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コラム 人権・福祉

2004年01月05日

外泊訓練。えっ!まさか!

いよいよ外泊の日になりました。我が家には車がありません。前述したように母は親に恵まれず、幼き時から丁稚奉公に行っていたようで学校を出ていません。カタカナを読み書きすることがやっとです。あいにく義父も若くして、捕鯨船に乗っており、陸の人ではありません。一年のほとんどが海の上の生活です。なので、車の免許は持っていません。

当時は、車椅子使用者が電車での移動は中々難しく、ましてや障害を持ったばかりの私には精神的にも、身体的にも不可能です。それなので、母の姪(私とは年の離れたいとこ、母とは姉妹といってもいいような年齢です。)に車を頼むことにしました。月曜日から金曜日迄が訓練なので、金曜日の訓練を終えて外泊し、日曜日の夕方に病院へ戻ります。

金曜日の夕方、母を乗せていとこが来ました。「郷詞、元気?」私とは一回り以上の年齢さです。「あぁ、ありがとう」そういうと、私は身支度をしてもらい、病室をでました。 車椅子を押され、正面ホールに着きました。「車持って来るね」いとこが車を病院の正面玄関へと着けます。ドアを開け、皆で私を乗せ、荷物を積み、ゆっくりと車は走り出しました。

私は看護婦に録音してもらったカセットテープ(今はMDが主ですね。)をセットしてもらいました。(まりこの部屋へェェ、電話をかけてぇぇ)中島みゆきの「悪女」が流れます。季節は冬。動けない自分。外はもうまっくらです。寒さと悲しみと暗闇と、そして、中島みゆきの歌声だけ、むなしく車中に流れます。(歩いて帰りたかった・・・)心の中で私が泣いています。今思えば、きっと、母も同じ想いだったと思います。

怪我をしてから、ベッド、車椅子の生活が主でした。人間は面白いもので、どんな環境でも「慣れ」というものがあるんですね。車椅子でしかも、手に力がなく、動くことがすごく遅いんです。つまり、亀さんです。それが私が「日常見ている速さ」です。もう、数ヶ月もその速さなので、車の速さに戸惑いました。

更に、足は物の様に勝手に右に左に揺れるのです。自分の身体なのに「物」なんです。勝手に揺れて、それを支えることが出来ません。胸まで麻痺している身体も不安定で仕方ありません。ふと、横のスピードメーターを見ると、40キロしか出ていないのですが、麻痺した身体と日常の速さの慣れ。100キロ位のスピードに感じたことを鮮明に覚えています。

自宅に着くと、母が焼肉を焼いてくれました。久しぶりの温かい食べ物に感激です。病院では肉の脂が白く固まった状態まで冷えてしまった食事です。でも、それも当時の病院では仕方のないことで当たり前のことでした。 「うまいなぁ、うまい」私は知らぬ間に何杯もおかわりをしていました。

さて、食事の後は、入浴です。義父と母との連携プレーです。母が洋服を脱がせてくれ、義父が入浴介助をしてくれます。本当に義父には頭が下がります。実子でも中々出来ないことなのに一生懸命手伝ってくれました。

先日、家庭訪問で自宅を調査してもらいましたが、今回の外泊にはまだ住宅改修をしていません。なので、車椅子使用者にはすべての物が不便でした。もちろん、介助をする者にもそうでした。それと、一番は身体にも住宅にも慣れていない私の心がすべてのものをバリアにしてしまいます。それが、介助する者さえバリアにします。

不便な環境に対し、いつもと違う慣れない介助にイラつきは隠せませんでした。なんとか、2泊3日の外泊訓練も終え、いとこと母に付き添われ、病院へ戻りました。何故か、病院に戻ると「ホッ」としました。そんな自分が淋しくも虚しくも感じます。しかし、介助を知っているナースの力は絶大です。それほど、家族の一人が障害を持ってしまうという事は、本人と家族にとって大変なことなのです。

春に怪我をし、いつしか季節は、冬になっていました。「年越しだけは自宅で」と、二回目の外泊訓練は年末にしました。 寒い木枯らしが吹き荒れます。私の心の中にまで吹き荒れています。(去年は合宿で走り回っていたよなぁ なんで、俺だけが・・・)いつもの想いが甦ります。

 自宅に戻り、温かい食事。ささやな至福の時です。2回目の外泊訓練で、母も義父も慣れてきています。とても、あり難いものです。私のように外泊が出来る人はまだましです。親が引取りを拒否する場合もあります。

そういえば、こんな例がありました。15才で無免許でバイクに乗り、交通事故に遭ったのです。頭を損傷し、車椅子生活に。その子は親が中々引き取らず、施設をたらい回しにされていました。なんとも、悲惨な話です。

今回は年末年始を自宅で迎える為に少し長めの外泊です。外泊も2回目を迎え、母も義父も私の身体に慣れて来ました。とはいえ、なんとか、やっとこ時が流れます。

2泊目の夜のことです。就寝の準備をしようと横になり、母に洋服を脱がせてもらっていました。すると、その時電話が鳴りました。「ジリーンジリーン・・・」母が電話に出ました。電話のやりとりが途切れ途切れに私にまで聞こえています。ただならぬ雰囲気に私は耳をすまします。「もしもし、・・・えっ!まさか!」母は驚いています。電話は伯父からのようです。母は電話を切ると慌てて私の所に駆け寄りました。そして、こう言いました。

「かっ かっ 和彦が自殺しちゃった!」

第13話完

濱宮郷詞

濱宮郷詞

濱宮郷詞はまみやさとし

コラムニスト

「何故、自分だけが、寝たきりに・・・」 毎日、死ぬ事ばかり考えていた。 そんな時、あなたと出逢い、あなたがそばに来てくれた時、生きる事に決めたんだ。 あなたが与えてくれた命。目の前には「無限の可能…

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