作曲家、シンガーソングライターとして活動している石田桃子さんは、自身の音楽を通して、世界各国でのボランティアにも参加しています。講演では、そのような豊富な経験を通して石田さんが気付いたことなどを、お話しして頂いておりますが、今回は石田さんに、音楽をはじめたきっかけから、これまでのボランティア活動についてまで、インタビューをさせて頂きました。
石田桃子(いしだももこ)
シンガー・ソングライター、作曲家
父親の仕事の都合で6才の時、渡米。アンソニー・ダミーコ氏のもとでピアノを学ぶ。桐朋学園高校音楽科にて、ピアノを大島正泰・加藤伸佳両氏に、作曲を蒔田尚昊(まいたしょうこう:ペンネーム 冬木透)氏に師事。同大学作曲理論科在学中より、演奏活動を始め、永六輔・丸山浩路・丸山圭子などのツアーバンドで国内外のコンサートに多数出演。
88年、サントリーホール(東京・赤坂)にてエディ・ダニエルズ(全米No.1ジャズ・クラリネット奏者)のコンサートに東京交響楽団と共にゲストとして出演。石田純一のコンサート及びディナーショウにもゲスト出演。
現在、ソリストとしてピアノによる弾き語りや、自ら率いるバンド『石田桃子&グローバル・ルネッサンス(地球維新・地球復興)』等でコンサート及びゲスト出演を中心に活躍中。また、株式会社グローバルルネッサンスを設立。世界の架け橋になることを願って活動を続けている。
音楽以外にも、トークショウや、環境CD-ROMのナレーション、ラジオのパーソナリティ、TV出演、講演、執筆活動等、意欲的に取り組んでいる。
あきらめないで 共に夢を実現させましょう
-現在、作曲家として活動されていますが、音楽はいつ頃から習い始めたんですか?
小さい頃から、日本で習っていました。その頃の文集にもピアニストになりたいって書いていたくらいです。4歳の時に両親がバイオリンや、ピアノ、バレエ教室に見学に連れて行ってくれたんです。そこで、「一つ選びなさい」って両親に言われて、ピアノを選んだんです。自分で選んだっていう自覚があったから、「やらされている」というイメージは全然なかったですね。そのころから、両親は4歳の子どもに選択権を与えて、人格や個性を尊重してくれていたんです。
-その後、小学校3年間のアメリカ生活でもピアノを習っていたということですが、日本とアメリカのピアノ教育の違いというのはありましたか?
アメリカで習った先生に共通していたのは、音楽は心で豊かに感じて、楽しむものだからと言って、レッスンが終わるとポピュラーソングや映画音楽などを弾かせてくれました。日本の場合は技術習得がメインです。それは大切なことなのですが、一日中ずっとそればかりでは、やはり途中でいやになっちゃうんですね。でも、アメリカではレッスンに行くことが楽しくて仕方がなかった。楽しむことに主眼を置いた教育に小さい頃出会えたのは幸運でした。
-その後、高校大学と音大に進んでいらっしゃいますが、それは決して順調な道のりではなかったということですが?
私は将来クラシックのピアニストになるって決めて、これまで頑張ってきました。それなのに、「手が小さすぎるからプロは無理です」と言われたんですね。そう言われたことが物凄くショックで、手を手術することも考えました。でも、小さい手でもやれることはあると考え直して、真剣に練習してきたんですが、やはり限界もありました。それで、とりあえず高校にはピアノ科に入って、でも入学直後に転科することにしました。だから、作曲科とか指揮科とか色々なところを転々としましたね。今から思うと、いろんな可能性を私に提供してくれたいい機会だったと思ってますけどね。でも当時は「お先真っ暗」でした。ピアニストになることだけを目指して頑張っていましたから。その後の挫折は数限りないんです。中学生以来、多くの挫折に立ち向かっていく中で、自分の夢をずっと追い続けるというのが私に課せられた課題なんだなって今は思いますね。夢を追い続ける過程で試練があったからこそ力がついていったんです。知らず知らずにいろんなことがインプットされていたんですね。無駄なことなんてひとつもないんだと思うんですよ。
「世界は一つ 私たちと他のいのち(世界)との境が消える」
-その後、「石田桃子アンドグローバル・ルネッサンス」としてバンド活動していらっしゃいますが、これはどのようなテーマのもとで活動しているんですか?
会社名も「グローバル・ルネッサンス」なんですが、直訳すると「地球維新、地球の復興」という意味です。今は一つの国や地域エゴじゃなく、もっと地球規模で、とりあえず今は地球中心に物事を考えていくべきだと思います。それで、グローバル・ルネッサンスというバンドや会社を設立(1994年)しました。国や地域の境界線というものは本来なくて、すべて繋がっています。例えば、どこかの国で大気汚染があったとしたら、他の国々まで汚染が広がっていってしまいますね。これを避けるために、常に地球全体の意識で生活していく必要があると思うんです。
-地球全体の意識を常に持っていることの重要性は、石田さんの活動からも伺えますね。例えば、タイ難民キャンプでも、1980年からボランティアをしていたということですが、どのような活動をしていたんですか?
物を運ぶプロジェクトでした。日本のみなさんから届いた古着や、募金で買った文房具、職業訓練に役立つもののような救援物資を届けていました。今でこそ多くの方が海外でボランティア活動していますけど、当時は珍しかったんですよ。方法なんて何もなかった時代だったけれども、英字新聞を読んで、現地の支局に国際電話をかけて自分で飛んで行ったんです。当初は受け入れ先も何もなかった時代でしたけど。難民キャンプに個人での出入りが出来なくなり、現地に発足したばかりのNGO(JVC・国際ボランティア亜鉛ター)に受け入れ先になってもらいました。
-そこでは、音楽を演奏する機会はありましたか?
