2011年09月01日

地域や社会全体で子どもを育てていく仕組みが必要

――保育園を開園されたそうですね。なぜ今、保育園だったのでしょうか。

 「2007年の4月から2010年の3月まで3年間、僕は小学校の教員を務めさせてもらいました。このとき強く感じたのは、子どもたちにとっては、やはり家庭がとても重要なんだ、ということです。急に忘れ物が多くなったり、授業中に急におしゃべりを始めたりと、学校の中で何か行動の変化があったりすると、何か理由があるんですね。どうしたの、と聞いてみると、ご家庭で何らかの環境変化があるケースがほとんどでした。大人にすれば、こんなことで、と思うささいなことでも、家庭の中の小さな変化で子どもたちは大きく精神のバランスを崩してしまうことに気づかされたんです。

 家庭が安定していて、親から愛情いっぱいに育ててもらっていると、子どもたちは何か新しいことにチャレンジしようと積極的に取り組んだりします。でも、親が自分のことで精一杯でなかなか子どもに目を向けられなかったりすると、子どもは自信を持てずに行動が落ち着かなくなる。そういう傾向が、顕著だったんです。もちろん理想は家庭がしっかり責任を持って育てることが一番ですが、現実はなかなかそうもいきません。そうであるならば、もっと地域や社会全体で子どもを育てていく仕組みが必要なんじゃないだろうか、と感じていたんですね。そんなとき、まさにそうしたコンセプトで保育園を作ろうと準備している友人との出会いがありまして。約一年準備して、2011年4月、東京都練馬区に「まちの保育園」を開園しました」

――保育園を開園されてみて、いかがですか。また、これからどんな保育園を目指しておられるのでしょうか。

 「まだ開園したばかりなので課題もありますが、現場のスタッフが情熱とやりがいをもって一生懸命やってくれていますので、とてもいいスタートが切れました。考えていたのは、この保育園は教育機関であり、同時に地域の街作りの核となる存在になることです。街作りをしながら、子どもも育てていく。 実際、開園の半年後には、「コタケの会」という会が保護者主導で発足しようとしています。保護者はもちろん、子どもを園に通わせていない地域の方も参加できる会です。そして、いろんな交流ができる会です。子どもグッズの交換会をしたり、子育てに関する悩みを自由に話せる集まりを定期的に開いたり。会の発足以前にも、7月の七夕の夜に、子どもだけでなく保護者や地域の人にも開放してお越しいただく「たなばた会」と題した夕涼みの場を設けたり。他にも、保育士グループや保護者のグループも出演するミニコンサートを開いたり、園と直接関わりのない地域の人も気軽に来られる場を積極的に作っていきたいと考えています。当初、想像していた以上の地域の結びつきが、すでにできてきていると感じています。

地域の街おこしに加わりたくても、なかなか今まで機会がなかった、という人も実は多いと思うんです。そうした方々が、気持ちを行動に移せる場ができた。そんな印象を持っています。おかげで、地域や社会全体で子どもを育てていくという、園のコンセプトが少しずつ実現できつつあると考えています。
ただ、これまでが小学校の教員で、次が保育園と来たわけですが、実は僕にとっては立場がまったく違うんですね。小学校のときは教員免許を持つ教員としての立場でしたが、今回は保育士の資格があるわけではない。園を運営する役割です。現場のスタッフが気持ちよく仕事ができる環境を整える側。僕にとっては、新しいチャレンジの場です」

――子どもたちには、どんなことをしてあげたいとお考えですか。

「小学生に比べれば、言葉で伝えることが難しい年代でもあります。そのぶん、とにかく多くの経験と出会いを提供してあげられる場でありたいと思っています。小学校では一日中、子どもたちは担任としか過ごさない日も多いんですよね。地域の人をはじめ、多くの個性に触れることは実はなかなか難しいんです。この保育園では、保育士だけでなく、他にいろんな人とふれあって、世の中にはこんな人もいる、こんな考え方がある、と低年齢の頃から感じ取ることができる環境の園にしたいと思っています」

「世界にたった一人のかけがえのない存在だ」というメッセージ

―――そもそもなぜ、教育に関心を持たれるようになったのでしょうか。

 「小学校の教員になるまでは、スポーツライターとして、スポーツ選手にインタビューしたり、試合や練習を取材させていただいて原稿を書くという仕事を7年間続けていました。ところがその間、10代前半の少年少女が命を奪う側に回ってしまうという悲しい事件をいくつも目にして、子どもを育てる側の大人の責任について深く考えさせられたんです。

