2008年03月19日

男はみんな強くなりたい

 「格闘技を意識したのは、小学生の頃、テレビで「柔道一直線」を見てからですね。父が柔道の有段者でしたので、柔道ごっこをして遊んでもらったことを覚えています。ですが、小学6年生の時、世界的に大ヒットしたブルース・リーの映画を観て、いっきに空手に引き込まれていきました。中学生になる頃には、ブルース・リーのキックやパンチの真似をするだけでは飽き足らず、なけなしのお小遣いをはたいて映画のサントラ盤を購入し、「アチョー!」だけではなく(笑)、英語のセリフを全部書き出して暗記するほどの大ファンに。英語の授業で教科書を読むと、先生に「うまいな」ってほめられるんです。人間、ほめられると単純に嬉しいですから、もっとほめられようと頑張る。それで、英語がどんどん好きになった。ブルース・リーは、空手と英語への興味を最初に与えてくれた、僕にとってはとても大きな存在なんです。

  極真空手を題材にした漫画、『空手バカ一代』にもはまりました。梶原一騎さん原作の名作です。ブルース・リーの映画も確かにすごいけど、やはりフィクションの世界じゃないですか。でも、「空手バカ一代」に登場するのは、創始者である大山倍達先生と弟子たち。もちろん脚色されているでしょうが、実際に開催されたトーナメント試合とかが題材になっているんですね。さらに、その実写版ともいえる映画『世界最強の極真カラテ』を観た時は、驚愕しました。猛スピードで走ってくる車をとび蹴りで飛び越えたり、人食い熊と戦ったり……。これしかない! 彼らのような生き方をしてみたい! 高校時代にはもうそんな決意を固めていました」

人生の師との出会い~7年間のどん底生活

―――奈良県立生駒高校に進学した角田氏は、高校2年で念願の極真空手芦原道場に入門。入門誓約書に、「空手バカ一代に登場できるような空手家になりたいです」と書いたのだそう。クラスメートも、家族も「本気じゃないよな」と笑ったと言うが、角田氏は真剣そのものだった。

photo3 「笑わば笑え、俺は本気だ、ですよ。入門した日は忘れもしない1978年の1月11日。ですからちょうど30年、ずっと僕は空手とともに人生を歩いてきたんですね。そしてこの芦原道場で、人生の師と出会うことになるのです。それが、後に正道会館を立ち上げ、K-1の生みの親となる石井和義先生。石井先生との出会いがなければ、今の自分はなかったでしょう。僕が関西外国語大学に進学し、空手を続けていた頃のことです。石井先生が極真空手芦原道場を円満離脱し、新たに正道会館を創立すると。で、僕も石井先生について正道会館に移籍するんです。極真や芦原会館のほうが当然メジャーですし、もちろんそのまま残るという選択肢はあった。でも結局は、手取り足取りご指導いただいた恩義というか、人間関係を優先したんですね。いや、本当に不思議なご縁だったと、今振り返ってもそう思います。

  石井先生はその頃から、空手がメジャーになれない理由は、生産性がないからだとおっしゃっていました。例えば、野球の頂点にはメジャーリーグがあって、日本のプロ野球、大学野球、甲子園、少年野球という底辺への広がりができ上がっています。そこには、プレーに必要なグローブ、バット、ボールなどを生産する企業があり、プロチームや選手をスポンサードする仕組みがあるわけです。一方、当時の空手がどうだったかといいますと、入会金と月謝を払って、1万円程度の空手着を購入すれば、ずっと続けることができる。生産性、いわゆる経済活動を必要としない世界だったのです。このままでは、空手がどんなに素晴らしいスポーツであってもメジャーにはなれない。まずは、企業がスポンサードしたくなるようなスター選手をつくる。そうしないと競技人口も増えていかないんだと。『そのうち必ず東京ドームで空手トーナメントが実現する』、『空手選手がテレビCMに出るようになる』。石井先生は20年前からそう公言されていました。当然ですが、僕も含め周囲はみんな『そんなあほな…』。でも、今では自分が大会場で試合をし、テレビCMに出てるんですよね(笑)」

7年間のどん底生活

―――英語の教員免許を取り、大手商社からも内定が出た。しかし、大学を卒業した角田氏は、空手継続の道を選択する。そして、正道会館神戸支部の支部長として、道場経営を任されることに。が、数年後、スポンサーの撤退により道場は閉鎖に追い込まれてしまう……。

