警視庁の中でも、国家に対する有害活動関連の事件捜査など、特殊で重要な事案を扱う公安部において、ノンキャリアとしての最高位といわれる「参事官」まで登りつめた “鬼のミヤチュウ”こと宮﨑忠氏。歴代参事官の中でも別格的存在で、現役時代は公安警察のエースとして数々の実績を挙げてこられました。
退官後は、佐川急便株式会社にて常任顧問を務め、危機管理、コンプライアンス、コーポレートガバナンスなどの業務に携わり、現在は各種セミナー・講演活動を行なっていらっしゃいます。
今回は、社会の「表と裏」、「光と陰」を知り尽くしてきた宮﨑氏に、日本人特有の危機意識の特徴や、頻発する企業の不祥事など、日本の危機管理についての持論、そして私たちが身につけておくべ危機への対処ノウハウをご教授頂きました。
「危機管理」とは ―日本における現状と限界
―数十年前、イザヤ・ベンダサン氏が、自著『日本人とユダヤ人』の中で、「日本人は水と安全はタダで手に入ると思っている」と書きました。おそらく今でも外国人からすれば、日本人の危機に関する意識は驚くほど低いのでしょう。では宮﨑さんは、日本の「危機管理」の現状をどう見られていますか?
まず“危機管理”という言葉の認識から変えたほうがいいのではないかと思います。というのも、管理”という言葉では、危機を防ぐための本質を説明しきれないからです。
一般に、“危機管理”という言葉から連想するイメージは、「危機が訪れたときの措置」でしょう。ですが、本来の“危機管理”の意味は「危機を発生させないこと」です。日本で実際に危機が訪れたとき、対応が後手に回りがちなのは、この“管理”という言葉を使っているせいではないでしょうか。そもそも、「危機を管理する」ということ自体がわかりづらい。私は“管理”から“防衛”という意識へ変換したほうがいいと思います。危機から身を守る、ということです。国の危機管理なら「国家防衛」、組織なら「組織防衛」、個人なら「自己防衛」と、言葉の響きは少し仰々しいかもしれませんが、現代日本人の言語感覚を考えるなら、“防衛”と捉えた方が本質を突いていると思います。
―なるほど、“管理”と聞くと、“スケジュール管理”や“資料管理”というように、物事を整理整頓して、マニュアル化するような意味合いが含まれますからね。日本において、“危機管理”が本来の意味からずれてしまっている要因は、言葉の問題だけでしょうか?
あとは、日本人の民族性ですね。私たちの考え方の根本にあるのは、“性善説”や“信頼の原則”です。それを如実に表しているのが、道路交通法に基づく交通ルールでしょう。車に乗っていて、自分は青信号、相手は赤信号だから、相手の車は止まってくれるだろうと考えるのが大前提です。しかし、世界を見渡すとどうでしょう。特に、中国へ行かれた方ならご存知でしょうが、赤信号になっても、人も車もたいていすぐには止まってくれない。以前、中国の方から自慢げに、「宮﨑さん、我が国の交通ルールは“度胸の良さ”が原則ですよ」と教えられましたよ(笑)。まあ、それは大げさな話として、少なくとも中国の交通ルールは、“信頼の原則”を前提としていないようです。このように、その国の精神性に基づく“原則”は、危機管理に関しても同様です。もちろん、“信頼の原則”は日本人の美徳ですから大切にするべきですが、危機管理についていえば、今のままでは少しおとなし過ぎると申しましょうか、もっとシビアに捉えた方がいい。
二つ目の要因は、時代背景です。昨今、危機管理への意識が高まっている背景には、めざましい経済のグローバル化があります。ヒト、モノ、カネが頻繁に流通する中、各国がお互いを「信頼するため・信頼させるため」に共通の指針が必要になってきました。そこで、“危機管理(クライシス・マネジメント)”のほか、“企業統治(コーポレート・ガバナンス)”、“法令遵守(コンプライアンス)”という用語が登場し、日本企業も乗り遅れまいと、それらを取り入れました。ですから現在、企業における危機管理は、欧米が敷いた路線を、彼らの思惑通りに歩かされているといっても過言ではないのです。
―現在の我が国には主体性がない、ということですね。
そうです。とはいえ、かつて日本にも独自の“危機管理”という概念はありました。例えば、“天地の心に帰することによって、その心を獲得し、私心をなくして無心となり、仁義を行う”という実践道徳を教えた、石門心学の開祖・石田梅岩などが有名です。しかし、第二次大戦後、目新しいものを良しとし、次々と“欧米流”を取り入れた結果、激動する世界情勢に流され、日本古来の精神が忘れ去られていったのです。しかしながら、民族が受け継いできた遺伝子は簡単に変われるものではありません。きっと欧米流の危機管理がなかなか日本に根付かないのはその表れでしょう。今、欧米流の危機管理に、独自の解釈を加えて、日本人の感覚に合った“日本流・危機管理”を再構築すべき時が来ているのです。
企業の危機管理 ―不祥事にみる日本企業の危機
―最近、食品会社による賞味期限切れ原料使用問題や、テレビ制作会社による、ねつ造問題など、企業の不祥事が取り沙汰されています。このような状況を引き起こしている要因はどこにあるのでしょうか?