僕自身、こうした身体で生まれて、卑屈になったり、自分を否定する思いを抱いてもおかしくなかった中、自己肯定感を持ちながら充実した毎日を過ごしてくることができました。それは、両親や学校の先生はじめ、まわりにいた大人に恵まれて育ったからだと思うんです。上の世代から受けてきた恩を、次の世代に伝えていきたい。そんな恩返しならぬ、恩送りをしたいと強く思うようになったことが大きかった。それで29歳で大学に入り直して、教員免許を取得したんです。

 教育現場に飛び込む前は、最近の子どもたちは実際どうなんだろうか、大丈夫なんだろうか、と世間でよく言われているようなうがった見方も持っていたんですが、実際に教員として現場に行くと、子どもたちは驚くほど素直で、純粋だったんですよね。これにはびっくりしました。同時に、怖さも感じました。僕は講演会で何千人もの人を前に話をする機会もいただいていたわけですが、担任になったときの僕のクラスは23人だけなんです。でも、このほうがより緊張しました。講演会では、もちろんみなさん真剣に聞いてくださいますが、大人がほとんど。言ってみれば、僕の話をうまく取捨選択してくださる。僕のほうも、10話したうちのすべてではなく、1つでも2つでも胸に残してもらえればいいな、という心構えでのぞんでいます。ところが教員として子どもに10話すと、10すべて吸収してしまう。責任の大きさを感じました。常に背筋が伸びる思いで教壇に立っていました」

――学校の中に入られて、学校に関してお感じになったことはありますか。

iv53_02「もっとあたたかい目で社会から学校を見てもらえれば、と感じることは多々ありました。学校では、こんなことがやってみたい、こんなことを子どもたちに経験させたい、と能動的な考えでさまざまな場づくりを行うことが理想的だと思うんですが、実際にはなかなか新たな試みをするのは難しいんです。失敗したときに、まわりからどんな反応が来るか。それが心配で、チャレンジがしにくい風土があった。そんな学校の苦しみも知ることになったんですね。新しいことにチャレンジすれば、それが子どもたちに還元される効果はとても大きいと思うんですが、それがやりにくい状況だったんです。

これは個々の教育でも同じことが言えることです。大人や教師、両親が子どもたちに成功ばかり求めてしまう。子どもは持ち前の好奇心でチャレンジをしますが、もちろん時には失敗することもあります。そのときにその失敗を認めてあげられないんです。成功すると褒めるけれど、失敗すると咎めてしまう。これをやると、子どもたちは怒られたくなくて、二度とチャレンジをしなくなります。大人に言われたことだけをやろう、という子どもになってしまう。結果が失敗であったとしても、よく頑張ったね、とチャレンジする姿勢を評価してあげることで、これからもチャレンジしていこうという気持ちが育つのだと思うんです」

――教員としては、どのような教育やクラスづくりを心がけておられたんですか。

 「『みんなちがって、みんないい』という言葉があります。これは講演会で最も多くいただくテーマでもあるんですが、金子みすゞさんの詩集『私と小鳥と鈴と』の中にある詩の一節です。突き詰めて考えると、13年前に『五体不満足』を書いた理由もそうだったんですが、教員として一番伝えたいことは、まさに「みんなちがって、みんないい」というメッセージでした。一人一人、違っていて当たり前。世の中、自分と同じ人はいない。そんなことが伝えられる授業だったり、普段から意識してもらえる取り組みを進めていました。

例えば、教室の壁には大きな模造紙を貼っていて、そこには「1/6800000000」と墨で大きく書いていました。68億分の1。子どもたちには常々、この世界中には68億人もの人がいるが、そのうち自分はたった一人しかいない、と話していました。みんなの代わりをつとめられる人なんて誰もいない、かけがえのない存在なんだ、と。

でも、このメッセージをどのくらい子どもたちに伝えられているか、確証は持てないまま手探りで授業をしていたのも事実です。ところが、最後にこんなことがありまして。3年、4年の2年間で僕が担任をさせてもらったクラスで、翌年からクラスがバラバラになってしまうので、子どもたちがクラス文章を作りたい、と言い出したんです。どんな内容にするのか、どんなタイトルにするのか、学級会で決めてもらったんですが、一人の子どもが「タイトルは“色鉛筆”がいい」と提案しました。クラス文集で“色鉛筆”というタイトルは珍しいでしょう。どうして色鉛筆なのか、という別の子どもからの質問に、「色鉛筆は何十色もあって、全部色が違う。僕たちのクラスも一人ひとりがみんな違うから、色鉛筆がいい」と。満場一致でこのタイトルが決まりました。その様子を見ていて、僕は感慨深いものがありました。僕が一番伝えたいメッセージを、しっかり受け取ってくれていたんだな、と」

