2011年11月01日

お茶の間の子どもたちが、戦場のことを知ってくれている

渡邊(弊社社長):
初めて出会った頃は、戦場に出向くための資金稼ぎでアルバイトをしたり、大変な思いをされていました。今はテレビでブレイクしてすっかり有名人になられましたが、率直に今の状況をどうお感じになられていますか。

渡部:
びっくりしています。今は、心も身体もなんとかついていこうと必死で、毎日興奮状態が続いています。スイッチが入りっぱなしの24時間、という印象です。

渡邊:
ブレイクして有名になられた人はみなさんそうですね。うまくオフの時間に気持ちを整えることが大事になってくるようです。有名になって何か変化はありますか。

iv_watanabe_01渡部:
戦場には今まで通りどんどん行くようにしています。ひとつの取材に対する姿勢は今まで以上に深くなったと感じます。一撮入魂。一度の取材にすべてを賭けています。

取材方法も変わりました。これまでは日本に戻ると、写真を現像し、原稿を書き、映像を編集して、テレビ局やラジオ局の扉を叩いて見てもらっていました。今は、持ち込んだ企画であれ、依頼された企画であれ、お互いにすりあわせる中で作り上げていけるという、これまでにない新しいスタイルができてきたんです。

そして、写真や映像、言葉やふるまいによって、お茶の間の子どもたちに戦場報道や国際報道を伝えていくことができているんです。それは、大きな変化でもあり、喜びです。

渡邊:
テレビに出るという決断をよくしましたね。リスクもあったと思います。

渡部:
本当に自分が出演して大丈夫なんだろうか、という不安も実はありました。それで、写真の先生のところに相談に行ったんです。すると先生がこうおっしゃられて。

「戦場カメラマンがテレビに出させてもらう機会はなかなかない。一度、やってみなさい。ただし、ひとつ条件を出すこと。どんな番組でも、戦場で生きている子どもたちの姿や暮らしぶりの写真を短い時間でもいいから使ってもらう。それから、戦禍の中にいる子どもたちについて、言葉でも伝える。それが約束してもらえるなら、やってみなさい。」と。

渡邊:
それを実現したわけですね

渡部:
戦場で起こっている戦争のことやテロのこと、イラクのことなどが、全国のお茶の間にいる小学生や子どもたちのテレビの画面に映し出されるわけです。あの変なベレー帽を被ったヒゲの戦場カメラマンが、普段聞いたことがないことを言っている、と。そうすると、「お母さん、イラクってどこにあるの?」、「お父さん、どうして戦場が起こっているの?」となるわけですね。夕食のだんらんに、小さな子どもたちからイラクやタリバン、アフガニスタンといった言葉が出てきている。それが嬉しいんです。子どもたちが、世界で起きていることと、少しでもつながってくれる。その思いが体感できたので、やっていけると思いました。

iv_watanabe_02渡邊:
先日、メディアの人たちが集まる勉強会で、「講師選定から見る世の中」というテーマで講演をしたんです。これまでの10年間を振り返ってみると、講演のニーズは大きく3つに分かれるんですね。「ブレイクした人」、「大きな影響のある出来事に対して語れる人」、そして、「組織のモチベーション、リーダーシップなど企業マネジメント」です。

でも、もっと大きく時代ごとにテーマがあったんです。例えば今なら、命や絆、家族。実はこのテーマ、渡部さんが7年前から据えているものなんですよ。だから思ったんです。渡部さんは、ブレイクするべくしてブレイクしたんだと。実は有名になる人って、そういうケースが多いんです。時代が求めていた。しかも、渡部さんもそうですが、純粋にそれが大事だと思って提案してきたわけですよね。一途な思いで。

渡部:
20歳で初めて戦場を取材したときと、今もまったく気持ちは変わっていないです。伝えなければ、という気持ちだけです。

そして、どの国に行っても恐怖に襲われます。小さな情報に敏感になる。撮影をしているときに、ちょっとした足音が聞こえてくるだけでも震え上がる。それは今でも同じです。ただ、違うことがひとつある。それは日本に帰ると、自分の家に電気がついていることです。妻がいて、生まれたばかりの子どもがいて。3人で話をしたり、テレビを見たり、戦場写真を見て考えたりする。そんなやさしい時間が今はあります。気持ちがすーっと平常心に戻れる。