ここまで頻発するには、さまざまな要因が考えられますが、これは当事者である企業だけではなく、すべての日本人が考えなければならない問題だと私は思います。
企業は、いつの時代も大衆と共生しています。この二者の関係を表すものとして、「龍従雲(=龍は雲に従う)」という中国の故事を例に挙げて説明しておきます。“龍”が企業、“雲”が大衆です。つまり、企業は常に、世論や大衆のニーズに沿った形で存在しています。特に、戦後の日本は、経済発展という大前提のもと、何事も合理化・迅速化され、それに呼応して国民もひどく“せっかち”になりました。そういう日本人の精神性の変化と、現在の企業の不祥事とは、無関係ではありません。本質を考えますと、われわれ一人ひとりにも責任があると考えるべきなのです。
―昨今の不祥事は、社員による“内部告発”によって発覚するケースが多くなってきました。企業経営者は、対外的だけでなく、対内的にも危機意識を高めることが求められているようです。
ひと昔前は、「とかげの尻尾切り(※)」などと言って、企業トップの不祥事の尻拭いを、部下である社員がするようなケースをよく目の当たりにしましたが、最近は逆です。質問のとおり、社員が不祥事を告発して、トップの首をはねるケースが頻発しています。ただし、最近の“内部告発”とは、公共心や正義感に基づくものではなく、あくまでも個人的な動機によるものが多いようです。
情報の共有化の名の下に、社員は誰でも“会社の秘密”を知ることができるようになりました。会社側から見れば、いつ不正がバレて、社外へ漏らされるかわからない状況です。それに加えて、人間は誰にでも出世欲がありますから、会社から「評価されない」、「認められない」といった不満が溜まった場合、その腹いせに“秘密”を告発して自己顕示欲を満たすことができる。“信頼の原則”を考えれば、およそ理解できない思考回路です。しかし価値観が多様化し、感受性の相違が生じている現代においては、このような自己本位の内部告発が今後ますます増えてくるだろうと思います。さらに日本は、ネット上の情報を簡単にコピー・印刷することができ、情報保護や機密保持の点では、国際的に非常に立ち遅れています。これも内部告発の発生を助長している要因のひとつではないでしょうか。
※)「とかげの尻尾切り」…とかげが尾を切り捨てて逃げるように、不祥事などが露見したとき、下位の者に責任をかぶせて、上の者が追及から逃れること。
―“自己本位の内部告発”を防ぐためには、企業はどんな危機管理をすればよいでしょうか?
