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人生最大の危機 ~柔道家・古賀稔彦~

人生最大の危機 ~柔道金メダリスト・古賀稔彦~

人生最大の危機を教えてください。

講演で喋ったことがないエピソードにしましょうか。

大学一年生の時に、東京都代表で山梨国体のシニアの部に出場しました。その準決勝で背負い投げした時に肘を怪我しました。

その時の状況や危機が発生した原因を教えてください。

その当時は「背負い投げだけで俺は勝てる!」という自信があったので強引に技をかけたのですが、そのせいで右肘に相手の全体重がかかって、内側靭帯を怪我してしまいました。柔道人生終わった・・・と思いましたね。背負い投げをやる選手は肘を怪我すると、一番の得意技を使えない=勝てなくなるというパターンが多かったので。

危機とどのように向き合い、乗り越えたのですか?

人生最大の危機 ~柔道金メダリスト・古賀稔彦~ 俺の柔道人生終わった・・・そう思いながら東京に戻ってきて、地下鉄にボーっと乗りながら色々なことを考えていました。すると、「小さいころ、どんなことがきっかけで」と思い、小学校時代負けて悔しかったこと、負けたことによって負けず嫌いな性格が出てきて、とにかく強くなりたいと思ったこと、誰よりも強くなりたいという夢を持って東京に出てきたこと・・・沢山のことが走馬灯のように蘇りました。

それまでは「とにかく強くなりたい!世界一強くなりたい!」と上だけを見ていたので、その時に初めて立ち止まり、柔道人生を振り返りました。そして、「そんな俺も世界一にはなることはできないな、夢がすべて終わった」と、そこまで考えましたが、そうするともう考えることがなくなってしまったんです。マイナスなことを考え尽くしてしまったんですよね。その後、今度はプラスのことしか考えられない自分が出てきたんです。

「じゃあそんな俺がどんな考えで、何をしたらもう一度世界に挑戦できるのかな」
「肘に負担をかけないように他の筋肉を鍛えてカバーしよう」
「他の技も身につけて、技・テクニックの幅を広げよう」

などの考え方が生まれてきました。私はマイナスな考え方もあれば、その逆でプラスの考え方もあるんだと気づきました。そこから、これもやってみよう、あれもやってみようと色んなアイデアが溢れてきて、自然と前向きな自分になり、“今から”がスタートラインなんだ!と思えるようになりました。

最大の危機に直面したご経験から、どのようなことが得られましたか?

そこから学んだことは、“原点に戻る”こと。

山登りをしていて、もうダメだ!これ以上は上に行けそうない、と思ったら一旦下山しますよね。そしてもう一度準備から始める。「このルートがダメだったから、今度はこの準備をしてこのルートで行こう」とスタート地点に戻ることで新たなる道を発見できる。原点に返ることにより心の整理がつき、今ここが新たなスタートラインになるんです。

最大のピンチながらも、再挑戦の学びを感じた瞬間でした。

最後に、人生の危機に直面している人へ向けてアドバイスをお願いします。

人生最大の危機 ~柔道金メダリスト・古賀稔彦~危機に陥ったら、頭のどこかで映画のカチンコが鳴った音がする。「さぁきたぞ!」これからどうしてやろうか、どうやってハッピーエンドで終わらせやろうかと思う。映画監督になった気分になるんです。“危機的状況からスタートするけど、最後はハッピーエンドになる映画”の監督、兼、演出家。そうなると、自分がまとめる人になるので、変な雑念、雑音があまり入ってこなくなる。仮に誰かに何かを言われても、

「いや、この映画はこの結末を考えてますから!」

という意志の強さが生まれてくる。そうやって、ハッピーエンドという結果が待っていると思えるから、高い壁も乗り越えられてきた。その経験を生かして、今危機に直面している人に伝えたい。

「危機的状況から、ハッピーエンドで終わる映画の監督になってみませんか?」

(株式会社ペルソン 無断転載禁止)

古賀稔彦

古賀稔彦

古賀稔彦

柔道家

1967年福岡県生まれ、佐賀県出身。 東京・世田谷の「講道学舎」に入門し、弦巻中学、世田谷学園高時代に数々の全国大会を個人・団体戦で制覇。日本体育大学進学後”平成の三四郎”の異名をとり、バルセロナ五輪で金メダルを獲得。

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