自分の本当の強み、弱みを知るにも、チャレンジが必要です

――大人の方々には、どんなメッセージを送っていきたいですか。

iv53_03「『みんなちがって、みんないい』というのは、大人も同じです。だから、子どもを見守る大人たちにも、このメッセージは伝えたいと思っています。今の日本は、人のできないことを指摘し、あら探しをする社会になってはいないでしょうか。みんな自分の弱点がバレないように、肩をすくめて窮屈に生きてしまっているのではないか、と感じることが多々あります。そうではなくて、できることもあるが、できないこともある、でいいと思うんです。それが当たり前のことだから。みんながそれをしっかり意識できていれば、できない自分も認めてあげられると思います。

 僕が五体不満足でも明るく前向きに生きてこられて、自分の人生に充実感を持って毎日過ごせるのは、両親が自己肯定感を育んでくれたからです。子どもたちのことをしっかり受け止めて、認めてあげることで自己肯定感が育まれます。僕がどのように育てられたのか、自己肯定感があることで、どんな人生を送ることができるのか、その素晴らしさもお伝えしたいです。 それに、もっともっと大人が恥ずかしがらず、照れずに、子どもたちを大切に思っていると伝えていってほしいんですよね。僕は特に父が愛情表現が豊かな人でした。愛してるぞ、といつも言っていました。そうすると、愛されているな、大切にされているな、と感じながら過ごすことができる。照れずに、子どもに愛情を表現してほしいと思います」

――逆に大人は、ついつい子どもをひとつのモノサシで図ってしまいがちです。

 「大人が子どもたちを見るとき、勉強ができると安心してしまうんです。いい子だね、と。でも僕は、勉強ができる子はいい子なのではなくて、運のいい子だと言っています。大人が認めてくれやすいポイントに、たまたま一番自分の良さがあった。だから、運が良かったと。実はそうじゃないところに良さがある子どもだっているわけですね。まわりにいる大人は子どもたちの目立たない良さをしっかり見つけて、褒めてあげてほしいんです」

――大人の中には、自分が何をしていいのかわからない、という人もたくさんいます。

「僕自身、スポーツライターにしても、教員にしても、悩んで道を見つけてきました。大事なことは、自分という人間としっかり向き合うことだと思っています。自分の弱さや弱点ともちゃんと向き合って受け止める。人には必ず得意なことも苦手なこともあるんです。その両方から目を背けていると、どんな人間で、どんな能力があって、どんなキャラクターなのか、ずっとつかめないままです。自分に向き合うことこそ、何に向いているのか、探すことだと思います。やりたいことが見つからない人は、まだ自分にしっかり向き合えていないのだと思います。

 もうひとつ、どうやったら自分の強さや弱さが見つかるのか。それは、チャレンジをしていくということです。あんなこともやってみたい。こんなこともやってみたい、と自分の興味がわいてくることは、やってみるべきだと思います。ところが、向いてないかもしれないな、失敗したらどうしよう、と頭の中で自己完結してしまう人が多い。やっぱりやめておこう、となってしまう。でも、これでは、失敗することも、傷つくこともしないかわりに、次に何かをするときに活かせる経験値がゼロのままです。

  興味を持ったらまずやってみる。たとえそれが失敗だったとしても、次につながります。次のチャレンジのための糧が得られるんです。だから、失敗を恐れず、チャレンジする姿勢が大事だと思います。自分の本当の強み、弱み、得意、苦手を知るにも、チャレンジが必要なんです」

――今後は、どんな夢を持っておられますか。

「この数年、小学校の教員をしたり、その経験をまとめて初の小説『だいじょうぶ3組』を出したり、FUNKISTというバンドと一緒に『1/6900000000』という曲を僕が作詞をさせてもらって世に送り出したり、さらには保育園の経営をしたり、いろんなことをやらせてもらってきました。一見して、バラバラなことをやっているように見えるかもしれませんが、僕の中ではそうではありません。「みんなちがって、みんないい」というメッセージを伝えたい、という想いの芯は変わっていないんです。

 一人でも多くの人にこのメッセージを伝えたい。だから、次にどんな手段を使ってメッセージを届けるか、また考えると思います。この先も、またみなさんが、僕自身も驚くようなことに取り組んでいくかもしれません。でもそうなっても、一歩踏み込んで考えてもらえると、ああ、あのメッセージをまた伝えたくてあんなことを始めたんだ、原点は同じなんだ、とわかってもらえると思います。 僕のこの身体というのは、違っていて当たり前じゃないか、というメッセージを伝えるのに、わかりやすくて説得力を持っていると思うんです。そんな身体を与えてもらっているので、このメッセージを、人生を通して伝えていくことが、僕の使命だと考えています」

――本日はお忙しい中、貴重なお時間をいただきまして、ありがとうございました。

取材・文:上阪徹 /写真:三宅詩朗 /編集:鈴木 ちづる
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