 「道場経営から撤退した後、先立つものが必要ですから、いろんな仕事をしましたね。ラーメン店での接客仕事、工事現場での肉体労働、お店の用心棒、一度はサラリーマンにもなりました。もちろん、毎日の空手の稽古とトレーニングはいっさい手を抜きません。意地というか、もう信仰心みなたいなものですよ。今の格闘家は、大きな会場で試合ができて、映画に出たり、「ハリウッド目指します」、なんて選手もいますが、当時は何もなかった。それでも、空手から離れられないんです。いろんな大人から「いつまでもバカなことやってんじゃない!」って何度もお叱りを受けました。確かに、工事現場で働いて、日当の1万円をぽ~んって道に放られて、それを拾う瞬間、涙が出そうなくらい悔しかった。でも、神戸での7年間の様々な苦労、我慢が、人間としてのバランス感覚を養ってくれたのは確かです」

【ターニングポイント】自分と向き合うことで手に入れた人生のベストバウト

―――人生谷があれば山もある。7年もの低迷時代を経験した角田氏だったが、K-1が立ち上がると同時に人気のファイターとなった。数え切れないくらいの名勝負を演じてきた角田氏は、ある選手との対戦でさらなる自分の進化を実感することになる。

「満足をしたら終わり。生涯現役が僕のテーマですから、死ぬまで修行ですよ」

「満足をしたら終わり。生涯現役が僕のテーマですから、死ぬまで修行ですよ」

  「僕自身が憧れていた空手家、黒澤浩樹選手と初めて対戦したのが1999年7月。中途半端な試合運びのままずるずると最終ラウンドまでもつれ込み、結局、5対0という大差の判定で敗戦してしまいます。自分の不甲斐なさに、かなり落ち込んで、自信喪失……。しかし、このままでは終われない。失った自信を取り戻すには、黒澤選手ともう1度戦って倒すしかない。そう決意してから、これまでやりたくないという理由で避けていた苦手な練習を徹底して行うことを自分に課しました。自分の弱さを克服することで、心・技・体の和合を目指したわけです。

  翌年の3月、「K-1 BURNING 2000」で、黒澤選手との再戦が決定。リベンジを胸にリングに上がり、試合が始まりました。そして1ラウンドの中盤、渾身の右フックが黒澤選手の耳の上に炸裂。完璧なKO勝ちです。私は横浜アリーナの天井に向かって咆哮していました。この人生最大の勝負を制したことで、ファイターとしての自分の進化をはっきりと実感できましたね。人間は無意識のうちに、嫌なこと、苦手なこと、辛いことから逃げ、後悔してしまう。簡単ではないですが、自分の弱さと向き合って、そこから逃げず戦うことが大切なんですよ。“敵は己の中にあり”。本当の敵は黒澤選手ではなく、自分の中にあった
わけです。今でもこの試合が僕のベストバウトだと思っています」

角田信朗からのメッセージ

photo4 「やりたいことが見つからないという人ほど、環境が悪いとか、あの人が悪いとか、何かのせいにしている気がしています。でも、本当はそうではなくて、自分が悪いんです。考え方、やり方が間違っているだけ。それに早く気づかないといけない。楽しくて、お金がたくさんもらえて、やりがいのある仕事なんて普通ありませんよ。僕の人生は空手一色ですから、「好きなことでお金が稼げていいね」なんて言われることもあります。けど、とんでもない。ここまでお話してきたように、苦労ばかりでしたし、一歩間違えればアウトなんて事態もたくさんありました。講演では、「僕の生き方を真似しないでください」って言っていますからね(笑)。仕事は生活するためにするもの。楽しいことは別につくって、それを実現するために仕事する。そんな考え方もありですよ。今の日本、食べられなくなるなんてことなんてないですから、何でもやりたいことに挑戦してほしい。

  今回のテーマは人生のターニングポイントということですが、転機なんて、そこら辺にいくらでも転がっているんです。それはピンチだったり、チャンスだったりしますが、1日の中でも何度も訪れる。どちらであっても前向きにとらえ、すぐにアクションすることができれば、どんどん進化していけるんです。極真空手創始者の大山倍達先生は、「千日をもって初心とし、万日をもってこれを極める」とおっしゃいました。万日は約30年ですが、僕は今年で空手を始めてちょうど30年。極めるなんてまだまだ。なので僕は、「万日をもって初心とし、生涯をもってこれを極める」。これでいこうと。でも、目標がないと継続は難しいですから、年末には再びリングに上がろうと考えています。正道会館の“SAY DO”の精神で、思いを言葉として発し、退路を断って挑戦し続けてく。これができれば生涯現役でいられます。あとは年齢を言い訳にしないこと。それが男のアンチエイジングなんだと思います」(了)

 

文:菊池徳行(アメイジング・ニッポン)/写真:鈴木ちづる 
(2008年3月19
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