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人生最大の危機 ~元ラグビー日本代表キャプテン・大畑大介~

大畑大介

元ラグビー日本代表

人生最大の危機を教えてください。

2007年9月にフランスで開催されたラグビーワールドカップの2週間前に、左アキレス腱が切れたことです。

2007年の1月に右アキレス腱を切っているのですが、その時はワールドカップ開催まで8カ月あり、自分の中ではアキレス腱が切れたことよりも、8カ月後にどこまでコンディションを持っていけるのか?ということで頭がいっぱいでした。先に見えている目標があったので、落ち込むより「8カ月後の自分に対してどういうアプローチをするのか?」という前向きな気持ちでした。

しかしワールドカップ2週間前に、もう一方の左アキレス腱が切れた時は、全てのものが崩れ去った感覚に陥りました。全く先が見えなくなり、生まれて初めて後ろ向きになる自分がいました。

その時の状況や危機が発生した原因を教えてください。

1999年、2003年とワールドカップに出場しましたが、「2003年が最後」という思いを持って戦っていました。年齢的な部分も含めて2003年がピークだと考えていました。そこに全ての照準を合わせてチャレンジした中で、結果を残せず、すごく悔しい思いが強かったのですが、当時は4年後の2007年のワールドカップはまだ見えませんでした。

そこから2004年、2005年と時が経過し、2006年は日本代表のキャプテンも務め、ワールドカップ予選を問題なく通過しました。そして2007年。普通に考えればキャプテンとしてワールドカップを迎えられるという時です。実は、体がボロボロでした。2000年以降から海外でもプレーしたのですが、自分のコンディションが良くない時に言葉でしっかり現状を伝えることができず、またその一方では結果に対する焦りもありました。「痛い」などとは言っていられず、海外の選手に比べて決して大きくはない自分の体を最大限使い、負担をかけてプレーしていました。アキレス腱が悲鳴を上げていた状態で、試合によっては座薬を入れ、痛みを飛ばしてプレーし、試合が終わればほとんど歩けないということもありました。痛みをずっと抱える中、「この痛みから開放されるには腱が切れるしかないかな」と思った時期もありました。しかし、2007年のワールドカップが僕にとっての「最後のステージ」と位置付け、苦しい状況でもチャレンジしていました。

そんな中、9月にワールドカップを控えた2007年1月の試合中に、右のアキレス腱を切ってしまいます。切れた瞬間は「やっぱりやってしまった」と思いましたが、まだワールドカップ開催まで8カ月の時間があります。すぐにドクターのところへ行って「いけるの?どうなの?」と聞きました。「半年、とにかくしっかりとアプローチすればコンディションを戻せる」と仰ってくださったので、あとはもう前を向いて進むしかありません。このワールドカップが最後のステージだと決めていたので、「駄目だったらどうしよう」など、ネガティブな考えは全くありませんでした。

そして、懸命にリハビリをして代表メンバーに戻りましたが、すでに逆の左アキレス腱が悲鳴を上げていました。しかし、試合勘や感覚を取り戻し、ゲームにフィットするためには実戦をこなす必要があります。コンディションを上げてワールドカップに挑むために、1カ月の練習プラス2試合の実戦は最低限必要だと思っていました。ワールドカップ前の日本での壮行試合では、それなりに体が動きました。その次、つまりワールドカップ2週間前の最後の調整ゲームをクリアできれば「感覚が戻せるかもしれない」と手応えを感じていましたが、結果、左のアキレス腱を切ってしまいました。実は、トレーナーには「ワールドカップに行くのか、逆のアキレス腱が切れるのか、どっちが早いか分かんないよ」みたいな話はしていたのですが・・・

最後の最後、ワールドカップ直前に1回目とは逆のアキレス腱が切れた時、目の前の全てが真っ暗になりました。最後のステージだという思いを持って、熱い気持ちを作ってやってきたものが、目の前で崩れました。1本目が切れ、リハビリに取り組み、ワールドカップのメンバーに再選出された時は仲間がすごく喜んでくれました。それだけに、2回目にアキレス腱を断裂した時は、その人たちに対してどのように報告すればよいか分かりませんでした。「またやってもうたけど、リハビリしてもう一度グラウンドに戻れるように頑張るよ。」と言うことができれば、「また怪我しちゃったな」ぐらいの感じでとられたかもしれません。しかし、現役最後のステージを失った自分の中には「もう一度やる」「そこから踏ん張って前を向いて頑張る」というエネルギーがありませんでした。

自分が置かれている状況が、すごくネガティブなものにしか見えなくなってしまいました。

危機とどのように向き合い、乗り越えたのですか?

