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2010年01月20日

三菱財閥創始者・岩崎弥太郎から学ぶ「商機キャッチ力」

【商法をもって身を立てる覚悟】

明治維新の英雄たちの多くが、20歳代で政治の檜舞台に登場していたのに対して弥太郎が檜舞台に上がるのは大幅に遅れていた。この間、官吏になろうかとも考えた。だが、よいポストがなかったので、海運業に専念する決意をいよいよ固めた。

弥太郎は常々、「儲らんことはするな」、「日の当たる商売、時流に乗る商売をしろ」と言っていた。この言葉通り実行に踏み出し、三菱商会の社主に就任し、ある朝、全社員を一堂に集め、宣言した。

「己は今後断然官界に志を絶ち、専心海運業に従事し、商法をもって身を立てる覚悟である」

 完全に独立を果した瞬間だった。弥太郎40歳のときであった。

【「一銭にもならない見栄など捨てろ」】

弥太郎は、全社員に古い武士気質を一掃して、商人主義を徹底させようとした。まず袴を脱いで前垂れを掛けさせ、号令した。「前垂は商人の礼服だ」。

また、ハッピ姿で得意先回りをさせた。だが、武士出身としての高いプライドを抱いていた社員たちが、それが恥ずかしくて悔しい思いをしているのを知った弥太郎は、「得意先の番頭や小僧に頭を下げると思うからこそ腹も立つが、金に頭を下げると思えば我慢がなろう。いまこの扇子を君に進呈するから、今後、腹が立ったときは、この扇子を出して見たまえ」と言って慰めた。

扇子には小判が一枚貼りつけられていたという。拝金主義に徹してでも、商いを「武士の商法」に終わらせたくないという弥太郎の意地の一端を覗くことができる。実業家として大成するには、自己変革への並々ならぬ覚悟と屈辱に耐える強い精神力が必要であることを、身をもって示したのである。

弥太郎は、「一銭にもならない見栄など捨てろ」とハッパをかけた。

【世界の冒険商人たちとの広い海外人脈】

弥太郎が商人として身を立て海運業に専心するのに役立ったのは、慶応3(1867)年3月、土佐藩の重役・後藤象二郎に抜擢され、藩の貿易に従事し、約2年間に体得した海運と貿易の現場感覚だった。三菱商会を立ち上げ、日本の海運業界に挑戦する弥太郎の確固たる信念の根源となっていた。世界各地からやってきていた冒険商人たちを取引相手にし、親交を深めていた。この広い海外人脈が大きな強味となったのは言うまでもない。

弥太郎は、日本の商慣習を墨守する大阪商人との交際は苦手だった。これに対し、取引上でも堂々たる態度で合理的に用件を処理する海外の冒険商人たちとの折衝を得意とし親交を深めた。ドイツ商人のルイス・クニッフレル、英国スコットランドからやってきた商人のトマス・グラバー、米国商人のトマス・ウォルッシュ、ジョン・ウォルッシュ兄弟ら外人の信用を得ていた。このなかでトーマス・グラバーは、艦船や武器弾薬のブローカーで、後に、高島炭坑の開発にも関わることになる。

弥太郎は、海外貿易には、語学が不可欠と考えて、大阪の岩崎邸内に英語学校を開き、校長に就任した。この学校は、語学に堪能な社員育成に大きな役割を演じ、豊川良平、川田竜吉、林包明らの逸材を多く輩出した。

【常平生(つねへいぜい)からちゃんと網の用意をしておけ】

弥太郎は、国内の諸汽船会社との競争に勝ち進み、補助金交付など政府の保護を受けて競争にも勝利して日本をめぐる内外の海上輸送で独占的な地位を確立して行った。

明治10(1877)年2月、西郷隆盛が薩摩の私学校の生徒1万5000人を率いて蜂起し、西南戦争が勃発し、政府が弥太郎に社船の徴用が命じた。弥太郎は、「このときこそ、政府の恩義に報いるとき」であると感じるとともに、「またとない商機」を察知し、幹部社員を集めて檄を飛ばした。

「わが三菱の真価が問われる時が来た。怯むな」。

向かうは、激しい戦闘が予想される戦地である。戦死を覚悟しなくてはならない。幹部社員たちは、思わず武者ぶるいした。弥太郎は、武士の魂が蘇り、テキパキと采配した。

「わしは東京で政府との折衝にあたる。石川、お前は大阪で兵站と配船を指揮せよ。川田、お前は長崎でだ。彌之助は配船の現場に立て!」

弥太郎は、三菱の定期航路の運航を休止、社船三八隻を軍事輸送に投入し、総勢7万の政府軍の兵員、武器弾薬など輸送作戦に全社を挙げて協力した。政府は、この輸送作戦のため運輸代金1300万円を三菱に与えた。三菱の迅速かつ統制の取れた輸送作戦が、政府軍の動きを助け、政府軍勝利に寄与し、功を立てることができた。さらに弥太郎は戦争終了後の軍需品の処分でも大きく儲けた。この戦争をキッカケに弥太郎は、海運業界において独占的地位を三菱にもたらした。

弥太郎は、以下のような名言を残している。

「一日中、川の底をのぞいていたとて、魚はけっして取れるものではない。たまたま魚がたくさんやってきても、その用意がなければ、素手ではつかめない。魚は招いて来るものでなく、来るときに向かうから勝手にやってくるものである。だから魚を獲ろうと思えば、常平生からちゃんと網の用意をしておかねばならない。人生全ての機会を捕捉するにも同じことがいえる」。

板垣英憲

板垣英憲

板垣英憲いたがきえいけん

政治経済評論家

元毎日新聞記者、政治経済評論家としての長いキャリアをベースに政財官界の裏の裏まで知り尽くした視点から鋭く分析。ユーモアのある分かり易い語り口は聴講者を飽きさせず大好評。

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