まずは、人間の心に内在する“危機”を理解するべきだと思います。例えば、誰もが持ちうる嫉妬やコンプレックス、自己矛盾などのネガティブな要素です。「彼は他人に認められたい願望の強いタイプだな」とか、「彼女は結論を急ぐタイプだな」とか、企業は社員が有する“危機”の種類やレベルを見極め、状況如何によってはマイナスの事態を引き起こす可能性があることを認識する必要があります。かといって、それを否定したり、駆除したりするのではなく、常に危険性が潜んでいるということを理解しておくことが肝要です。
それから、能力主義・成果主義による人事評価制度や、登用制度の多様化も、内部告発の発生を助長している要因でしょう。というのも、現在の人事評価制度は、すべての社員を“働き蜂”にしようとしています。さまざまな能力や成果を求めて、それに満たない人間を責め、糾弾する。もちろん、全員が全力で働き、成長していくことが企業の理想ですが、皆さんもご承知の通り、現実はそううまくはいきません。例えば、社員全員が蜜を取りに行く働き蜂でも困るわけです。蜂の中にも子育てをする蜂や、巣を守る蜂もいて、組織を維持している。人間も同じで、各々の能力に合った持ち場を与えて、任務を遂行させることのほうが、組織体としては大きなエネルギーを生み出します。
また現在、正社員・派遣・契約・嘱託・アルバイトなど雇用形態も多様化しています。人材を単なる“コスト”として考えた場合は、非常に効率的なシステムかもしれませんが、同じ職場、同じ仕事内容で身分差をつけるというのは、人の感情的にはいかがなものかと思います。もちろん、本人がその形態を望んでいるのならば話は別ですが、そうでない場合はどうでしょう。私はここにも内部告発頻出の“危機”が潜んでいるように思えてなりません。
―そのほかに、企業はどんな危機を予期しておくべきでしょうか?
ひとつは、“アクティブ・メジャー”、つまり自身を他者よりも良く見せるための積極工作です。利害関係が絡む企業同士や人間同士には、目に見えない思惑や葛藤、妬みが必ず存在します。どのような企業も個人も、常にアクティブ・メジャーの波にさらされています。わかりやすい例を挙げると、社内評価ですね。「あの社員はどうだ?」と上司に問われた場合、「本当によくやっていますよ」と答えつつも、その後に必ず「しかし…」「でも…」と苦言を一言。だいたいにおいてそんな調子ですから、組織内における評価情報の精査は多面的にしっかりとやらなければいけない。ただ、アクティブ・メジャーは人間の本能的な行動なのかもしれません。というのも、兄弟がふたりいれば、どちらもお父さん・お母さんの愛情を全部自分のものにしたいと思うわけで、弟が「お兄ちゃんが悪いことしている」などと、親に告げ口をする光景がありますよね。誰に教わるでもなく、幼い頃からすでにアクティブ・メジャーの本能が身についているのがわかります。
次に、“クレーマー”です。日本は欧米ほどの訴訟社会ではありませんが、近年はクレームが深刻化しています。「自分は悪くない、悪いのはすべて相手のせい」、「サービスには限界が無い」、「金を払っているのだから何でもやってもらえる」…といったように個人のエゴが増長してきているようです。具体的な例では、こちら側のほんの小さなミスを理由に、料金を支払わないとか、賠償金を請求するものなども多いですね。クレーマーの対応については、ちょっとしたコツがありますので、講演会で詳しくお話させていただきます(笑)。
―今後、企業が危機を防ぐために、大切なこととは何でしょうか?
当然のことなのですが、常に企業のトップが自ら信じた良心に問いかけ続け、それに恥じない行ないをし続けることだと思います。ノウハウやシステムの向上も当然必要ですが、やはり肝心な“人間の心”を忘れてしまっては、社会から何倍ものしっぺ返しがきます。ですから、トップが創業理念や企業哲学を掲げ、社内に浸透・共有させる努力をしなければいけない。言葉にすると単純ですが、組織が大きくなればなるほど、忘れてしまいがちなことです。冒頭でも申し上げたとおり、危機管理とは、起こってから後の措置ではなく、危機を起こさず組織を防衛するための業務の一部ですから、トップはこれを継続的に取り組んでいくべきだと思います。
個人の危機管理 ―危機意識を芽生えさせるためには
―次に、個人レベルでの危機管理に話題を移したいと思います。Ⅰ.で出た話ですが、民族性などを背景に、私たち日本人は、世界と比較して危機意識が希薄だと言われています。民族の精神性はそう簡単には変えられないと思うのですが、今後、私たちはどのような危機意識を持つべきなのでしょうか?
