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2009年10月20日

龍馬に学ぶ『枠にとらわれない生き方』と『先見力』

【太平洋の広い海原を眺望しながら育つ】

龍馬が生まれた坂本家は、清和源氏の一支族・美濃源氏土岐氏の庶家「明智左馬助秀満の末裔」を称していました。

坂本姓は、織田信長が明智光秀に夜襲、暗殺された「本能寺の変」以前、明智氏所領であった坂本(現滋賀県大津市坂本)に由来しています。家紋は「組み合わせ角に桔梗」。(命日は旧暦の誕生日と同じ。龍馬暗殺犯は、幕府の「京都見廻組」説が有力。このなかに織田信長の子孫がいて、祖先の仇を晴らしたという話も)

龍馬は、姉・乙女とともに浦戸湾を船で漕ぎ出て、当時、土佐藩御船蔵のあった種崎にある川島家をたびたび訪れて、長崎や下関からの珍しい土産話などを聞き、世界地図や数々の輸入品を見て外の世界への憧れを高めました。

また姉・幸の夫の家にもよく遊びに行き、屋根に上って太平洋を眺めていたそうです。広い海原を眺望しているうち、「枠にとらわれない生き方」ができるスケールの大きい人物へと成長する素地ができたのでしょう。

【2度、思想的に大きな「転回」をする】

坂本龍馬は、わずか31歳という短い人生の間に、2度、思想的に大きな「転回」をしています。

1度目は、土佐勤王党の攘夷派としてきた龍馬が、開明派的行動に大きく変化した瞬間です。土佐勤王党の盟主・武市瑞山のメンバーから、これとは異なった道を歩み、勝海舟に接近して行きます。

2度目の大きな「転回」は、大政奉還に至る土佐藩にこだわりながら、藩を超え、それを議会論によって具体的に構想して行く過程での大きな変化です。
これらは、龍馬が、欧米列強の日本進出によって、それまでの封建体制下の鎖国政策が日本人に押し付けてきた常識や固定観念、あるいは陋習が打ち破られ、「パラダイムシフト」(革命的かつ非連続的に新しい価値認識の世界に変化すること)が行われようとした最中に促された大きな「転回」であったとも言えます。

【東洋最大手の英国武器商会の営業マン】

龍馬は脱藩後、長崎にいた英国スコットランド系ユダヤ人のトーマス・グラバーと継続的に接触しました。グラバー商会は、アヘン戦争を推進した英国ジャーディン・マセソン商会の直系で、グラバーの肩書きは、「マセソン商会長崎代理人」でした。

龍馬が幅広く権力者と交流できたのは、当時の東洋最大手の英国武器商会の「営業マン」だったからという説もあります。長崎のグラバー邸には、龍馬ら脱藩志士を匿って住まわせたとされる「隠し部屋」がありました。

龍馬は、グラバーから強い影響を受けて、薩長同盟仲介、亀山社中設立、海援隊創設、船中八策立案へと独創性を発揮していくことになります。

【「ワシは、世界の海援隊をやります」】

龍馬には、こんなエピソードが伝えられています。
土佐藩士の間では長刀をさすことが流行していました。龍馬の旧友が龍馬と再会したとき、龍馬は短めの刀を差していました。そのことを指摘したところ、「実戦では短い刀のほうが取り回しがよい」と言われ、納得した旧友は短い刀を差すようにしています。
再会したとき、旧友が勇んで刀を見せたところ龍馬は懐から拳銃を出し「銃の前には刀なんて役にたたない」と言われ、納得した旧友は早速、拳銃を買い求めました。
3度目に会ったとき、旧友が購入した拳銃を見せたところ、龍馬は、万国公法(国際法)の洋書を取り出し、「これからは世界を知らなければならない」と言いました。旧友は、「最早、着いていけない」と言ったそうです。

龍馬は西郷隆盛に「ワシは、世界の海援隊をやります」と語り、その様子を同席していた陸奥宗光がことあるごとに回想して語ったといい、龍馬が士魂商才を発揮して「海援隊」を率いて世界貿易に飛翔する夢を描いていたことが窺われます。

【新国家の基本方針「船中八策」を策定】

龍馬は1867年(慶応3)6月、「いろは丸沈没事件」を解決させた後、京都にいた前土佐藩主・山内豊信(容堂)に大政奉還論を進言するため、藩船の夕顔丸で長崎を出航し、洋上で新国家体制の基本方針「船中八策」を策定し、参政の後藤象二郎に提示しています。ただし、オリジナルは上田藩士で軍学者の赤松小三郎の構想とも言われ、また、親交があった福井藩政治顧問・横井小楠(肥後熊本藩士)から受けた影響が色濃く出ています。

公議政体論の下、憲法制定、上下両院の設置による議会政治、不平等条約の改定、海軍力の増強、御親兵の設置、金銀の交換レートの変更など、当時としては画期的な条文が平易簡潔な文章として記されています。

とくに「8策」目は、「金銀の交換レートが国内と国外で異なっていると、二国間で金銀の交換を行なうだけで利益を上げられるので、貿易や物価安定に好ましくない」という経済政策です。
農本主義を基本としてきた封建体制の日本が、いよいよ資本主義経済社会の仲間入りをしようとする息吹と意欲がよく伝わってきます。

龍馬が、「船中八策」の作成に当たり、いかに鋭い先見性を持ち、時代を先取りして、文章化していたかを知れば、経済に強い政治家としての天才ぶりに圧倒されます。

板垣英憲

板垣英憲

板垣英憲いたがきえいけん

政治経済評論家

元毎日新聞記者、政治経済評論家としての長いキャリアをベースに政財官界の裏の裏まで知り尽くした視点から鋭く分析。ユーモアのある分かり易い語り口は聴講者を飽きさせず大好評。

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