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コラム 政治・経済

2012年04月05日

まず変わることから始めよう

日本の企業経営者は新しいことに挑戦するのに大胆であるか、と先月のこのコラムで書いた。確かに大胆で果断な決断をできるトップもいる。企業の置かれている環境が激変しているのは間違いないからだ。第一、日本の市場構造がこうも早く「ゼロ成長」に陥ると誰が考えていただろうか。ゼロ成長の原因は景気が悪いからではない。

人口の動態の変化で市場が縮小しているのである。もちろんそうした中でも、労働生産性が上昇し、賃金が上昇し、可処分所得が増えれば、経済の最も大きな原動力である消費を維持することは可能だっただろう。しかし現実にはそうはならなかった。悪いことに、バブル後の「調整」(企業や個人の借金減らし=消費抑制に伴う不況)と、人口(生産年齢人口=15〜64歳)の減少とが重なったためだ。その結果が「失われた10年」そして「失われた20年」となり、いま「失われた30年」に入っているのかもしれない。

人口全体はさらに減り続ける。さらに団塊の世代という巨大な塊(1947〜1949年生まれ)が、今年から65歳になると、生産年齢人口の減少に拍車がかかる。もちろん「生産年齢人口」から外れたといって、実際に生産しなくなるわけではないが、引退する人が多いのも事実である。問題は、引退した人々が「消費」を楽しむことにならない、ということだ。なぜなら、将来的に税負担は必ず増えるから、老後のためにいくら貯めておけばいいか、不安が先行する。

しかも統計的に言えば、医療費などはこの年齢に達すると増える傾向にあるから、医療や介護の備えもしておかなければならない。国の財政状況を考えると、こういった社会保障分野の予算は減ることはあっても増えることはない(民主党が「税と社会保障の一体改革」と称して、社会保障を充実させるために増税するという雰囲気をふりまいているが、これは実態とは違う)。

経済的に余裕がある団塊の世代が引退したら、旅行したり、高級品を買ったり、ぜいたくな外食を楽しんだりするに違いない。かつて広告代理店などはそういってシルバーマーケットを狙おうと言っていたが、それはどうやら幻想になりそうなのである(ちなみにこうした期待はずれは日本だけではなく、アメリカでも多くの人々はおカネを使わずに引退生活を楽しんでいるのだという)。

こうしたことから考えると、日本市場の縮小は基本的には避けられないと覚悟したほうがいいのかもしれない。つまり企業は、もはや日本市場で成長していくというのは難しいということだ。逆に言うと、世界で勝負しないかぎり、日本の製造業の強さを生かすことはできないということである。

そのために必要なことは、自分たちの製品やサービスを外国語で説明できなければならない。当然といえば当然だが、それを実行していない企業が意外に多いのも事実だ。

企業経営ではないが、こんな例もある。原子力事故についてはいろいろな事故調査委員会がある。政府がやっているもの、国会がやっているもの、そして民間の事故調。すでに民間事故調は報告書を出した。この中でも、とくに国会事故調は、世界から注目されているとして、公開している委員会には必ず日本語、英語の同時通訳を入れている。先日、ウクライナのチェルノブイリ原発事故の関係者が証言をしに来たときは、日本語、英語、ロシア語の同時通訳をやっていた。

ソーシャルメディアを使うなど、この事故調は「情報の共有」に非常に気を使っている。しかし記録文書はいただけない。委員会報告の一部は「画像」である。つまり検索も何もできない文書をスキャンした画像が文書として公開されている。ここに従来からの「様式」にこだわる人たちの意識がみて取れる。この文書は「縦書き」なので、要するにデジタル化が面倒だったということなのだろうと推測する。だったら「様式」そのものを今のデジタル時代に合うように変えればいいのに、様式を守った結果「画像」になってしまった。自分たちは元データを持っているからいいとしても、サイトで公開されている情報を見る人々は、この画像データを利用することが著しく制限される。

もう一昔前になるが、マイクロソフトの創業者、ビル・ゲイツが著書の中で、社内ネットワークを構築したとき、社内文書様式を減らすように指示した。この結果、何百種類とあった様式を半分にすることができたという。その結果、社内情報をパソコンが処理することがやりやすくなり、社員はより創造的な仕事に専念することができるようになった。僕のせまい経験からすると、多くの企業でデジタル時代にふさわしい社内文書の様式をつくるというより、従来の様式をデジタル化しようと四苦八苦しているように見える。

実は、日本と世界の市場の関係も、これと同じだと思う。日本の「様式」(ここでは比喩的に言っているので、日本文化のことではない)にこだわるあまり、世界の様式に日本の様式を当てはめようとしてうまくいかないということだ。その典型が「ガラパゴス携帯」だと言えばわかりやすいだろうか。そして実はガラパゴス携帯が成立したのは、日本の市場が巨大で成長していたからだ。つまり、これからは日本の市場だけでは成立しないということでもある。

企業の経営者や社員は、これまでの発想を古いものとしてはっきりと認識し、世界を相手にどう生き残っていくのかを真剣に考えなくてはなるまい。それができた企業は生き残るし、できなかった企業は残念ながら「ゾンビ化」していく。

「なによりもまず変わることから始める」という主旨のことを言ったのは、GEの名経営者と言われたジャック・ウェルチだ。とにかく変えて、走り出してから考える。企業にはそのスピード感が重要だと思う。

藤田正美

藤田正美

藤田正美ふじたまさよし

元ニューズウィーク日本版 編集長

東京大学経済学部卒業後、東洋経済新報社にて14年間、記者・編集者として自動車、金融、不動産、製薬産業などを取材。1985年、ニューズウィーク日本版創刊事業に参加。1995年、同誌編集長。2004年から…

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