そのヒントは、現在、社会問題にもなっている「振り込め詐欺事件」から得ることができます。この詐欺事件の発生件数は、年間で3000件以上にのぼり、被害に遭ったのは裕福な家庭ばかりではありません。それだけ多くの祖父母、父母が後先を考えることなく、窮地にある我が子を助けに走ったということです。この事案は、日本人の危機意識がいかに希薄であるかを顕著に示していますが、別の角度から考えれば、日本人は困った人への“やさしさ”や、“いたわりの気持ち”、“慮る気持ち”を持ち合わせているともいえます。
どんな物事にも、何らかの良い面と悪い面が共存しているもの。ですから、「振り込め詐欺事件」という憎むべき犯罪も、捉えようによっては“良薬は口に苦し”。もちろん、この新しい詐欺事件の発生を防ぐための仕組みづくりは急務です。しかし、ここからもわかるように、私たち日本人は、昔からお互いが助け合って、力を合わせて急場をしのぐことが得意な民族なのです。この民族的な精神性を強みと捉え、危機には集団を形成して対処する。私たち一人ひとりが、この考え方を常に意識しておくことが大切なのではないでしょうか。
―確かに、1995年の阪神・淡路大震災のとき、ボランティアや、被災者同士の助け合いが多く見られ、「やはり有事のときに頼りになるのは“人”だ」という声も聞かれました。
現代は、近所づきあいが希薄になりつつありますが、かつては、向こう三軒両隣に何でも気楽に相談ができ、それぞれの家庭同士が助け合って生活していました。しかし、戦後、核家族化が進み、経済的にも恵まれ、昨今ではインターネットがあれば情報収集はもちろん、娯楽にすら不自由しない世の中になりました。極端にいえば、親も友達もいらない、「一人でも生きていける社会」になってしまったのです。
しかし、危機管理に関しては、昔も今も一人では何もできません。「自分の周りに頼れる人をいかに持つか」、ということが日本流の危機管理のひとつではないかと私は思います。講演でそういう話をすると、「うちの会社の顧問になってください」とか、「困ったら電話していいですか」というありがたい声を頂戴します。やはり、皆さんお互いが助け合うことの大切さに気づいてきたのでしょう。今後は、そういう人と人とのつながりがもっと大事になってくると思います。
―日本人の特性を生かした、新しい視点ですね。そのほかに、個人が身につけるべき危機管理術はありますか?
当たり前のことですが、毎日職場と家庭を往復するだけではなく、もっと世の中の流れを敏感に感知し、常に自分を身構えている状態に置くべきです。これは、大げさなことではなく、ほんの少し注意して、“予知のアンテナ”を張っておくということ。具体的には、儲け話とか、できすぎた話にはすぐに乗らない。こういう話に騙されてしまうのは、周りに相談できる人がいないからかもしれませんが、それよりも、情報を精査して熟慮する習慣自体がないことが問題です。スピード化、簡略化が追求される世の中にあっては、自分も迅速に判断・行動しなければいけない、という考え方になってしまうのでしょう。
それから、危機管理では「善悪を問わない姿勢」も大事です。というのは、再三申し上げている通り、日本人はあまりにも人を信用しすぎる上に、“自律心”がないのが弱みです。しかし、自分が危機に直面した場合、法律上の善悪などにはかまっていられません。極端な例で言えば、私の家族が暴漢に襲われそうになったら、私は家族を守るために暴漢を殺してしまうかもしれない。本当に深刻な危機状況においては、そのような判断力や法律を超えた強い姿勢が必要ではないかと思います。
―今後、講演会では、何を一番強く伝えていかれたいですか?
いろいろと申し上げてきましたが、“愛”ですね。危機管理も、大切なものを危機から守るという意味では、そこにはまず“愛”が必要です。そもそも愛がなければ、生命は繋がっていきませんから。私の講演を聴かれた方々が、愛をもって大切なものを守るという危機管理の基本を再認識していただけることを祈っています。
本日はお忙しい中、貴重なお時間を頂き、どうもありがとうございました。
文:上原深音 /写真:鈴木ちづる (2007年6月18日 株式会社ペルソン 無断転載禁止)
宮崎忠みやざきただし
元・警視庁公安部参事官
警視庁を退官後、佐川急便株式会社にて常任顧問を務め、リスクマネジメント、コンプライアンス、コーポレートガバナンス等の業務に携わった。講演では、企業向けの管理職及び一般社員教養から、子供のしつけについて…
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