僕は父のラグビー好きに影響され、ラグビーの道に進みました。子どもの時は人とうまく話すことができず、人の中に入っていくことも苦手でしたが、ラグビーによってそれを克服することができました。僕は、そんなラグビーに導いてくれた父に感謝しています。父も母もラグビーで活躍する僕の姿を見て、すごく喜んでくれていました。しかし、ある頃から両親は、何度も怪我を負い、普段はまともに歩けないのにそれでも試合で走り回っている息子の姿を見るのが辛くなってきたようでした。だから親には「俺、2007年で引退するわ」と伝えていました。

1回目にアキレス腱を切った日は親が家に遊びに来ることになっていましたが、腱を切ってしまったため、予定より遅れて家に帰りました。僕は肩の状態も非常に悪く、まともに松葉杖をつけない状態でした。そんな僕を見て父は「こんなスポーツに出会わせて悪かった」と言いました。息子に大きな十字架を背負わせるまでラグビーをやらせてしまった、という思いがあったようです。その父の言葉は、自分にとってすごく寂しい一言でした。ラグビーに出会わせてくれた父には感謝の思いしかないです。このまま僕が引退してしまうと、そんな父に一生悲しい思いを引きずらせてしまう・・・なんとしても戻らなくてはいけない・・・自分の中で一つのモチベーションになりました。

2回目に関しては、自分の力だけでは前を向くことができませんでした。ワールドカップ2週間前に断裂した瞬間、目標がなくなり、ないものに対してモチベーションを作ることが難しかった。現役を続けることもそれはそれで一つの目標であり、「現役続行」を宣言できれば全てが丸く収まると思いましたが、その一言を言うエネルギーがありませんでした。

そんな状態の僕を救ってくれたのは、高校の同級生でした。

高校のクラスメイトに二人のメジャーリーガーがいます。一人は上原浩治。ボストン・レッドソックスで頑張っています。もう一人は建山義紀。日本ハムファイターズからテキサス・レンジャーズに移籍して、ニューヨーク・ヤンキースへ行って、阪神タイガースで引退しました。その建山からのメールに救われました。たった一言、メールの一文です。それは、

「日本でどえらい騒ぎになってるぞ」

です。僕の思考回路に「やっぱり前向きに物事を捉えたい」という思いが残っていたから、このメールに引っかかったのだと思います。2回目のアキレス腱断裂はイタリアでの試合中に起きました。日本でどういう状況になっているのか分からず、全てが終わったと落ち込んでいました。そんな中、建山が「日本でどえらい騒ぎになってるぞ」とメールをくれた時、「大畑は人にメッセージを伝えられる人間や」と教えてもらった気がしたのです。両アキレス腱断裂はアスリートにとって大きな事故であり、その重大さはほとんどの方達が理解できると思います。日本で僕の怪我が情報として流れたということは、もしも僕が両アキレス腱断裂から復帰できれば、世の中の怪我を負った人達や壁にぶち当たって悩んでいる人達にとって前向きな、「プラスのメッセージ」になるかもしれません。勇気づけることができるかもしれません。建山がそれを僕に伝えてくれたと思ったのです。

ボロボロの心に響く、栄養素のある言葉をくれました。本当に感謝しています。そのメールがなければ「現役を続けます」とは言えませんでした。

最大の危機に直面したご経験から、どのようなことが得られましたか?

建山は、僕のことを知っている人間として「ポンと投げかけた」と言っていました。そこまでそのメールが響くとは想像していなかったようですが、子どもの頃から強気でやってきた僕のような人間でも「さすがにあかんやろな」と思ったみたいです。自分のことを見てくれている人、僕の人間性を知っている人、やはりそういった人でなければ僕が一番辛い時にメールを送れないだろうし、普通はそっとしておくと思います。感動的な文を作ったとしても、送信ボタンは押せないと思います。

そこを、何気ないたった一言、メールで送ってくれた建山に心から感謝しています。そういうことをしてもらえる仲間がいることは、僕にとって大きな財産だと気づきました。

最後に、人生の危機に直面している人へ向けてアドバイスをお願いします。

物事の捉え方によって見方は変わってきます。僕のようにアキレス腱を短期間で2本切った人間は、なかなかいません。それは他の人ができない貴重な経験をしたということであり、僕にとっては財産です。人生は一度きりで、やり直しもきかない。だから、嫌なことも含めて全てを人生の経験値、糧とすることが最も大事です。危機や逆境に直面しても「あ、他のやつにはできへん。ラッキー。ネタを手に入れた。」と捉えればよいのです。そこから立ち上がることができれば、もう一つ上のステージに行けると思います。

また、例えばスランプは「なりたい自分」があるから感じるものです。なりたい自分がない人間はスランプを感じません。だから危機を認識できるということは、自分自身にのびしろがあるということだと僕は思います。

危機を乗り越えたら自分はどれだけの人間になれるのか?それを楽しむとよいのではないでしょうか。

大畑大介

大畑大介

大畑大介おおはただいすけ

元ラグビー日本代表

小学校3年生からラグビーを始め、東海大仰星高校時代に高校日本代表に選出。京都産業大学へ進み日本代表として活躍後、1998年に神戸製鋼入社し、日本のトライゲッター、エースとして活躍、世界にその決定力を印…

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