残念ながら、そこには楽器がなかったので、テープを持っていって自分で作ったカラオケで歌を披露しました。そこの子ども達は、戦争で親・兄弟を亡くしたりしていろんなトラウマを抱えていると思うんですけど、苦しんでいるにもかかわらず、目が輝いていたんですよ。もちろん落胆してるから、そういう表情の子もいっぱいいるけれども、目の方はすごく輝いていた。純粋さがそのまま出ているそういうところに驚きましたね。
-バングラデッシュでも、ボランティアとして貢献なさったということですが?
あるとき、まだバングラデッシュのある地域に病院がないということを知ったんです。それでどうにか助けになりたくて、日本でのコンサート(臓器移植を呼びかけるNGO=ビバ・プランテーション)で呼びかけたことがあったんです。そしたら、ある企業の方(三菱の社会貢献室の方)が聞いていらして、資金提供してくださったんですね。それで、その地域に最初の診療所ができて、今では大きな病院になっているようです。どうにか助けになりたいと思っていたときに、一言呼びかけたのがキッカケとなって、何千人もの方々が助かるんだと思うと、やはり素晴らしいですよね。このように、命と命の境が消えていくのは私の願いなんです。人間と他の生物との境、そして他国の人々のことを、つい普段繋がりが見えにくいから関係ないと思いがちですが、その感受性を変えていかなければいけないと思います。
「一人ひとりの大切ないのち いのちの教育を今こそ」
-それは、「一人ひとりの大切ないのち ――― いのちの教育を今こそ」という講演テーマにも共通していることですよね?
そうなんです。現代は、まだまだ物質中心の社会ですし、点数や成績など目に見えるものにかなりのウェイトがあります。だから、競争社会になっているんですね。日本の子供たちは物質的には豊かですが、実は不自由。自分達で小さな枠を作って、その中でお互いにいじめたり、競争したり、いろんなマイナスのことに心を使っていて、くたびれてしまっているんだと思います。目に見えない世界を大切にする余裕もない。最近のニュースを見ていても、通り魔だとか、動物虐待だとか、他人の命を大切に思える人が残念ながら少ないと感じます。それなのに、急に「命を大切にしましょう」「他人を思いやりましょう」と言われても子どもにはピンとこないんです。ですから、見えないものに対して感じるという心や、他人のことを自分のことのように感じ取れる心、というものを育てて取り戻さないと。もう一つ重要なのは、多種多様な価値観があることを知るということです。そうすれば、自分に対しても自信が持てるんだと思いますよ。点数とか成績以外に自分の存在価値を認められて、独り独り役割があるんだと気付けば、救われますよね。目に見えないものこそ大切だということを、皆さんにより一層認識していただけば、それぞれの人間の役割や目的がはっきり輪郭を表すのではないでしょうか。
「癒し癒される 地球と私」
-一人一人異なる役割があるんだ、ということを認識できれば、他人の存在の重要さにも気づくのではないでしょうか。
私は、原爆が投下された広島で生まれたこともあって、幼い時から、「どうして人は殺しあい苦しめあうのだろう」、ということが常に課題としてありました。私たちも普段の生活の中で、人のことを悪く思ったり、喧嘩したり、いじめたりしていますよね。これと戦争は根っこは全く同じなんだということに気付いて欲しいんです。そういう普段の怒りや苦しめあいが重なって戦争が起こるんであって、ある日突然起こるわけじゃないんです。戦争は、決して他人事じゃない、私たちも無関係ではないんです。責めの思いから許しの思いに変わっていくことが、戦争とか普段の生活での争いごとをなくしていく、一つの方法なのではないかと思います。無意識に他人に迷惑かけたり、傷つけたりしていることってよくありますよね、それを自覚してはじめて、相手を責めるトーンも下がってくるんです。むしろ、こんなに至らない私だから、人を責めるなんてとてもできない、と思えてくるのではないでしょうか。こういう考えが多くの人の中に芽生えれば、争いも減るんだと思うんです。
-では、最後に今後の活動についてお聞かせ下さい。
今までは、国外での演奏やボランティア活動が多かったです。でも、これからは作曲を中心に活動していこうと思います。やはり、曲や音楽を通して、癒しや慈しみの思いを伝えていきたいですね。それは多くの親が子供に対して持つ思いや、動物・ペットや花々に対して感じる思いに通じるものですね。仕事をする上でのスタンスとしては、心をこめて、どうやったら人の役に立てるか、聞いた方が元気になってくれるか、そういうプラスの願いを込めた仕事をしていきたいです。同じように見える曲が二つあったとしても、思いが全然違うと、形は一見同じに見えても、全く違う効果を生みだしてしまうということを、痛感しています。今私がチャレンジしていることは、形には見えないことですよね、自分自身の心の中だけにあるものです。評価されること、形に出ることだけが重要なわけではないんですよ。つい忘れがちな自分にも言い聞かせています。私の作曲家としての活動は、形に見えないチャレンジをしている人に対する、エールなんです。「もっと自信を持って」・・・その人達がやっていることは素晴らしいことなんです、という応援歌になればいいですね。
-素晴らしいお話をありがとうございました。
文・写真 :鈴木ちづる(2005年5月15日 株式会社ペルソン 無断転載禁止)
石田桃子いしだももこ
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