ただ仕事に向かうため玄関を開けて一歩外に出ると、カチャリと戦場モードに入っていきます。そんなスイッチができました。

仕事も大切ですが、家族より仕事が上に来ることはない

渡邊:
学生時代にピグミー族に会うためにコンゴに行ったのに乱闘に巻き込まれ、その恐怖の事実を伝えたくて写真を撮り始めた、というのがカメラマンになったきっかけだったと聞いています。これがどう、戦場カメラマンに結びついていったんでしょうか。

iv_watanabe_03渡部:
コンゴは当時、内戦が起きていたんです。事実を撮ろうとカメラを構えたとき、僕の服を引っ張って泣いている子どもたちがそこにいました。それも、びっくりするくらい、たくさん。みんな僕をじっと見つめてSOSを発信していました。でも、それはどこにも届いていませんでした。戦場のSOSを届けること。これが僕自身の責務だと感じました。

それからいろんな戦場に行きましたが、共通していたのは、戦争の犠牲者はいつも子どもたち、ということです。イラクでも、アフガニスタンでも、僕の服を引っ張るのは、子どもたちです。その声を世界に伝えること。僕の行動の原点にあるのは、その思いです。

今も世界中で戦争が起こっています。戦場カメラマンは必ず現場に立ち、事実のみを伝えるのが仕事です。演出や、ストーリーや、脚色は必要ない。事実をはっきりと、正確に、わかりやすく伝えることが、僕の使命だと思っています。

渡邊:
それにしても、食えない時代が長い間あったでしょう。よく、耐えましたね。

渡部:
ひとつ、好きな言葉があります。石の上にも15年。決断したことを15年やり続けていけば、15年たったとき、どんな小さな形であっても、しっかりと思いを伝えることができる活動になると、僕は信じています。

渡邊:
実は私も事業を始めて15年なんです。それは本当に共感します。途中でやめてしまうと失敗になるんですよね。成功するまで続けていけば、借金を背負おうが、どれほど苦しもうが、最後は成功するかもしれない。

渡部:
はい。長く続けることは本当に大事です。

渡部:
でも、戦場という危険な場所にいると、人生観や死生観が変わるんじゃないですか。東日本大震災で、日本人は命について見つめ直した気がするんです

渡部:
僕は、「命は家族のものだ」と思っているんです。独身のときは、両親、兄弟のものだと思っていました。危ない状況も何度もありましたが、いつでも一番大切なものは家族でした。今でも家族が最優先です。仕事も大切ですが、家族より仕事が上に来ることはありません。趣味は3番目です。いつでも家族が一番。家族が原点です。

iv_watanabe_04渡邊:
たくさんの人に聞いてもらいたい言葉だと思います。今は愛情が家族ではなくて、自分に向いてしまっている人も多いから。親が子どもに勉強せよ、という。でも、愛情は実は子どもに向いていないんですね。親が自分の虚栄心のために言っているケースも少なくないわけです。それを子どもは敏感に察知する。見抜いてしまう。おかしくなるのは当たり前だと思います。

そんな中で、命がけで教育していく人もたくさんいます。夜回り先生のような人ですね。家族に愛情が向けられるのは、素晴らしいことだと思います。

そういえば、結婚したのも経済的に苦しい時代でしたね。仕事にもリスクがある。よく決断されました。

渡部:
僕は結婚したかったんです。家族を持ちたかった。気持ちを納得させ、人生から逃げないためにも。結婚したなら、どんなことがあっても家族を養うんだ、と思っていました。そこは腹をくくっていました。どんな仕事でもやろうと思っていました。妻も決断してくれたわけですから、僕と結婚することを。それは支えなんです。

渡邊:
写真で食えなかったら、どうしようと思っていたんですか。

渡部:
切り札は、バナナです(笑)。食えない時代もそうだったんですが、世界中から運ばれてくるバナナを、国内でトレーラーに積み込むという、とんでもなくハードな仕事があるんです。朝3時に起きて、仕事が終わるのが22時間後、という。ドヤ街にはたくさんの人たちが集まってきます。日銭仕事です。僕はこの仕事で、生まれて初めて立ったまま寝る技術を学びました。バナナが運ばれてくる、わずか3分の間に立ったまま眠る。正直キツかった。でも、魅力的な人たちとも出会えて、そして稼げる。また、これをやればいい、と思っていました。

渡邊:
そういう生々しい世界、厳しい環境に、渡部さんは興味が湧くんですね。

渡部:
そうかもしれないですね。厳しい環境は好きです。あえて、そういうところに行く、というところもあるかもしれない。それは、子どもの頃、父に武士道を厳しく叩き込まれたことも大きいです。堪え忍ぶことが原点にあります。それが、好きなんです。

