2度の右目の手術。その後の写真家としての活動の中で、4年前胃癌の手術。
今回は、病気を乗り越え、今なお写真家として精力的に活躍する関口さんの人生についてお話をお伺いしました。
関口照生(せきぐちてるお)
日本写真家協会(J・P・S)会員
1938年 東京都生まれ
明治大学 文学部考古学専攻
1960年 写真家 柴田信夫氏に師事
1965年 渡欧
1967年~ レコードジャケット、カレンダー、ポスター、CM等広告写
1980年 真に従事。その間、カレンダー展、電通賞等を受賞
現在 広告写真、コマーシャルフィルム、及び雑誌等の仕事に従事
癌を乗り越えて 今を生きる
-4年前、胃がんの切除手術が、深く命を考えられるきっかけだったと伺ったのですが、 その時のお話をして頂けますか?
胃癌はね、胃潰瘍の検査の時に見つかったんですよ。7年前に目を怪我してね、2度の手術をしたのですが、結果、右目を失明しまして。それで一時期写真が撮れなくなってしまったんです。写真家だからカメラを握るけれど、前と同じようには撮れなくてね。イライラしたなぁ。それでついに胃潰瘍になってしまったんですよ。人並みに。その検査のおかげで癌は見つかったのだけれど、初期の癌だから痛みもない。それでも先生は、「胃癌ですから、3分の2、胃を取りましょう。すぐそこの消化器外科で手続きをして…」と簡単に言うんです。愕然としましたね。じゃあ、術後はどうなるのか?心配ですよね。自分にとっても突然のことだったし。社会復帰と言っても、病気前とは違う、元気だけど旅に出られない生活になるのは本当に嫌だったから。
-病気と向き合った時に、ご家族の方はどのように仰っていましたか?
そういう意味では、うちのカミさんはサバっとしていまして、「お父さんが自分でどういう生き方をしたいのかというのは自分でお分かりになっているでしょうから、自分で選んでください。それに対して私も協力する。それだけです。」って。
だからうちは割とラクなんですよ。例えば仕事の内容を変えていく時でも、「お父さんの人生ですからね」これだけなんです。僕はもうほとんど放し飼いにしてもらっているという(笑)。お互い仕事をやっていますから、仕事に関しては干渉しないですね。人生の上で困った時とか転機の時にはいろいろ話し合うこともありますけど。
-お互い自分のやりたいことに責任を持ち、尊重し合っているんですね。
そうですね。お互いに尊重し合うこと。信頼していれば、こまごま考えなくても顔を見れば分かりますよね。カミさんは女優という仕事をしていますが、僕は女優を愛しているわけではないし、女優と結婚したわけでもない。「竹下景子」という個人と結婚したわけです。女優さんでも、「女優の塊」みたいな狂気の女優さんもいますけど、そういう人だったら僕は結婚しなかったな。女優さんとはたくさん仕事をしましたが、その中でも彼女は生活の中で「普通になれる人」だったから、ここまでいっしょにやってこられたと思うし。子供のことに対してもね。いまだに彼女は朝5時半に起きて、下の子のお弁当を作っていますよ。まあ、それは母親としてやりたいことなんだろうし、やったほうがいいことだと僕も思うので黙って見ていますけど。でも大変だろうな、と思って朝飯ぐらいは僕が作ってあげます(笑)。
-大切なところでは繋がっている。素敵な関係ですね。 ところで、ここ最近カメラを向ける対象が変わってきたそうですが、どのように変わったのでしょうか?
カメラの仕事では、極力「物撮りはしません」という方向で、かつては雑誌や広告、女優の写真集などをやっていたのですが、結婚して子供が出来てからですかね、50歳を過ぎてから、自分の中で自分が本来やらなきゃいけない、「どこかで置き忘れて完成していないもの」があるんじゃないかっていうジレンマに陥るんですよね。勿論女優さんを撮ることも、意味はあったんですが、もっと昔、若い頃に自分がカメラを抱えて、世界を旅しながら出会ったフィンランドの女の子とか、アイスランドの子とか、僕らがなかなか行きそうにないようなグリーンランドの青少年とか。
世界の風土、又そこに住んでいる人間を撮れたらおもしろいなぁ、ってね。世界のごく普通の人たちの素朴な生活。それに対する新鮮な驚きや、自分の感性が自由に解き放たれた感覚とか、若い頃の思い出が強烈にフラッシュバックして来てね。病気をきっかけにして、自分の大切にしているもの、残された人生にやりたいことを真剣に見つめ直したから尚更かもしれないけど、その時の感覚を思い出すと、やっぱり自分はこれなんだな、って思ったわけです。
-若い頃と仰いましたが、関口さんが若い頃はまだ
世界を旅する方は多くはなかったんじゃないですか?
