必要な材料は日本と同様、関税が掛かってもヨーロッパから取り寄せました」。

 そうしたこだわりを貫いた結果、シェ・シバタの高級なブランドは確立されていった。
しかし、それは単純に日本のレシピどおりにやれば認められるというものでもないという。
「日本の同業者の方に聞かれるのが、中国で日本と同じクオリティでやれるかということです。これは同じものは絶対にできませんし、やりません。国が変われば食文化が違う。ニーズが違います。上海なら上海の、香港なら香港のクオリティを求めています。そこでどこまでシバタらしさを追求できるか、それが大切にしているポイントです」
(つづく)

内田裕子

内田裕子

内田裕子うちだゆうこ

経済ジャーナリスト

大和証券勤務を経て、2000年に財部誠一事務所に移籍し、経済ジャーナリストの活動を始める。テレビ朝日系「サンデープロジェクト」の経済特集チームで取材活動後、BS日テレ「財部ビジネス研究所」で「百年企業…

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