外国に行くことで、日本の良さに気づくことができる動画メッセージ -対談を終えて

渡邊:
東日本大震災は、日本にも世界にも衝撃を与えました。世界を見てきた渡部さんからは、震災後の日本や日本人はどう映りましたか。

iv_watanabe_05渡部:
日本人の伝統や慣習、考え方は、今の日本人にもはっきりと伝わっているんだ、ということが、よくわかりました。他人の痛みや苦しみを感じ取ること、言葉に出さないで行動で示すこと。そういう日本人がずっと大事にしてきたものが、はっきりと見えました。みんなやさしくて、思いやりがあって、声をかけあったりふれあったり、手をつないだり、分け合ったり。

僕も被災地に行きましたが、今どきの若者から年配の方まで、多くの方がリュックひとつ背負って現場に入られて、ボランティアをされていました。声をかけあい、中には涙を流し合って。繊細な日本人ならではのやさしさや思いやり、美しさが、全国民にはっきり見えたと感じました。

そういうものが、あまり表に出ていなかったのは、日本人ならではの奥ゆかしさからだったんだ、と思いました。実際には、日本人が輪でしっかりつながっていたと思う。世界の中でも、日本はやっぱり奇跡のやさしさを持つ国なんです。だから、治安もいい。

渡邊:
世界からは、日本はどんなふうに見えていると感じていますか。

渡部:
たとえばイラクという国は、とても親日国家でした。日本に行ってみたい、という声をよく聞きました。66年前、広島と長崎で悲劇があって、でもそこから日本は経済面でも、世界のステータスでも、隣国に対するやさしさの面でも、世界にとって大切な国であり続けている。戦争をしていた日本が、どうしてこんなに短期に変われたのか。それを知りたがっていましたね。

渡邊:
あんなに距離は遠い国なのに。

渡部:
これはどの国の人も言いますが、「世界地図で右端にある豆粒みたいに見える小さな国が、どうして世界の中で大きなやさしさを持てる国になったのか」、それはみな知りたがります。

その意味では、日本は今もコロンブスが発見した「ジパング」なんですよ。夢が広がっていて、奇跡が広がっている。それが日本なんです。

渡邊:
でも、その日本が、日本人が、自信やプライドを失っているように見えます。

渡部:
国や全体としては、元気がないように見えます。でも本当は、一人ひとりは強い誇りとプライドを持っているのが、日本人だと思っています。それを確認するためにも、2つのことを実践するといいと思っています。ひとつは、外国に行くことです。国境を越えて日本を出ると、世界との違いを認識できます。世界の良さもあるけれど、日本の良さにも気づく。日本人である自分をしっかり感じることができるんです。

もうひとつは日記をつけることです。日記を書くことで、気持ちを整頓できる。心の琴線に触れた言葉や出来事を書き留めることで、自分自身をコントロールすることができるようになる。

渡邊:
ちょうど明日からロンドンに行くんです。その後は中国へ。また、日記は去年から付け始めました。まさに自分がやろうとしていることを、褒めてもらえるとうれしいですね(笑)。では、日本にはまだ希望が見えますか。

渡部:
僕には光が見えます。例えば世界でも進んでいる世代交代が、とうとう日本でも起き始めている 。海外を巡っていて、たまたま留学をしていた日本人にたくさん僕は出会いました。そのときの若い人たちが今、国政や地方の議会などで、次々に議員になっている。政治を担い始めているんです。ということは、街頭演説などを聞いて、新しい時代の風を受けた若者たちに任せたい、と有権者たちが気づき始めている、ということでしょう。

世界の世代交代、若い世代の風に乗っていけるのは、日本でも若い世代です。それに乗れる人たちが日本でもしっかり出てきて、それを人々が支持している。明るいと思います。

渡邊:
写真で、あるいは映像で、さまざまなメッセージを伝えておられるのが、渡部さんです。では言葉で、講演ではどんなことを伝えていきたいのか、最後にお聞きできればと思います。

iv_watanabe_06渡部:
戦争でも、貧困でも、天災でも、喧嘩でも、政治や経済でも、犠牲者になるのはいつも子どもたちである、ということです。僕にできることは、そんな子どもたちが、泣いて発信するSOSを、必ず現場に立って、自分の目で直接見て、聞いて、発信していきたいと思っています。

カメラマンとしては、写真の力をいつも一番大切にしてきましたが、講演会をさせていただいたことで、言葉の力、その大切さ、やさしさや厳しさをはっきり感じ取ることができました。今は、写真の力も、言葉の力も、両方が僕にとって大切なものになっています。両方の仕事をしっかり守っていきながら、日々、発信していきたいと思っています。

渡邊:
今日はお忙しいところ、貴重なお時間をありがとうございました。

対談後、渡部陽一さんに対談の感想を頂きました!