そうですね。僕は東京生まれなのですが、東京大空襲の生き残りなんですね。10数万人亡くなりましたし、B29が頭にありましたから、どうしてもアメリカは選べなかったんですが、どうしてもヨーロッパには行きたかったんですよ。ある方との出会いがあって。それはジャーナリストの兼高かおるさんと、世界の祭りを撮っている写真家の芳賀日出男さんです。
兼高さんは、ちょうど僕が銀行のパンフレットの仕事をしていた時に、TBSで「兼高かおるの世界の旅」というのをやっていて、兼高さんの集めた世界からの色々なお土産の写真を使わせてもらうことになったんですよ。1年間のシリーズで。それをきっかけにお会いして、1年間、仕事以外のコレクションも写真に撮って整理するお手伝いをしたんですね。そんな事をやっている間に聞く、150カ国取材を続けていた兼高さんのお話は、おもしろいんですよ。「今の日本の青年はだらしがない。世界に出て行っておもしろいことだってあるのに出て行く人が少ないわ。南米あたりや、アフリカに行って酋長の娘を嫁にすれば、一国一城の主になれるじゃない。」とかね。すごくおもしろい人なんですよ。そういうことを僕に吹き込むわけですね。「やっぱり世界を見なきゃだめよ」って言われて。だんだん僕もその気になってくるわけですね。
-世界は、自分の当たり前を覆してくれたり、新鮮な驚きがたくさんありますよね。
しかし、お金の面などは、結構大変だったのではないですか?
そうですね。でもそれを芳賀さんに相談したら、「関口君ね、本当に行きたいって思っていますか?」こう言うんですよ。「はい。本当に思っています。」そう答えると、「関口君。君はもう50%行けたのと一緒です。何故って、思いが50%なんですよ。後は諸条件を満たすのが50%。50%はクリアしているんですから、あと50%努力しましょうよ。」こういう励まし方をしてくれたんですね。これはいまだに忘れられない感動的な言葉です。それからとにかくお金を貯めようと。それから、1年近くお金を必死に貯めたわけです。しかしお金ってなかなか貯まらないですね。情けないことに。生活のためにも使いますし。でもなんとか旅費くらいはできたのかな。それでも何年も滞在できるほどのお金ではなく、その当時は500ドルしか持ち合わせてなかったですね。500ドルっていうのは1ドル360円の時代ですから、18万円ぐらいだったと思います。
その後、芳賀先生のところに相談に行きました。「どのくらいまでお金貯まりました?」と先生に聞かれ、これこれこうだと、でもどうしても少し足りないと。そうしたら先生が「そこまで努力したんならお金を都合しましょう」って言ってくれたんですね。すごい人でしょう。「ぜひ行ってらっしゃい。関口君の人生をきっと変えてくれると思いますよ」ってね。
当時、五木寛之さんが『青年は荒野をめざす』という本を書いていますけど、後で五木さんに聞いたら、ちょうど僕と同じコースだったようです。目的地はパリだったのですが、当時は飛行機がとても高価で使えませんので、ソ連経由のナホトカ航路を利用しました。横浜から船でナホトカ、ここからシベリア鉄道でハバロフスクまで。モスクワまでは軍事基地の関係で飛行機でした。そしてモスクワからは、ストックホルム経由でパリ、という汽車の旅でした。今だと考えられないでしょう?でもそれがね、僕の最初の旅だったんですよ。
-今は便利になりましたが、そういった無駄な苦労をしたり、うまく行かないながらに必死に頑張った経験などの方が記憶によく残っているということはありますよね。
そういう経験がフラッシュバックして、今の活動に繋がるんですね。
そうですね。そうやって、世界を旅して撮る写真は違うんですよ。本当に伝えたいもの。
病気をして、自分の命を見つめ直した時に、自分が本当に何をしたいか、を深く考えて、
やっぱり「旅をしたい」と思いましたね。
-それにしても、本当にいい方と出会ったんですね。
そう思います。本当に仕事でもそうですし、何かをやりたいといった時に、友人達の力や諸先輩の力ってすごく大きいですね。だから人間関係ってとても大切だし、何か一時代を一緒に生きた友達や人は、本当に大切にしないといけないと思います。今の人たちが、自分だけで生きてくなんて言っているけど、そんなことは不可能。やっぱり人間関係ってすごくおもしろいですし、大切です。
それに芳賀さんに感謝しているのは、あることを教えてくれたことです。「何かをやりたい時にはそれを思い続けること。それを貫いていくこと。」そういうことが僕は大事なんじゃないかと思うんですよね。つまり、50%は芳賀先生の言う通り成功しているわけですよ。あと50%は方法論ですよね、色んなね。つまり、意志力がなければ何も起きないわけですよ。スタートがないわけです。やっぱりそれは熱意にも出てくるし、熱意を持って人に相談すれば、相談にのってくれる人もいると思います。
-関口さんがこれから挑戦したいことは何ですか?
今僕がカメラを向けているのは、ミャンマーとキューバ。8月にまたキューバに行くんですが、田舎の宗教とか日本人の生き残りとか900人くらいの移民の方がいるんですよね。そういう人たちの背景やバックボーンを撮りたい。アフリカから来た宗教がキリスト教と一緒になって面白い祭りがあったり。音楽ばかりではなく、その原点みたいなものを探りたいですね。でも実は、そのままカメラはよしてボヘミアンと言いますか、ぼーっと自由な暮らしをすることが理想ですが(笑)。
とは言え、結婚もして、子供もできちゃったものですから、その責任は果たさないとね。 そういう写真や、今までの旅の総決算を来年の7月、写真展として形にする予定なんです。
横浜の赤レンガの一棟を全部使ってね。
今はそのための作品を作っています。
もし良ければ、是非見に来て下さい。
-是非、写真展楽しみにさせて頂きます。 本日は貴重なお話をありがとうございました。
文・写真 :鈴木ちづる (2006年7月18日 株式会社ペルソン 無断転載禁止)
関口照生せきぐちてるお
日本写真家協会(J・P・S)会員
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